「安楽死」を考える 「生きるのを諦めた」男性の選択



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「安楽死」を考える 「生きるのを諦めた」男性の選択、スイスで最期を迎えた日本人、「生を選ぶ社会に」難病患者の訴え【報道特集】
日本では認められていない安楽死のために、ヨーロッパに渡る日本人がいます。一方で、安易に死を選択することにつながると懸念の声もあります。「命の選択」を考えます。

この国は先進国であり、発展途上の国と比べ、食べるに困らずという部分においては、恵まれた国と言われると思います。

しかし、食べずに困らずはあくまで労働をし、上手に生きている方のみであり、先進国であるこの国の中には、食べるに困り犯罪へ走ったり、食べるに困っていなくても悩み悩んで自ら命を絶ったりと言うことも発生しています。

また、経済格差があり、この国の国民の幸福度は先進国であるにも関わらず、幸福度がとても低い。

政治家が無能なのは当然ですが、先進国と言うことだけで、国民で苦しんでる方々にとっては、発展途上国の方々と同様の苦しみを感じていると思います。

政治家は気づくわけもなく、改善することもありません。

その中で、自ら命を絶つという合法的な手段はこの国には存在しません。

自ら命を絶つことを国は認めていない。
そうだけど、国民一人一人が平等に幸せに生活が出来るかと言うことには、課題ばかりがあり、むしろ、経済格差が発生し、普通に食べていける人、楽しんで生きている人、食べていくのに必死、または食べていけていない人、生きることも楽しめていない方も多くいます。

自ら命を絶つことを認めないのであれば、国としてやることは、ベーシックインカムだと思います。

人間は自らの希望で人間を始めるわけではないです。
その他動物と異なり、人間と言う生き物は、複雑な社会の中で生きていかなくてはなりません。その中で上手に人生を歩んでいける、人間関係を築いて生きていける方もいれば、そうではない方も存在します。

上手くできない方に合わせて救済措置や国家運営を変えていくことが社会をつくり基本だと思いますので、人生を上手く歩んでいる方よりも、上手く歩んでいない方々をどう救うか、自ら命を絶つことを合法化しないのであれば、前向きに、人生を楽しんでもらう社会づくりを政府が進めていかなくてはいけません。

古くからある政党にはこのような政策を進めることは不可能です。
古すぎて時代遅れの思考で自分らの為だけの政治をやられても全く無意味です。

安楽死と言うことを国が認めていないなら、認めないなりに、人間として生まれてきた以上、食いっぱぐれをなくす、死ぬまで人生は保証されるという社会保障システムが現代社会では必要だと感じます。

自らの裏金問題をも解決できないような連中には不可能なので、国民の為の国家運営を進めてくれる政党が出てきてくれることを強く願い、自ら命を絶つという行為に走る方がゼロになるような社会になってほしいと思います。

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