アンモラリスト

噛むと美味いんだ     ~come to mind~ - にほんブログ村

昔々 カメラはインスタントで 画像にするにもお金がかかった

だから レンズを向ける側も 向けられる側も必死だった

外食は家族にとってご褒美で 最高のエンターテインメントだった

いつもよりもしゃっちょこばった服を着て

見られながら食べる事に優越感を感じていた

 

新幹線や飛行機に乗るなんて それはそれは夢の中の夢で

近所を走ってる電車に乗るのですら 緊張感を持ち

外観を見ながら進む乗り物に手を膝に当て 硬直して乗っていた

覚えていられないから 電話をするには 必ず電話帳を見て

ダイヤルを回しながら 相手の顔や今の状況を想像して

ガチャッの 音を待っていた

世の中には はっきりと正義役の人と悪役の人が居て

いつでも どんな時も 正義が勝っていた

人類が求めていた モラルや自由 はたまた プライベート感

人はいつからか 自分の 個人個人の では無い物にまで

モラルやプライベート感を求める様になってしまった

自由と言う名のもとに

今では誰ともでも電話できるし お気に入りの写真を共有できる

ネガもフィルムもいらず データがあればいつでも見える

外に食事に行っても 家族だけの個室空間で食べる事が出来

まるで 自宅での食事のように 美味しい物を存分に楽しめる

遠慮がちに挨拶をした後に倒していた 座席は

いつしか後方の者に迷惑が掛からない程度にしか倒れなくなっていた

警察は凛としていて 悪役にはボスが居て ボスとさえ話を付ければ

悪事を未然に防ぐことが出来ていた社会

正義と悪が混同し 正義の悪 悪の正義 境が見えずらくなり

どこからでも沸き起こる事件の 塞ぎ方が見えなくなった

引かれていたラインは 超える事によって 

次の位置のラインへ移動した 

普段有り得ない 見られながら食事する優越感が

見られながら食事するのは堅苦しい から生まれたプライベート感

いつでも どこでも 誰とでも 

から 生まれた 不自由差

いくつもの人の目と言う カメラに晒されていた時代

見方 見る角度 感じ方によって起きていた曖昧さ

その曖昧に逃れる事であった許容範囲

それが 正確無比なAIカメラに変わる事で起きる不自由差

格差の無い社会 平等な世の中 

自由で平等で 幸せで皆が満足する社会を求めるが故

不自由で不平等な事案が起き 不満を口々に言い合い

不幸せで 窮屈な社会を作ってしまったのかもしれない

誰かが右を向いたら 皆が右を見てきた日本

360度個人個人が見渡せるようになる未来に向けて

左を上を見る人が出て来ている事は間違いないはず

次のラインが 先にあるのか 後ろにあるのか

そのラインを超えた未来は

自分で間違いないと言える由があると良い

 

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