トンネルの先を確かめたいから。

断酒の先にある可能性を探しながら日々の想いを綴るブログ

半年という期間をどう捉えるかについて。


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今日で、アルコールを最後に口にしてから半年が経過した。


半年前の僕は一言で言うと、どうしようもない人間だった。

そのどうしようもなさを具体的に上げだすときりがないほどの人間だった。

だから一言で済ませることにする。


『半年前までの僕は、どうしようもない人間だった。』



前にも書いたことだけれど、アルコールを飲まなくなってからしばらくすると、僕は色々なことが気になるようになった。

それはまるで子供の頃、耳慣れない言葉を聞くたびに、母親にその言葉の意味を執拗に聞いていた頃に似ている。

今は気になったことは聞かずとも、手軽にネットで検索する事ができるけれど、検索した先には、またもや知らない言葉が待ち構えていて、いつしか僕はそもそも何が知りたかったのかわからなくなってしまう。

SDGs→持続可能な開発のためのアジェンダアジェンダとは→アジェンダとレジュメとの違い→レジュメとは・・?

そんなふうにしてこの半年間、僕はたくさんのレジュメに目を通さずにはいられなくなり、その行動は検索にとどまらず、本屋に行って様々な本を買い漁る、本の連鎖にまで至ることになった。

また、それらの知識のインプットと平行して、アウトプットについても気になって仕方がない状態になっていく。

先程のSDGsであれば、Sustainable Development Goals と言ったように、いつどこでその言葉を書くことになってもいいように、スペルまで身に付けておかないと気がすまない。


そんな毎日を過ごしていた。

断っておくけれど、そんな今の自分の事は、半年前の自分よりも気に入っている。



断酒をすると、いろいろなことに積極的に取り組みたくなる。
というのはよく見聞きすることだけれど、この事については、僕なりに思い感じることがある。


それは先ほど子供の頃の記憶に触れたけれど、行動に先立つ、条件面においても似かよっているのではないか?ということである。

子供の頃は、目まぐるしいスピードで心身共に成長していく。

その成長の過程で、脳であれば新しい知識をスポンジのように吸収していき、毛細管現象のように近くにある情報ををどんどん吸い込んでいく。

同じ原理が、飲酒の過程で萎縮した脳が回復という成長過程で貪欲に新しいものを吸収しようとしている。

この理屈は断酒をすると体を動かしたくなる。という身体的な面でも同じことが言える。

アルコールにより萎縮した筋力が回復と言う成長過程においてより強くなりたいと。


また別の話であげられる、これらの成長欲求は断酒者のみに与えられた特権であると言う事とも合致する。



でも、この考え方『断酒による毛細管現象』と勝手に名付けたこの現象には確実にリミットがあり、無限の可能性は秘めていない。

そのリミットは量的なものではなく、時間的なものであるということ。

飲酒という下り坂を、断酒により平坦に戻し、そして登り坂に変えていかなければならない。

飲酒の時間が長ければ長いほどスピードは増していき、落ちる深さは途方もない位置となる。

そこから上がるまでの労力は並大抵のものではなく、結果道半ばでスリップという再転落をおこす。

いつか、という考え方が後戻りのできない深さに繋がっていることを、この半年間で見に染みて感じている。



半年前のどうしようもない僕は、いつ何が起こっても良いと思っていた。というか思い込もうとしていた。

だってそう思わないと、次の酒を飲むことが出来なくなるから。

どうなってもいいが、酒が飲めなくなるのは困る。

そんな一見無茶苦茶な考えに何の疑問を持って居なかった自分に、半年後の自分から声をかけるとすると、


『ようやく、本気で目指したいことが見つかったよ。』


という言葉。

この先、また半年後の自分がどう思うことになるのかは、もうしばらくいろんなものを吸収しながら待ちたいと思う。
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