2021年09月29日
相撲 土俵の歴史
土俵の歴史
●相撲節会(すまひのせちえ)
●昔、土俵はなかった…褒美は衣類、弓矢、扇
●土俵のはじまり
●土俵の直径は、4.55m
●相撲節会(すまひのせちえ)
●昔、土俵はなかった…褒美は衣類、弓矢、扇
●土俵のはじまり
●土俵の直径は、4.55m
相撲節会(すまひのせちえ)
宮中での相撲は、前の記事で書いた宿禰(すくね)と蹶速(けはや)の
七夕の天覧相撲故事にちなんで毎年七夕に行われるようになっていった。
天覧相撲のルーツは奈良朝末期まで遡ります。
734年(天平6年)7月7日(『続日本書紀』聖武天皇相撲戯をご覧になる)
最初の記録として残っています。
嵯峨天皇の時代の頃は、
七夕の余興から出てこの頃から相撲節会(すまいのせちえ)という言葉が使われ始め、宮中の行事となりました。射礼や騎射(後に競馬)と並んで「三度節」とも呼ばれました。
7月7日の七夕の日、出身地によって東西に分けられた全国の力自慢が相撲を取り、東方が勝てば東国が、西方が勝てば西国が豊作になるという農耕儀礼の占いです。相撲は武芸であるとともに、五穀豊穣や大漁を願って神に奉納する神事としての側面があります。
この相撲節会(すまいのせちえ)が、今の国技・大相撲のルーツになっています。
昔、土俵はなかった…褒美は衣類、弓矢、扇
現代の相撲と最も異なる点は、土俵や行司がないことです。
観客は天皇と公卿と高官のみで、
出場した力士たちは、ほとんどが農民でした。
土俵が無く、その頃の決まり手は、
投げ倒し、突き出し、手や足を付く、打掛け、小手投げなどで勝負を決めていました。
宮廷側は、力士たちの面倒は見ず、手当なども不十分でしたが、
名を上げた場合、免税などの措置が受けられることもありました。
勝者への褒美は、衣類、弓矢、扇などが与えられたそうです。
土俵のはじまり
土俵のはじまりは、『相撲伝書』によると
鎌倉時代に見物人が直径7 - 9メートル(4 - 5間)の輪を作り、
人が相撲の周りを囲んで相撲をとる「人方屋(ひとかたや)」
だったのだろうと考えられています。
相撲にとって重要な土俵ですが、
この土俵がいつ出現したのか、詳しくはわかっていません。
昔の絵を模写してみました。このような感じだったみたいです。
のんびりして見えますね。
土俵の直径は、4.55m
昔、東京荒川沿岸の荒木田原の土で土俵を作っていました。
関東ローム層の土で粘着力があります。
最近は、取れないので両国の新国技館の土は利根川上流の土を代用しています。
土の量は約40トン
呼び出し31人が総がかりで作ります。完成まで3日を要します。
現在の大相撲は、土俵、番付表、髷や着物、取り組みなど、昔から変わりなく続く貴重な伝統文化です。
江戸時代に、一瞬タイムスリップしたかのような体験ができて楽しいですね。
にほんブログ村
雑学・豆知識ランキング
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11001940
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック