「宗吾霊堂」でのお参りは後回し。参道を下って、京成電鉄の宗吾参道駅。
宗吾車両基地が隣接しています。何か面白いものないでしょうか。
と思ったら、いきなり初代スカイライナーAE形が保存されています。
向かい側には2代目スカイライナーAE100形が。道路側からは、ちょっと見にくい位置。
AE形の後ろには3000形(初代)。
「赤電」と呼ばれる都営浅草線乗り入れ用車両。行先表示が「浅草橋」となっていますね。
こちらは「青電」と呼ばれた200形。1931年青砥~日暮里間開通の際に登場したそうです。
そういえば、鉄オタ選手権の「京成電鉄の陣」の時に、これらの車両が出ていたことを思い出しました。
大事に保存されていますが、京成電鉄のHPを見ると、コロナ前は車両基地見学ができたようです。早く復活するといいですね。
検修場?では現行スカイライナーがメンテしているようです。
研修所もあって、短い区間の線路、踏切や架線があったりします。
車両基地の端っこです。踏切を渡ると、農道になっています。
緑と赤いライン、芝山鉄道3500形が車両基地と駅の間を行ったり来たりしてました。
宗吾参道駅前に戻ってきたのですが、駅周辺にはお店が見当たらないです。
車両基地や研修中の関係者は、食事どうしているんだろう。。。
さて、地名になっている「宗吾」とは何でしょう。という話。
宗吾参道駅前に以下のタイル張り説明書きがありました。
惣五郎は重税に苦しむ領民のため、4代将軍家綱に直訴。領民の窮状は救われたものの、
4人の子供とともに処刑され、、、、読むだけで、泣けてきます。。。それで義民佐倉宗吾様と知られるようになって、地名も「宗吾」なんですね。。。
参道を「宗吾霊堂」(東勝寺)に戻ります。佐倉宗吾様と子供達が葬られたお墓があります。この場所が刑場だったとのこと。。。合掌。
境内の奥の方ではあじさい祭りが開催中。
歌舞伎でも「佐倉義民伝」という題目があるんですね。それで広く知られているそうなんですが、
宗吾は京成の車両基地のところ。としか、私はつい最近まで知りませんでした。。。