私は目覚めているわけではない。
が、朝目覚めると、「今日も物語を生きるのか」という感覚がある。
なんか否定的に聞こえるが、とても安心するのだ。
「意識には何も触れられない」「瞑想で問題から離れる」「いまここには何も問題はない」
色々なスピリチュアル上の観念があるが、私が一番気に入っており、また多くの人に強力に作用すると思っている観念は「個人的行為者はいない」だ。
そして時々こういうことを他人に話したりするのだが、一番聞き入れられない観念でもある。
これと「思考から離れている」というのは誰も聞かない。
それは当然ではあるのだ。
「何もかも決まっていて」
「エゴという実体はない」
なんてエゴにとっては最悪甚だしい。
産まれてから一度も「私」がいたことがない。
何の責任もない。友達もいない。お金もない。
おそらく世間の人と比較して私はなんにもない。
まあ比較的容姿が良かったり知性的ではあったりするかもしれないが、それ以外は平均値を大きく下回るだろう。
ところで今YouTubeライブで一日中猫がいる部屋の映像を流しているチャンネルを見ている(暇?)。
この中で一体どの猫がより幸せだろうか?不幸せだろうか?
差は全くないように見える。
人間の観念だけが「あの猫はご主人にたくさん撫でられてるから」「餌の好みがこの家の餌と合致しているから」などと言う。
が、猫はずっと猫だ。分別なしの猫。
BSでやってる「世界ネコ歩き」とか、野生動物が動いている映像を垂れ流しているものがある。
あれを見るのは非常に学びになる。
エゴの不在の極み、瞑想の極みであろう。