苦難の時代の幕開け―山岡荘八『徳川家康』第5巻 | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、令和3年2月28日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は山岡荘八氏の大作『徳川家康』(全26巻)の第5巻「うず潮の巻」のご紹介です。

個人的にはこの『徳川家康』は祖母が愛読していたということで、愛着のある作品です。

読み始めたのは去る平成24年。今から8年前です。

他の本に浮気しつつも全26巻を最初に読み終えたのが、2年後の平成26年ごろだったと思います。

直後に2回目を読み始め、それが終わったのがまた2年後の平成28年ごろ。
またすぐに3回目を読み始めて今は23巻を読み終わったところです。

徳川家康というと、「織田信長と豊臣秀吉が作り上げた天下統一の功績を、関ヶ原(せきがはら)の戦いと大坂(おおさか)の陣で豊臣(とよとみ)家を滅ぼしてかっさらった」みたいな言われ方をされていますが、僕はそれを払拭(ふっしょく)したい!

この小説は全26巻あるので非常にハードルが高いのですが、この小説さえ読んでいただければ、家康のそういった「古狸(ふるだぬき)」的なイメージは一新できると信じているのです。

【これまでのレビュー】
第1巻:
平和への願いとともに生まれた徳川家康(山岡荘八『徳川家康』第1巻)

第2巻:
これぞ徳川家の柱石・三河武士の死にざまだ!!(山岡荘八『徳川家康』第2巻)

第3巻:
言葉と人間の本質を見極めた「人間学」―山岡荘八『徳川家康』第3巻

第4巻:
徳川家康の生涯を貫く思想―山岡荘八『徳川家康』第4巻

では、まずは第5巻のあらすじです。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。




家康の多忙と瀬名の不貞


この巻では徳川三河守家康やその正室(せいしつ)の瀬名(せな)〔築山殿(つきやまどの)〕、岡崎(おかざき)の財政を担っていた大賀弥四郎など、元亀(げんき)年間(1570~1573年)における重要人物たちの心理が丁寧に描写されています。

人間の心は美しいところばかりではありません。

この巻では人間の心の弱さ、醜さがにじみ出し、三河守の苦難の時代の幕開けが描かれました。

その苦難は元亀元年(1570年)の金ヶ崎(かねがさき)城の戦いから姉川(あねがわ)の戦いにかけての三河守の近江(おうみ)方面への出兵に始まりました。


金ヶ崎城の戦いについて知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
金ヶ崎城の合戦―過去の実績にこだわらない

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将軍家足利権大納言義昭を奉じて上洛(じょうらく)急拡大を遂げる同盟者・織田上総介信長。

遠江(とおとうみ)を制したばかりの三河守は上総介に見くびられないため、彼の見ている前で織田家臣以上の戦いをする必要がありました。

そのため、浅井備前守長政の離反によって窮地に陥った金ヶ崎の退き口から帰って間もなく、本多平八郎忠勝、榊原小平太康政などの精鋭を率いて近江・姉川に出兵しました。

姉川の戦いでは本多平八郎等の奮戦もあり、精鋭朝倉(あさくら)勢を蹴散らし、その強さを上総介に印象付けることに成功しました。

ところが、三河守のその社会的成功とは裏腹に、家庭は音を立てて崩れていきました。

三河守の正室・瀬名は、プライドの源だった今川(いまがわ)家の当主・治部大輔義元が桶狭間(おけはざま)で討たれたことで精神的に大崩れを起こしてしまいます。

夫である三河守は、瀬名のプライドである今川家の旧領を切り取り、成長していきました。

そのことで実父・関口刑部少輔親永は義元の跡を継いだ彦五郎氏真に裏切りを疑われ、切腹させられてしまいました。

夫・三河守はこともあろうに今川治部を倒した仇敵・織田上総介にしっぽを振り、愛息・岡崎三郎信康の妻に上総介の娘を迎えます。

参考記事:
・徳川家康の生涯を貫く思想―山岡荘八『徳川家康』第4巻

さらに家康は、まるで上総介の家臣(かしん)であるかのように働き、織田(おだ)家の戦に出ていきます。
※これは逆に、上総介に見くびられて家臣扱いされないように出兵していたのですが、瀬名にはそれが伝わりませんでした。

三河守は、ヒステリーの度を強めていく瀬名にうんざりし、新たな居城(きょじょう)浜松(はままつ)城に移ったまま、瀬名のいる岡崎城にはめったに顔を出しません。

そんな中、瀬名は岡崎城の財政を取り仕切っていた大賀弥四郎を誘い、不貞を働いてしまいます。




三方ヶ原の敗戦


妻や嫡男(ちゃくなん)を顧みる暇もなく、徳川三河守にさらなる戦の火の粉が降りかかります。

甲斐(かい)の武田信玄です。

信玄は将軍家・足利権大納言に呼応して上洛を企図し、そのルートとして三河守の領地・遠江と三河を選んだのでした。

次々と落城していく三河・遠江の城。
三河守は、信玄の圧倒的な力を見せつけられます。


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信玄の目的は上洛であるため、このまま黙って過ごせば信玄は浜松城を通過していく。

家臣達の士気は上がらず、このまま籠城(ろうじょう)してやり過ごすべしとの声も挙がる中、家康は信玄との決戦を決意します。

浜松城の北方、三方ヶ原(みかたがはら)の地で鶴翼(かくよく)の陣に構える徳川軍。
交戦に反対していた家臣達も、腹をくくって戦線に立ちます。

最初は善戦したかに見えた徳川勢ですが、武田軍は魚鱗(ぎょりん)の陣で自在に部隊を動かし、かわるがわる襲い掛かってきます。

徳川(とくがわ)軍は崩れ、家康自身も敗走します。

その間、数多くの大切な家臣達が次々と血に染まり、倒れていきます。

三河守は彼らの死に涙し、自らの軽挙を猛省します。

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武田四郎の策謀と大賀の増長


三河、遠江国境近くの野田(のだ)城を攻めていた武田(たけだ)軍が野田城落城後に不可解な退却をしている中、岡崎城は信玄の子・四郎勝頼の策謀にゆれていました。

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四郎は僧・減敬(げんきょう)を岡崎に送り込み、三河守と不仲になっている正室・瀬名を篭絡(ろうらく)させました。

三河守を見限った瀬名は、減敬と通じ、四郎の三河攻めに呼応して岡崎城を明け渡す約束をします。

一方、三河守の嫡子(ちゃくし)・岡崎三郎信康は減敬の送り込んだ少女・あやめを側室(そくしつ)とし、織田上総介の娘で正室である徳(とく)姫との間に微妙な風が吹きます。

そんな状況を心配した徳姫の侍女・小侍従(こじじゅう)は三郎の怒りを買い、切り付けられ大怪我をします。

動顛(どうてん)したあやめは、小侍従に自分が間者(かんじゃ)であることを告白しますが、それを三郎にきかれてしまいます。

あやめが間者であることを知った三郎は減敬を斬らせますが、四郎勝頼の策謀は止まりませんでした。

大賀弥四郎が減敬に同心していたのです。

瀬名、減敬と結び岡崎城を武田家に明け渡すことを約束していた大賀弥四郎。

信玄の死後、奥三河(おくみかわ)の城を取り戻すために三郎が出陣した隙に、武田四郎と呼応して岡崎城の乗っ取りに動き出しました。




三方ヶ原の奮戦


今回特筆すべきだと思ったのは、やはり三方ヶ原の戦いでの徳川家臣達の奮戦ですね。

武田信玄の軍の強大さはよくわかってはいるが、自領内を我が物顔で進軍する武田軍を黙って通すわけにはいかない。

黙って通したとあれば、命が無事であっても末代まで「腰抜け」呼ばわりされ、織田上総介に合わせる顔がない。

もし武田信玄が織田上総介と対戦して勝ったとしたら、徳川家は武田家の下に組み敷かれ、上総介が勝てば、三河守は裏切り者として手を斬られるか、生涯警戒されて過ごすことになる。

そんな状況を看過できず出陣を決定する三河守ですが、家臣達の猛反発に遭います。

その猛反発を押し切って出陣した三河守は、数多くの家臣達を失います。

・鳥居伊賀守忠吉の四男、四郎左衛門忠広
・松平康純
・米沢政信
・成瀬隼人正正成の祖父・正義
・本多平八郎忠勝の叔父・肥後守忠真
・夏目漱石の先祖・次郎左衛門正吉

三河守はこの敗戦後、自分が感情を抑えきれずに無理な出陣をしたことを猛省したと言います。


関連記事(鳥居伊賀について):
これぞ徳川家の柱石・三河武士の死にざまだ!!(山岡荘八『徳川家康』第2巻)

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築山殿を取り巻く人々の心の弱さ


また、この巻では岡崎城における瀬名〔築山殿〕を巡る人々の心の弱さが丁寧に描かれています。

築山殿は自分のプライドを曲げることができず、そのせいで自分を遠ざける三河守への憎しみによりどんどんおかしくなっていきます。

そして夫の家臣である大賀弥四郎や武田四郎勝頼が放った間者である僧・減敬と不倫をするなど、徹底的に「悪女」として描かれています。

その裏に描かれていたのは「感情に振り回される悲しさ」です。

自分の感情と距離を取ることができず、振り回され、大望なく日々を送っていたために行動基準が「自尊心を守ること」に置かれてしまいます。

「自尊心を守ること」が行動基準となると自尊心を守るために言動がぶれ、感情的になり、「自尊心」が満たされない出来事はすべて「人のせい」と認識してしまいます。

そのことで破滅へと向かってしまったのが、この小説における築山殿と言えます。

また、子の岡崎三郎信康〔松平信康〕も大望、つまり「人生のゴール」が設定できていないため、行動基準が「自尊心を守ること」となってしまいます。

自尊心を満たしてくれない者は皆、敵と認識します。

そのせいで、自分を教育しようとして厳しく当たる父に憎しみを抱き、岳父(がくふ)・織田上総介の影が見える徳姫を遠ざけます。

このことで徳姫の侍女・小侍従を傷つけ、佞臣(ねいしん)・大賀弥四郎に利用されていきます。

さらに、大賀弥四郎自身の心の弱さも学ぶところが大いにあります。

貧しい生まれの弥四郎は、その経理の才能から三河守に見いだされ、当初はごく真面目に政務に当たっていました。

しかし、主君・三河守の正室である築山殿と通じたことから増長し、人格がゆがんでいきます。

一般庶民だったはずの自分が、神のごとき存在だった主君の妻に誘われ、征服している。
その万能感が彼をおかしくしました。

増長してはいけない、勝ちすぎてはいけない。

勝ち始めたら、兜の緒をしめ、厳しく警戒します。

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小牧長久手の戦いに学ぶ―勝ちすぎてはいけない

三河守の敗戦と、陰謀渦巻く岡崎城の描写により全体的に暗い印象の巻ではありますが、慎重な三河守の処世の基盤となった出来事が描かれていました。

そして、彼の生涯の武器である「豹変力(ひょうへんりょく)」が発揮された巻でもあり、学ぶことは非常に多かった印象があります。

野田城の戦いについてなど他にも書きたいことは山ほどありますが、今回は以上となります!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・徳川〔松平〕 左京大夫〔蔵人佐、三河守。通称は次郎三郎〕 源〔藤原〕 朝臣 家康〔元康〕
とくがわ〔まつだいら〕 さきょうのだいぶ〔くろうどのすけ/くらんどのすけ、みかわのかみ。通称はじろうさぶろう〕 みなもと〔ふじわら〕 の あそん いえやす〔もとやす〕
・織田 上総介 藤原〔忌部〕 信長
おだ かずさのすけ ふじわら〔いんべ〕 の のぶなが
・関白 羽柴 太政大臣〔通称は藤吉郎〕 豊臣 朝臣 秀吉
かんぱく はしば だじょうだいじん〔通称はとうきちろう〕 とよとみ の あそん ひでよし
・大賀〔大岡?〕 弥四郎 〔藤原?〕 (諱不明)
おおが〔おおおか?〕 やしろう 〔ふじわら? の〕 (諱不明)
・征夷大将軍〔将軍家〕 足利 権大納言〔通称不明〕 源 朝臣 義昭
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 あしかが ごんのだいなごん〔通称不明〕 みなもと の あそん よしあき
・浅井 備前守〔通称は新九郎〕 藤原〔物部?〕 朝臣 長政
あざい〔あさい〕 びぜんのかみ〔通称はしんくろう〕 ふじわら〔もののべ?〕 の あそん ながまさ
・本多 平八郎 藤原 忠勝
ほんだ へいはちろう ふじわら の ただかつ
・榊原 小平太 源 康政
さかきばら こへいた みなもと の やすまさ
・今川 治部大輔〔通称不明〕 源 朝臣 義元
いまがわ じぶのたゆう〔通称不明〕 みなもと の あそん よしもと
・(今川)関口 刑部少輔〔通称不明〕 源 朝臣 親永〔義広、氏興、氏広、氏純〕
(いまがわ)せきぐち ぎょうぶのしょう〔通称不明〕 みなもと の あそん ちかなが〔よしひろ、うじおき、うじひろ、うじずみ〕
・今川 治部大輔〔通称は彦五郎〕 源 朝臣 氏真
いまがわ じぶのたゆう〔通称はひこごろう〕 みなもと の あそん うじざね
・松平〔徳川〕 次郎三郎〔岡崎三郎〕 源 朝臣 信康
まつだいら〔とくがわ〕 じろうさぶろう〔おかざきさぶろう〕 みなもと の あそん のぶやす
・武田 大膳大夫〔通称は太郎〕 源 朝臣 晴信〔入道信玄〕
たけだ だいぜんのだいぶ〔通称はたろう〕 みなもと の あそん はるのぶ〔入道しんげん〕
・武田〔諏訪〕 四郎 源〔神〕 勝頼
たけだ〔すわ〕 しろう みなもと〔みわ〕 の かつより
・鳥居 伊賀守〔通称不明〕 平 朝臣 忠吉
とりい いがのかみ〔通称不明〕 たいら の あそん ただよし
・鳥居 四郎左衛門 平 朝臣 忠広
とりい しろうざえもん たいら の あそん ただひろ
・松平 (通称・官職不明) 源 康純
まつだいら (通称・官職不明) みなもと の やすずみ
・米沢 (通称・官職不明) (源?) 政信
よねざわ (通称・官職不明) (みなもと? の) まさのぶ
・成瀬 (通称・官職不明) 藤原〔源?〕 正義
なるせ (通称・官職不明) ふじわら〔みなもと?〕 の まさよし
・本多 肥後守〔通称不明〕 藤原 朝臣 忠真
ほんだ ひごのかみ〔通称不明〕 ふじわら の あそん ただざね
・夏目 次郎左衛門 源 正吉〔広次、吉信〕
なつめ じろうざえもん みなもと の まさよし〔ひろつぐ、よしのぶ〕
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
受動態 Daniel Yangの読書日記
なほまる日記(離れ)
問はず語り

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