粟田部の岡太神社 ~歴史ロマンと秋の紅葉【福井県越前市】

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岡太神社参道

粟田部の一角、古い町並みの神社参道の先に大きな朱色の鳥居が建っています。

古代第26代天皇継体天皇の時代より祀られたとされる福井県越前市粟田部の岡太神社です。

継体天皇、泰澄大師など福井ゆかりの歴史的人物が関わってきたこの神社。

今回はこの岡太神社の見所や現地の様子、紅葉の様子などを見て行き、この神社の歴史にも触れて行きます。

岡太神社とはどんな神社か

岡太神社鳥居

岡太神社(おかふとじんじゃ)は福井県越前市粟田部地区にある神社です。

継体天皇ゆかりの地とされており、古来からの神社で延喜式神名帳にも記載されています。

祭神
建角身命、国狭槌命、大己貴命

相殿
継体天皇、高龗神、少彦名命、素戔嗚尊、猿田彦命、天鈿女命、金山彦命、崇徳天皇、火産霊命、崇神天皇、応神天皇、倉稲魂神、彦主人王

相殿とは合祀のようなものです。この神社にはこれだけの神様が祀られています。

「岡太神社」の読み方は「おかふとじんじゃ」と読みます。同じく越前市に和紙の神社で有名な「大滝神社と岡太神社」がありますが、そちらの「岡太」の読み方は「おかもと」になるので、また別の神社です。

継体天皇から近代までの岡太神社の歴史

ここからは、観光としていくだけではあまりわからない、少し深い歴史も見て行こうと思います。

岡太神社の始まり「継体天皇の時代」

岡太神社継体天皇

拝殿の向かって左隣には、「継体天皇潜龍之聖跡」と書かれた碑と、この神社と継体天皇に関する由緒書きが置かれています。

越前の平野が沼地だったころ、継体天皇が越前の治水事業を行い、足羽川、九頭竜川、日野川を開きました。その際に建角身命、国狭槌命、大己貴命をこの地に祀ったのが、粟田部岡太神社の始まりとされています。
『男大迹部志』によると、その一番最初に祀られた際の神社の名前「玉穂宮」という名前だったようです。玉穂宮の時代は、継体天皇が天皇になる前の話で、建角身命、国狭槌命、大己貴命の三神のみを祀っていたそうです。時代は雄略天皇の時だといいます。

岡太神社の元の名前が違ったというのは驚きですが、継体天皇の治水伝説は越前では有名な話です。治水伝説に関しての記事がこのサイトにあります。

これほどまで福井の平野全体に広がっている伝説です。相当の一大事業だったことをうかがわせます。

では、なぜここに治水の際の重要な神社を作ったのでしょうか

これは予想になってしまいますが、前述で「継体天皇ゆかりの地」と記しました。この粟田部の名継体天皇(男大迹)から来ているともいわれています。また、この粟田部一帯が継体天皇の旧跡であるともいわれております。(これについては、別記事で詳しく記してありますので、ご確認いただけると幸いです。)

>佐山姫公園から皇子が池へ ~継体天皇の旧跡を訪ねる【越前市】

継体天皇にとって、この粟田部が特別な土地であったために、この粟田部の地に一大事業の神を祀ったのではないかと思います。

その他粟田部の南に隣接した「味真野」の里継体天皇の旧跡とされています。この一帯が、継体天皇関連の土地だったのでしょう。

>味真野神社の御祭神に秘められた歴史と鞍谷御所【福井県越前市】

岡太神社改変期「泰澄大師の時代」

岡太神社拝殿

岡太神社拝殿です。造形美。格子戸がなんとも魅力的です。

では、岡太神社がなぜ「玉穂宮」から「岡太神社」になったのかという問題になります。

ただ、まだ「玉穂宮」から「岡太神社」にはならないようです。

『今立町誌』『男大迹部志』を両方参考にまとめてみると…
養老2年に泰澄大師がこの地にやってきて仏像2体を祀り、神仏同体としました。その際に「玉穂宮」から「玉穂宮白山三社大権現神社」という名前に変わったそうです。
またこの時から相殿に継体天皇も祀られ始めたといいます。

泰澄大師と言えば、日本三名山の一つ「白山」を開山した人です。福井県内の山では文珠山や越知山を開いたことでも有名です。

そんな方がここにも来ていて、しかも、やはり「白山」の名を残していったというわけです。

福井の歴史的有名人がこうもゆかりのある場所というのは、なかなか貴重な場所なのではないでしょうか。

神仏分離

ではここでついに、「玉穂宮」から現在の「岡太神社」に名前が変えられます。

『男大迹部志』によると、神仏分離の際に泰澄大師の仏教と分離され、現在の「岡太神社」と改称したといいます。ただここの詳しい年代は他郷土史を見てもわかりませんでした。

神仏分離は古くから動きはあったようですし、江戸か明治かまたはそれ以前か区別がつきません。ひょっとしたらまだ見ていない郷土史や由緒に載っているかもしれません。

明治時代

岡太神社本殿

岡太神社本殿。紅葉がいたる所にあります。本殿と紅葉の組み合わせも美しいです。本殿周りは瑞垣で囲まれており神聖な土地となっています。

明治時代になると、縣社の格になり、明治6年の大火、明治29年に上中下段の広い境内となる(後土砂崩れ発生)。明治41年に神饌幣帛料供進に指定、同43年に6社合祀(前述「相殿」とあった多くの神)。
参考:『今立町誌』『今立郡神社誌』『福井県神社誌』。

神饌幣帛料供進は以前の越前町織田町細野岩倉の剱神社で出てきましたね。それと同じです。

上中下段の境内は土砂崩れで昔のままとはいきませんが、現在もその形になっています。

また縣社にもなっているので、境内の定書きには「敦賀縣」の文字が書かれています。

継体天皇の時代から明治時代まで、岡太神社の存在感はずっと薄れることがなく鎮座し続けていたのです。

境内や周辺の見所

この項目では特に、拝殿、本殿、鳥居などのメインの建造物以外の見所を取り上げます。

秋の紅葉

岡太本殿鳥居

花筐公園に接続される岡太神社は、同じく紅葉の名所になっています。

花筐公園の紅葉紹介の際「鳥居と紅葉」が写っている写真を見たことがあるでしょうか 。紅葉の名所紹介などで花筐公園の紹介があると良くその「鳥居と紅葉」の写真が掲載されています。それがおそらく岡太神社本殿前の鳥居と思われます。

岡太神社紅葉

もちろん本殿前だけでなく、境内には多くの紅葉があります。様々なシチュエーションで紅葉と神社の建造物を合わせて見ることができるので、写真撮影目当てでもかなり良い場所だと思います。

上中下三段構造の境内

岡太神社2階

前述に少し書きました、この岡太神社は上中下の三段構造になっています。(上写真は中段神輿殿前)

下段は拝殿、中段は参道(途中神輿殿)、上段は本殿です。

下段の魅力は大鳥居と拝殿の造形美と見ました。また、継体天皇の聖地の碑と由緒書きもこの下段にあります。他数々の歴史的造物が置かれています。

中段の魅力は、美しい参道と時代を伝える灯籠の数々、そして神輿殿です。ここの参道は紅葉の時期になると絶好の紅葉スポットになります。拝殿を見下ろす形になりますが、紅葉と拝殿または灯籠とのツーショットを見ることができます。

上段の魅力は、立派な本殿があります。そして前述で記した通り、有名な「鳥居と紅葉」の写真の現場がこの本殿の鳥居と思われます。

上中下それぞれに魅力のある岡太神社なのです。

歴史的遺物も多いので、じっくり見て回ることをお勧めします。

歴史のある灯籠群

文政の灯籠

境内には数多くの灯籠がありますが、中でも粟田部で一番古いのは元禄の時代の灯籠だそうです。

ただ私は見つけられませんでした。代わりに文政の灯籠なら見つけました。

元禄の灯籠はどうもこの岡太神社境内、神輿殿近くにあるみたいなのですが、見つけられず。探してみてください。

延々の石

岡太神社の石

神輿殿と同じ段の中にあります。

ここには、しっかりと説明板が書かれているので安心です。

どんなものか簡単に言うと、継体天皇(男大迹)近臣の「延々」という人の庭石だそうです。

現地にはもっと細かく、経緯まで書かれているので、現地で見てみてください。

花筐公園

粟田部岡太神社の近くには隣接した形で紅葉や桜で有名な花筐公園があります。

紅葉の花筐公園を訪れています。こちらと併せて訪問するのも良いと思います。

>紅葉の花筐公園へ ~能『花筐』と継体天皇ゆかりの地【越前市】

他継体天皇の旧跡

この辺り一帯は継体天皇の旧跡が多くあります。

皇子が池は、継体天皇の子の産湯であったり、佐山姫公園は継体天皇の妃「佐山姫」の御所跡であるといわれていたりします。

こちらも別記事に継体天皇の旧跡巡りをしていますので、併せて訪れてみるといいかもしれません。

>佐山姫公園から皇子が池へ ~継体天皇の旧跡を訪ねる【越前市】

古代より歴史を刻み見てきた神社

古代継体天皇から祀られ続け、その歴史を刻み続けてきた岡太神社。

災厄にあっても信仰と歴史を途切れさせることなく、現在までその威厳のある姿を見せてもらうことができます。

桜や紅葉、由緒、歴史的建造物など多くの魅力を抱える岡太神社に一度来てみてはいかがでしょうか。

参考文献:『男大迹部志』『今立町誌』『今立郡神社誌』『福井県神社誌』

基本情報(アクセス、駐車場、バス停)

ここでは、岡太神社鳥居前への基本情報を記載します。

最寄り駅バス停は、JR武生駅からバスに乗り換え、花筐公園口で下車、徒歩3分
武生ICから8分
駐車場は、鳥居前にあります。隣接する佐山姫公園へ停めて、花筐公園と併せて見回ってもいいかもしれません。

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近くの飲食店

粟田部のそば屋『より処』さんを紹介します。

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