中平卓馬 火-氾濫 

東京国立近代美術館

2024年2月25日(日)


 

国立近代美術館で写真の展覧会を観るのは久しぶりな気がする。

 

それにしても、この展覧会、初めはとても見にくかったです。

 

それはなぜか。

 

だんだんと明らかになるのですが、まず中平卓馬について紹介しましょう。

 

 

1-2-11 森山大道 にっぽん劇場 No.52

 

森山大道の撮影した中平卓馬の写真です。


中平卓馬は評論家であり、写真家です。元々は雑誌の編集者だったのですが、ある雑誌の企画で自らも写真の作品を掲載。ほどなく、編集者から写真家へ転向します。

 


1-2-2  寺山修司「街に戦場あり(4):親指無宿たち」『アサヒグラフ』1966年10月7日号、朝日新聞社


雑誌の編集者だったことが、前半生の作品の傾向を決定づけているように思います。


当時はカメラと写真、雑誌の地位がメディアの中で今より高かった時代。表現としての写真がまだ可能性に満ち、社会的な影響力を持っていた時代です。


雑誌の場合、写真は写真展と違い、文章とセットで発表することが多い。イメージだけで作品を完結するのではなく、補完する文章が存在する。中平が写真家としての活動とともに、写真についてのエッセイを積極的に発表していくのは、元編集者ですから自然なやり方だったと思います。



1-4-4 [無題]「Provoke」3号、1969年8月、プロヴォーク社

1-4-5  多木浩二・中平卓馬共編「まずたしからしさの世界をすてろ-写真と言語の思想」田畑書店



「Provoke」は1968年11月に刊行された同人誌。

サブタイトルは「思想のための挑発的な資料」。当初のメンバーは多木浩二、中平卓馬、高梨豊、岡田隆彦。写真、エッセイ、詩などで構成されていました。この中で多木と中平は写真についてのマニュフェストまで発表しています。創作の哲学や理念をテキストにして宣言するのは革新的な新しい芸術を目指す者がよく行う方法です。

 

 

1-3-4 「日本の生態(10):終電車」「アサヒカメラ」 1968年10月号、朝日新聞社

 

カメラというのは、見たままの景色を記録するのが基本機能です。それまでの写真家は対象を見たままに平面に落とし込むことが撮影の優先事項であり、スキルの証明でした。


中平卓馬はそんな写真のあり方に一石投じます。

「アレ、ブレ、ボケ」を良しとして、そのままの写真を発表するのです。これは特に夜間の撮影で生じるマイナス要因です。具体的には、


  • 暗いために使う高感度フィルムは、粒子が荒く拡大して使えばアレた画面なります。
  • 夜にフラッシュを使わなければ、シャッタースピードが遅く手ブレを起こします。
  • 光量を確保するために絞りは開放にすることになり、ピントが合わせにくくボケやすくなります。


普通ならこうして下手な写真が出来上がるのですが、それでも鑑賞に耐える、メッセージを届ける写真にどうすればできるのかを追求していくのです。


 

2-4-1 サーキュレーション-日付、場所、行為【40点】

 

第7回パリ青年ビエンナーレの出品作。こちらは出品した写真を展示したもので、実際の展示はこのようなものでした。

 

2-4-2a サーキュレーション-日付、場所、行為

【シカゴ美術館での再現展示(2017年)の際のプリント

 

会期中に現地で撮影した写真を次々と加えていくというものです。撮影したものをプリントするのに日数を要した時代には、現実の風景がいきなり目の前に再現される経験を人はしたことがありませんでした。


人間は目が覚めている時はいつも何かを見ています。しかしすべてのものをキチンと見ている訳でもない。日常の景色は大した意味のないものがほとんどでしょう。そうした景色も含めて、美術館という美だけが選抜された展示空間に身の回りの風景が次々に組み込まれて現れるというのは、新鮮な経験だったでしょう。

 

このように、これまでにない写真を追求していく最中で、中平は突然スタイルの変更を宣言します。



3-1-1  『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論文集』  晶文社 1973年 個人蔵


植物図鑑のように事物をありのままに見せるのが写真である、それまでと真逆としか思えない方針に転換するのです。


実際に作品はどのように変化したのか。アレ、ブレ、ボケの時ほど明確な方向性があるようには思えません。



3-3-1  氾濫【「15人の写真家」(1974年)出品作、48点組】


この東京国立近代美術館の展覧会に出品された作品の実物です。


3-3-2 氾濫【2018年のモダンプリント、48点組】

 

こちらは後にプリントされたもの。カラー写真は劣化が早いですが発表当時の状態には近いでしょう。暗闇の黒い写真が半数を占めますが、色彩が鮮やかなものもあります。


とはいえ何なのかハッキリとはわからない。人が日常、対象として意識しないものを敢えて狙って撮っています。何かを写しているが何でもないものを集めた組写真。しかし抽象表現とも違う。意味を持たない具体的なイメージの氾濫です。

 


4-6-1 デカラージュ【ADDA画廊(フランス、マルセイユ)での展覧会(1976年)出品作、18点組】



壁を接写して原寸でプリントし、並べた作品です。

本当にリアルな写真、見たままの事物を見せる。そういう試みです。確かにその通りの作品ですが理屈が先行し過ぎた感があります。所詮写真は紙でしかありません。より実物に寄せた結果、実物ではないことが際立ったように感じました。

 

こうして精力的に活動を続けていた1977年に、中平は突然、アルコール中毒で倒れてしまいます。しばらくは療養生活が続き、部分的な記憶喪失が後遺症として残りました。


それでも写真やめることはなく、後半生の活動が始まります。ここを機に撮影の仕方が変化していきます。

 


5-2-7   Adieu a X  中平元氏蔵



5-3-4  [無題(八戸)]【本展のためのプリント、12点】



5-3-7 キリカエ【「キリカエ」展(2011年)出品作、64点】


どうでしょうか。


明らか普通に対象をフレームに納めるようになりました。これは事物をありのままに捉えるという考えに則っているように見えます。

 

100ミリの望遠レンズを使い構図はどれも基本タテ。人間のナチュラルな視野角に近い、少しじっと凝視した時の見え方になるレンズです。タテのフレームはスマホに近く感覚的に受け入れやすい。

 

ここまで一生懸命、見よう見ようとしていた作品が、いきなりスイスイ入ってくるものに変わりました。何よりフォーカスが合ってのですごい見やすい。

 

「アレ、ボケ、ブレ」の写真はシンプルに見にくかった。そんなのことは当たり前だと笑われてしまいそうですが、私もアート鑑賞歴は長いので見にくいものもそれなりに見るのが癖になっていました。

 

倒れる前の作品は、対象を敢えて外している分、見にくさが強い仕上がりになっています。それができたのは、見たものをそのまま撮るという写真の基本を正確に捉えていたということの裏返しですので、ノーマルに撮影すれば見やすくなるのは当然ではないでしょうか。



最後まで見終わった後に、もう一度始めから見直しました。力強い作品もありますが、前半生の作品は概して見やすいものではないという感想は変わりませんでした。それでも主張したいことは初めよりは感じとれた気がします。言っていることに理はあってもそれが魅力的なものになるかは、別の話です。


最後に話をひっくり返すようですが、SNSの映える写真が氾濫し、スマホの機能が進化して誰でも無難に綺麗に写真がとれる今日、再び、新たな「アレ、ブレ、ボケ」が、省みられる時代が来ているとも考えた展覧会でした。

 

 

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