「もうええ加減にしてほしいわ」
とお怒りで娘が学校から帰ってきた。
理由を聞くと、どうやらこの1年ぐらい小学校の宗教の先生が身勝手だと言うのだ。
イタリアの学校では宗教の時間がある。これは完全義務ではなく、受けたくない家庭では事前に「宗教の時間は参加しない」旨を伝え、その時間は他の場所で自習するなどして過ごす。
うちは「まあなんでもとりあえず受けとき」と言うスタイルなので受けさせている。小学校の低学年の頃は聖書の話を「ロード・オブ・ザ・リング」のように楽しく聞いており成績もいつも最高得点の10だった。
しかしコロナ明けてから娘が言うには先生の態度が日に日におかしくなってきて、授業はおろか自分の身の上話ばかりするようになってきたのだそう。宗教の時間なのにどうして宗教の先生の身の上話を聞かなければならないのか、とても不条理だと娘は怒るのである。
確かに聖書の話はこれ以上増えることはない。したがって全部やってしまえば新しいことは全くなくなってしまう訳だ。そこをうまく授業として成立させなければいけないのだが、それをしないのがこの先生である。
なぜわかるかといえば、娘が小学校に入学したての頃、この先生がやたら私に話しかけてきたのだ。
「〇〇の集いがあるから来ないか」
「自然農法(よく調べたら不完全)の集いがあるから参加してくれ」
「私は日本が好きだ(常套手段)」
などで、なんとか私を取り入れようとした過去があるわけよ(笑)
私はその都度、矛盾をついては断ってきた。特にコロナの時は学校の課題を先生に直接送るために連絡先を教えないといけなかったのだが、これを使ってこの先生はキリスト教関連の教えやなんちゃらをやたら私に送ってきたのだ。まあめんどくさい。更に忘れもしない、合同個人面談の時にたまたま待ち時間を埋め合わすために、宗教の授業とやらはどうやってやっているのか興味があったので話したことがあるのだが
「私はですねこの学校では週1回だけしか授業が持てないんですよ。主任であるM先生は週4でしょ?僕もあのペースで授業を持ちたいのですが、難しくて。」
こいつの給料
歩合制だな
困ったおっさんである。いくら外国人のアジア人で大人しいとステレオタイプを勝手に持ってくれて突然あんたの懐事情を話されてもね・・・
お前
布教者に向いてねーわ
まあ面白いぐらい銭の話ばっかりしてくれて、宗教関係の下っ端の営業マン的臭いぷんぷんで笑えたわ。
ちなみにこの先生は隣町に住んでいて、以前ひょんなことから知り合いとこの先生の話になったら、その人が
「あーあの人あなたの街で教えているだ・・・」
と苦笑い。
あーこれは何かあるなと思っていたら、やっぱりあったのね(笑)
と言うわけで今では娘のクラスの子が全員宗教の先生に不満を言っているらしい。
「まああと残り何回よ?」
「2回やな」
「それやったら放っておいたらええやん。めんどくさい。単なるアホや」
「ほんまアホやで。おんなじことしか言わへんねん。」
・・・・
まあ・・・・
聖書の内容は変わることはないから同じことばっかりになるのが自然なのだが。
単刀直入にいえば
この宗教の先生は布教活動には全く適していない。
と言うことになる。
みんなが言うことを聞かないので先生という立場を使って意地悪もするらしい。
もうそれ布教者ちゃうやん。そもそも布教たるもの悩める民の話に耳を傾けるのが最初の姿勢であり、開口一番自分の身の上話を聞かせるのは本末転倒である。
まあそんなクソなおっさんともあと2週間でお別れである。
学校終わったら、そいつの番号ブロックするつもり
↓困ったおっさんである
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