老人がその電話に出ている声が聞こえました。

 

「おおっ、お前さんは」

 

 老人の驚いている声です。

 

「そうかそうか」

 

 誰か親しい人と話している様子です。

 

「そっちでみんな元気にやっているのか。わしもな、長い間独りだったが、どうにかこれまで暮らしてこれたぞ」

 

 嬉しそうな声です。声色には涙声も混じっていました。

 

 トカチは庭で居間の明かりを浴びながら老人が電話を終えるのを待ちました。

 

「玄関を直したから、この家にもきっと何か変化が起こったんだな」

 

 トカチの心も老人の声色のように弾みました。

 

「うむ、わしもすぐにそっちに行くからな。大丈夫、今から準備をして、すぐ行くからな」

 

 老人は電話を終えたようでしたが、忙しそうに家の中を駆け回っていました。

 

 老人が玄関から外へ出ていきます。特に大きな荷物は持っていませんでしたが、

 

「帰ってきたら、おかえりと言ってくれるか。だったら、その時は、みんなと一緒にただいまを言おう」

 

 老人はそう家に呼びかけるようにして玄関を閉めると、いずこかへ行ってしまいました。

 

 トカチは声をかける暇もありませんでした。

 

 一体老人の身に何が起きたのか、トカチには分かりませんでしたが、それから何日経っても老人は帰ってきませんでした。

 

 トカチは老人の行方が気になって、毎日この家に立ち寄ってみましたが、老人は帰ってきていませんでした。

 

 それから数か月ほど経ったある日、家が立ち入り禁止になりました。

 

 そして、更に数日が経つと、家は取り壊されてしまいました。植えられていた庭木もすべてなくなってしまいました。

 

 その代わり、看板が立てられて、そこには『売地』という文字が書かれていました。

 

「結局、誰も帰ってこなかったんだな」

 

 トカチは家がなくなり更地になった土地に足を踏み入れました。

 

「オレがやったことは結局無駄だったんだろうか。ちゃんと直したはずだったんだけどな」

 

 門から玄関まで続く立派な石畳もなくなってしまっていました。