【古事記】(原文・読み下し文・現代語訳)中巻・その陸

垂仁天皇

伊久米伊理毘古伊佐知命 坐師木玉垣宮治天下也 此天皇娶沙本毘古命之妹佐波遲比賣命 生御子 品牟都和氣命【一柱】又娶旦波比古多多須美知宇斯王之女 氷羽州比賣命 生御子 印色之入日子命【印色二字以音】次大帶日子淤斯呂和氣命【自淤至氣五字以音】次大中津日子命 次倭比賣命 次若木入日子命【五柱】又娶其氷羽州比賣命之弟 沼羽田之入毘賣命 生御子 沼帶別命 次伊賀帶日子命【二柱】

伊久米伊理毘古伊佐知命(いくめいりびこいさちのみこと)師木(しき)玉垣宮(たまかきのみや)(ま)天下(あめのした)(をさ)(なり)(こ)天皇(すめらみこと)沙本毘古命(さほびこのみこと)(の)(いも)佐波遅比売命(さはぢひめのみこと)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)品牟都和気命(ほむつわけのみこと)一柱(ひとはしら)(また)旦波比古多多須美知宇斯王(たにはのひこたたすみちのうしのみこ)(の)(むすめ)氷羽州比売命(ひばすひめのみこと)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)印色之入日子命(いにしきのいりひこのみこと)【印色二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】次大帯日子淤斯呂和気命(おほたらしひこおしろわけのみこと)【淤(よ)り気(まで)五字(いつもじ)(こえ)(もち)てす】次大中津日子命(おほなかつひこのみこと)倭比売命(やまとひめのみこと)若木入日子命(わかきいりひこのみこと)五柱(いつはしら)(また)(そ)氷羽州比売命(ひばすひめのみこと)(の)(おと)沼羽田之入毘売命(ぬばたのいりびめのみこと)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)沼帯別命(ぬたらしわけのみこと)伊賀帯日子命(いがたらしひこのみこと)二柱(ふたはしら)

伊久米伊理毘古伊佐知命いくめいりびこいさちのみこと磯城しき(奈良盆地の東南部)の玉垣たまかきみや(纒向珠城宮まきむくのたまきのみや)にいらっしゃり、天下を治められました。

この天皇は、沙本毘古命さほびこのみことの妹の佐波遅比売命さはじひめのみことめとられ、御子みこ品牟都和気命ほむつわけのみことが生まれました。

一柱ひとはしらです。

また、旦波たんば(丹波)の比古多多須美知宇斯王ひこたたすみちのうしのみこの娘、氷羽州比売命ひばすひめのみことめとられ、御子みこ印色之入日子命いにしきのいりひこのみこと大帯日子淤斯呂和気命おおたらしひこおしろわけのみこと大中津日子命おほなかつひこのみこと倭比売命やまとひめのみこと若木入日子命わかきいりひこのみことが生まれました。

五柱いつはしらです。

また、その氷羽州比売命ひばすひめのみことの妹、沼羽田之入毘売命ぬばたのいりびめのみことめとられ、御子の沼帯別命ぬたらしわけのみこと伊賀帯日子命いがたらしひこのみことが生まれました。

二柱ふたはしらです。

又娶其沼羽田之入日賣命之弟 阿邪美能伊理毘賣命【此女王名以音】生御子 伊許婆夜和氣命 次阿邪美都比賣命【二柱 此二王名以音】又娶大筒木垂根王之女 迦具夜比賣命 生御子 袁邪辨王【一柱】又娶山代大國之淵之女 苅羽田刀辨【此二字以音】生御子 落別王 次五十日帶日子王 次伊登志別王【伊登志三字以音】又娶其大國之淵之女 弟苅羽田刀辨 生御子 石衝別王 次石衝毘賣命 亦名布多遲能伊理毘賣命【二柱】凡此天皇之御子等十六王【男王十三女王三】

又其沼羽田之入日売命(ぬばたのいりびめのみこと)(の)(おと)阿邪美能伊理毘売命(あざみのいりびめのみこと)(こ)女王(めのみこ)の名(こえ)(もち)てす】(めあは)(あ)れまし御子(みこ)伊許婆夜和気命(いこばやわけのみこと)阿邪美都比売命(あざみつひめのみこと)二柱(ふたはしら)(こ)二王(ふたみこ)の名(こえ)(もち)てす】又大筒木垂根王(おほつつきたりねのみこ)(の)(むすめ)迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)袁邪弁王(をざべのみこ)一柱(ひとはしら)】又山代(やましろ)大国之淵(おほくにのふち)(の)(むすめ)苅羽田刀弁(かりはたとべ)(こ)二字(ふたもじ)(こえ)(もち)てす】(めあは)(あ)れまし御子(みこ)落別王(おちわけのみこ)五十日帯日子王(いかたらしひこのみこ)伊登志別王(いとしわけのみこ)【伊登志三字(みもじ)(こえ)(もち)てす】又(そ)大国之淵(おほくにのふち)(の)女弟(むすめおと)苅羽田刀弁(おとかりはたとべ)(めあは)(あ)れまし御子(みこ)石衝別王(いはつくわけのみこ)石衝毘売命(いはつくびめのみこと)亦名(またのな)布多遅能伊理毘売命(ふたぢのいりびめのみこと)二柱(ふたはしら)(おほよそ)(こ)天皇(すめらみこと)(の)御子(みこ)(ら)十六王(とはしらあまりむはしらのみこ)男王(をのみこ)十三(とはしらあまりみはしら)女王(めのみこ)(みはしら)

また、その沼羽田之入日売命ぬばたのいりびめのみことの妹、阿邪美能伊理毘売命あざみのいりびめのみことめとられ、御子みこ伊許婆夜和気命いこばやわけのみこと阿邪美都比売命あざみつひめのみことが生まれました。

二柱ふたはしらです。

また、大筒木垂根王おおつつきたりねのみこの娘、迦具夜比売命かぐやひめのみことめとられ、御子みこ袁邪弁王おざべのみこが生まれました。

一柱ひとはしらです。

また、山代やましろ大国之淵おおくにのふちの娘、苅羽田刀弁かりはたとべめとられ、御子みこ落別王おつわけのみこ五十日帯日子王いかたらしひこのみこ伊登志別王いとしわけのみこが生まれました。

三柱みはしらです。

また、その大国之淵おおくにのふちの娘、弟苅羽田刀弁おとかりはたとべめとられ、御子みこ石衝別王いわつくわけのみこ石衝毘売命いわつくびめのみことまたの名は布多遅能伊理毘売命ふたじのいりびめのみことが生まれました。

二柱ふたはしらです。

全部でこの天皇の御子みこは、十六柱のみこです。

男王は十三柱、女王は三柱。

故大帶日子淤斯呂和氣命者治天下也【御身長一丈二寸 御脛長四尺一寸也】次印色入日子命者 作血沼池又作狹山池又作日下之高津池 又坐鳥取之河上宮 令作横刀壹仟口是奉納石上神宮 卽坐其宮定河上部也 次大中津日子命者【山邊之別三枝之別稻木之別阿太之別尾張國之三野別 吉備之石无別許呂母之別高巢鹿之別飛鳥君牟禮之別等祖也】次倭比賣命者【拜祭伊勢大神宮也】

(かれ)大帯日子淤斯呂和気命(おほたらしひこおしろわけのみこと)(は)天下(あめのした)(をさ)(なり)(み)身長(みたけ)一丈(ひとつえ)二寸(ふたき)(み)脛長(はぎたけ)四尺(よさか)一寸(ひとき)(なり)】次印色入日子命(いにしきのいりひこのみこと)(は)血沼(ちぬ)(いけ)作り又狭山(さやま)(いけ)作り又日下之高津(くさかのたかつ)の池作らむ又鳥取(ととり)(の)河上(かはかみ)(みや)(ま)横刀(たち)壱仟口(ちくち)作ら(し)(こ)石上(いそのかみ)神宮(かむみや)奉納(をさめまつり)(すなは)(そ)(みや)(ま)河上部(かはかみべ)定む(なり)大中津日子命(おほなかつひこのみこと)(は)山辺之別(やまのへのわけ)三枝之別(さきくさのわけ)稲木之別(いなきのわけ)阿太之別(あだのわけ)尾張国(をはりのくに)(の)三野別(みののわけ)吉備(きび)(の)石无別(いはなすのわけ)許呂母之別(ころものわけ)高巣鹿之別(たかすかのわけ)飛鳥君(あすかのきみ)牟礼之別(むれのわけ)(ら)(みおや)(なり)】次倭比売命(やまとひめのみこと)(は)【伊勢の大神宮(おほかむみや)拝祭(おろがみまつる)(なり)

そして、大帯日子淤斯呂和気命おおたらしひこおしろわけのみことは天下を治められました。

身長は一丈二寸、すねの長さは四尺一寸です。

次に印色入日子命いにしきいりひこのみことは、茅渟ちぬ池、狭山さやま池、日下くさか高津たかつ池を作りました。

また、鳥取ととり河上かわかみの宮にいらっしゃり、横刀たち壱仟口(千ふり)を作るよう命じ、これを石上いそのかみの神宮に奉納しました。

そして、その宮におられて、これを河上部かわかみべとしました。

次に大中津日子命おおなかつひこのみことは、山辺別やまのへのわけ三枝別さいぐさのわけ稲木別いなきのわけ阿太別あだのわけ、尾張の国の三野別みののわけ、 吉備の石无別いわなすのわけ許呂母別ころものわけ高巣鹿別たかすかのわけ飛鳥君あすかのきみ牟礼別むれのわけらの先祖です。

次に倭比売命やまとひめのみことは、伊勢の大神宮を拝み祭られました。

次伊許婆夜和氣王者【沙本穴太部之別祖也】次阿邪美都比賣命者【嫁稻瀬毘古王】次落別王者【小月之山君三川之衣君之祖也】次五十日帶日子王者【春日山君高志池君春日部君之祖】次伊登志和氣王者【因无子而爲伊子代定伊部】次石衝別王者【羽咋君三尾君之祖】次布多遲能伊理毘賣命者【爲倭建命之后】

伊許婆夜和気王(いこばやわけのみこ)(は)沙本(さほ)穴太部之別(あなほべのわけ)(みおや)(なり)】次阿邪美都比売命(あざみつひめのみこと)(は)稲瀬毘古王(いなせびこのきみ)(とつ)がむ】次落別王(おつわけのみこ)(は)小月之山君(をつきのやまのきみ)三川(みかは)(の)衣君(ころものきみ)(の)(みおや)(なり)】次五十日帯日子王(いかたらしひこのみこ)(は)春日山君(かすかやまのきみ)高志(こし)池君(いけのきみ)春日部君(かすかべのきみ)(の)(みおや)】次伊登志和気王(いとしわけのみこ)(は)因无子(こなきによりて)(しかるに)(これ)子代(このしろ)(し)伊部(いべ)定む】次石衝別王(いはつくわけのみこ)(は)羽咋君(はくひのきみ)三尾君(みをのきみ)(の)(みおや)】次布多遅能伊理毘売命(ふたぢのいりびめのみこと)(は)倭建命(やまとたけるのみこと)(の)(きさき)(な)す】

次に伊許婆夜和気王いこばやわけのみこは、沙本さほ穴太部之別あなほべのわけの先祖です。

次に阿邪美都比売命あざみつひめのみことは、稲瀬毘古王いなせびこのきみに嫁がれました。

次に落別王おつわけのみこは、小槻山君おつきのやまのきみ、三河の衣君ころものきみの先祖です。

次に五十日帯日子王いかたらしひこのみこは、春日山君かすがやまのきみ高志こし池君いけのきみ春日部君かすかべのきみの先祖です。

次に伊登志和気王いとしわけのみこは、子が無いため、子の代わりに伊登志部いとしべを定められました。

次に石衝別王いはつくわけのみこは、羽咋君はくいのきみ三尾君みおのきみの先祖です。

次に布多遅能伊理毘売命ふたぢのいりびめのみことは、倭建命やまとたけるのみこときさきになられました。

此天皇以沙本毘賣爲后之時 沙本毘賣命之兄沙本毘古王問其伊呂妹曰 孰愛夫與兄歟 答曰愛兄 爾沙本毘古王謀曰 汝寔思愛我者將吾與汝治天下 而 卽作八鹽折之紐小刀 授其妹曰 以此小刀刺殺天皇之寢 故天皇不知其之謀而 枕其后之御膝爲御寢坐也 爾其后以紐小刀爲刺其天皇之御頸 三度擧
而不忍哀情不能刺頸而 泣淚落溢於御面

(こ)天皇(すめらみこと)沙本毘売(さほびめ)(もち)(おほきさき)(な)(の)沙本毘売命(さほびめのみこと)(の)(せ)沙本毘古王(さほびこのみこ)(その)伊呂妹(いろど)問曰(とひいは)孰愛夫与兄歟(つまといろせといずれをやうつくしみせむ)答へ曰(いは)(いろせ)(うつくし)みむ(かれ)沙本毘古王(さほびこのみこ)(はか)りて(いは)(いまし)(まことに)(わ)(うつくし)思ふ(は)(まさ)(あれ)(と)(なれ)天下(あめのした)(をさ)(しかるに)(すなは)八塩折(やしほをり)(の)紐小刀(ひもかたな)作り(そ)(いも)(さづ)(いは)(こ)小刀(かたな)(もち)天皇(すめらみこと)(の)(ね)しを刺し殺せ(かれ)天皇(すめらみこと)(そ)(の)(はかりごと)不知(しらず)(しかるに)(そ)(おほきさき)(の)御膝(みひざ)(ま)御寝(みね)為坐(します)(なり)(かれ)(そ)(おほきさき)紐小刀(ひもかたな)(もち)(そ)天皇(すめらみこと)(の)御頸(みくび)為刺(ささむとし)三度(みたび)(あ)(しかるに)(かなし)(こころ)不忍(しのびず)不能刺頸(みくびさすをあたはず)(しかるに)泣涙(なみたしながれ)(おいて)御面(みおもて)落ち(あぶ)

この天皇が、沙本毘売さほびめを皇后となされたとき、沙本毘売命さほびめのみことの兄沙本毘古王さほびこのみこは妹に、問いました。

「お前は、夫と兄のどちらを愛すか。」

妹は、答えました。

「兄を愛しますわ。」

そこで、沙本毘古王さほびめのみことはかりごとを、告げました。

「お前が本当に私を愛しいと思うのなら、私とお前で天下を治めよう。」

そして、八塩折やしおおりの小刀を作り、妹に授け言いました。

「この小刀を使って、天皇の寝ているところを刺し殺せ。」

さて、天皇はそのはかりごとを知らぬまま、皇后の膝を枕にして寝ておられました。

そこで皇后は、小刀で天皇の御頸みくびを刺そうとして、三度みたび小刀を振りあげました。

しかし、哀れと思う気持ちに耐えられずにくびを刺すことができず、流した涙は御面みおもてに落ち、あふれました。

乃天皇驚起 問其后曰 吾見異夢 從沙本方暴雨零來急沾吾面 又錦色小蛇纒繞我頸 如此之夢是有何表也 爾其后以爲不應爭 卽白天皇言 妾兄沙本毘古王問妾曰 孰愛夫與兄 是不勝面問故妾答曰愛兄歟 爾誂妾曰 吾與汝共治天下故當殺天皇云而 作八鹽折之紐小刀授妾 是以欲刺御頸 雖三度擧哀情忽起不得刺頸而 泣淚落沾於御面必有是表焉 爾天皇詔之吾殆見欺乎

(すなはち)天皇(すめらみこと)驚起(おどろき)(それ)(おほきさき)に問ひて(いは)(われ)(あやしき)(いめ)見ぬ沙本(さほ)(かた)(ゆ)暴雨(むらさめ)(ふり)(き)(はや)(わが)(おもて)(ぬ)れぬ(また)錦色(にしきいろ)小蛇(をへみ)我が(くび)纒繞(まつは)らむ如此之(かくのごと)(いめ)(これ)有何表(なにをやあらはし)(なり)(かれ)(その)(おほきさき)不応争(あらそふべくもあらず)(もち)(な)(すなは)天皇(すめらみこと)に言ひ(まを)
(わらわ)(いろせ)沙本毘古王(さほひこのみこ)(わらわ)に問ひ(まを)さく孰愛夫与兄(つまといろせいずれやをし)(これ)不勝面(おもかたざる)(とひ)(ゆえ)(わらわ)答へ(まを)さく愛兄歟(いろせをやをす)(かれ)(わらわ)(いど)みて(まを)さく(わ)(と)(いまし)共に天下(あめのした)(をさ)めむ(かれ)天皇(すめらみこと)当殺(ころしまつれ)(い)ひし(しかるに)八塩折(やしほをり)(の)紐小刀(ひもかたな)作りて(わらわ)に授く是以(こをもちて)御頸(みくび)欲刺(ささむとし)雖三度挙(みたびあげども)(かな)(こころ)(たちまち)起こり不得刺頸(みくびをえささずして)(しかるに)御面(みおもて)(おいて)泣涙(なみたしながれ)落ち(ぬらし)む必ず有是表(このあらはれ)(なり)(かれ)天皇(すめらみこと)(これ)(のたまはく)(われ)(ほとほと)見欺乎(あざむかれや)

すると天皇は眼をさまし、皇后にお尋ねになりました。

「私は異な夢を見た。沙本の方からにわか雨が降って来て、あっという間に私のおもてを濡らした。また小さな錦蛇にしきへびが私のくびまとわりついた。このような夢は、一体何を表わしているのだろう。」

こう言われた皇后は、もうあらがうことはできないと思い、天皇にこう申し上げました。

「わらわの兄沙本毘古王さほひこのみこは、わらわに『お前は夫と兄、どちらを愛するか。』と問いました。これを、あまりに厳しい表情で問われたので、わらわは『兄を愛します。』と申してしまいました。そこでわらわをそそのかし、『私とお前が共に天下を手にするために、天皇を殺すべし。』と申し、八塩折の小刀を作り、わらわに授けました。これを使って御頸を刺そうとして、三度みたび振りあげたのですが、悲しい気持ちがたちまちに起こり、御頸みくびを刺すことができず、涙が御面みおもてに落ち濡らしてしまいました。このことの表れに違いありません。」

天皇は、仰りました。

「私はほとんどだまされるところであった。」

乃興軍擊沙本毘古王之時 其王作稻城以待戰 此時沙本毘賣命不得忍其兄 自後門逃出而納其之稻城 此時其后妊身 於是天皇不忍其后懷妊及愛重至于三年 故廻其軍不急攻迫 如此逗留之間其所妊之御子既產 故出其御子置稻城外 令白天皇若此御子矣天皇之御子所思看者可治賜 於是天皇詔雖怨其兄猶不得忍愛其后 故卽有得后之心

(すなはち)(いくさ)(おこ)沙本毘古王(さほひこのみこ)撃ちし(の)(そ)(きみ)稲城(いなき)作り(もち)(いくさ)待てり(こ)の時沙本毘売命(さほひこのみこと)(そ)(せ)不得忍(えしのばず)後門(しりつかど)(よ)り逃げ(いで)(しかるに)其之(その)稲城(いなき)(をさ)(こ)の時(そ)(きさき)妊身(はらみ)たり於是(こにおいて)天皇(すめらみこと)(そ)(きさき)懐妊(はらみたり)(および)(いつくしみ)(おいて)(かさぬる)三年(みとせ)に至り不忍(しのびず)(かれ)(そ)(いくさ)(めぐ)らせ不急攻迫(すみやかにせめず)此如(このごと)逗留(とどま)りし(の)(ま)(そ)(はらみし)(ところ)(の)御子(みこ)(すで)に産まれし(かれ)(そ)御子(みこ)(いで)稲城(いなき)(と)に置き天皇(すめらみこと)令白(まをさしむらく)(も)(こ)御子(みこ)をば/矣/天皇(すめらみこと)(の)御子(みこ)所思看者(おほしめさば)可治賜(をさめたまふべし)於是(こにおいて)天皇(すめらみこと)(のたまはく)(そ)(このかみ)(うら)むれ(ども)(なほ)(そ)(きさき)(うつくしみ)不得忍(えしのばず)(かれ)(すなは)(きさき)(の)有得(えたり)

このようにして軍勢をおこし、沙本毘古王さほびこのみこを攻撃した時、そのみこ稲城いなきを作って構え、戦を待ちました。

この時沙本毘売命さほひめのみことは兄を忍ばれず、後門から逃げ出して稲城いなきに入りました。

この時、皇后は懐妊しておりました。

ここに、天皇は皇后が懐妊し、また愛を重ねること三年に至ることに忍びず、軍勢で包囲しながら、攻撃を躊躇ためらっておりました。

こうして留まっている間に、妊娠していた御子は既に産まれました。

そこで、その御子を出して、見えるように稲城いなきの外に置き、天皇にこう申し上げさせました。

「もしこの御子を天皇の御子と思し召されば、お収めください。」と。

それに対して、天皇は「皇后の兄は怨むが、なお皇后を愛することに忍び難い。」と仰りました。

このようにして、皇后の希望を受けれました。

是以選聚軍士中力士輕捷而宣者 取其御子之時乃掠取其母王 或髮或手當隨取獲而掬以控出 爾其后豫知其情 悉剃其髮以髮覆其頭 亦腐玉緖三重纒手 且以酒腐御衣如全衣服 如此設備而抱其御子刺出城外 爾其力士等取其御子卽握其御祖 爾握其御髮者御髮自落 握其御手者玉緖且絶 握其御衣者御衣便破 是以取獲其御子不得其御祖 故其軍士等還來奏言 御髮自落御衣易破亦所纒御手玉緖便絶 故不獲御祖取得御子 爾天皇悔恨而惡作玉人等皆奪其地 故諺曰不得地玉作也

是以(こをもち)軍士(つはもの)(あつ)めし(なか)力士(ちからひと)軽捷(ときつはもの)(え)(しかるに)(のたま)ひし(は)(そ)御子(みこ)取らむ(の)(すなはち)(そ)母王(ははみこ)掠取(かすめとら)(あるは)(あるは)手に(あた)(まにまに)取獲(とらえ)(しかるに)(にぎ)(もち)(ひ)(いだ)(しかり)(そ)(きさき)(あらかじめ)(そ)(こころ)知り(ことごと)(そ)(かみ)(そ)りて(かみ)(もち)(そ)の頭(おほ)(また)(くさ)りし玉緖(たまのを)三重(みへ)手に(まつ)(かつ)(さけ)(も)ちて(くさ)らし御衣(みころも)(ごと)(またく)衣服(きものつけ)此如(このごと)設備(そなへ)(しかるに)(そ)御子(みこ)(むだ)(き)(と)(さ)(いで)(しか)して(そ)力士(ちからひと)(ら)(そ)御子(みこ)取り(すなは)(そ)御祖(みおや)(つか)まむとす(しか)して(そ)御髪(みかみ)(つか)(ば)御髪(みかみ)(おのづ)落ち(そ)御手(みて)(つか)(ば)玉緖(たまのを)(かつ)(た)御衣(みころも)(つか)(ば)御衣(みころも)便(たやすく)破る是以(こをもち)(そ)御子(みこ)取獲(とらえ)(そ)御祖(みおや)不得(えず)(かれ)(そ)軍士(つはもの)(ら)(かへ)り来て(こと)(まを)さく御髪(みかみ)(おのづ)落ち御衣(みころも)(たやす)く破れ(また)御手(みて)(ところ)(まつひ)玉緖(たまのを)便(たやす)く絶え(かれ)御祖(みおや)不獲(えず)御子(みこ)取得(とらう)(ゆえ)天皇(すめらみこと)悔恨(くい)(しかるに)(たま)(あ)しく作りたる人(ら)(みな)(そ)(ところ)(うば)はる(かれ)(ことわざ)(まを)不得地(ところをえぬ)玉作たまつくり(なり)

そのため精鋭の兵を集合させ、その中から腕力のある者や敏捷びんしょうな者を選び、このように言われました。

「御子を受け取る際に、その母をかすめ捕えよ。髪でも手でも、手に触れ次第取って握み、引っ張り出せ。」

けれども皇后は、その意図を予想し、ことごとくその髪をり、髪でその頭を覆い、また朽ち果てた玉のを三重に手に巻き、さらに酒を使って腐らせた御衣のごとくして、全身を整えました。

かくの如く準備して、御子を抱き城の外に差し出したので、腕力の者たちがその御子を取り、同時にその御母を握もうとしました。

ところが、その御髪を握めば御髪は自然に落ち、その御手を握めばまた玉緖がちぎれ、その御衣を握めば御衣は容易く破れました。

こうしてその御子は取り、その御母は取り得ませんでした。

そしてその兵らは戻り、このように申し上げました。

「御髪は自然に落ち、御衣は容易く破れ、また御手に装着した玉緖は容易くちぎれ、その結果御母は得ず、御子を得ました。」

それゆえ天皇は悔い恨み、玉を粗製した人たちは、皆その居住地を奪われ、追放されました。

ここから「所を得ぬ玉つくり(玉すり)」ということわざが生まれました。

亦天皇命詔其后言 凡子名必母名何稱是子之御名 爾答白 今當火燒稻城之時而火中所生故其御名宜稱本牟智和氣御子 又命詔 何爲日足奉 答白 取御母定大湯坐若湯坐宜日足奉 故隨其后白以日足奉也 又問其后曰 汝所堅之美豆能小佩者誰解【美豆能三字以音也】答白 旦波比古多多須美智宇斯王之女名兄比賣弟比賣 茲二女王淨公民故宜使也 然 遂殺其沙本比古王其伊呂妹亦從也

(また)天皇(すめらみこと)(そ)(きさき)(みことのり)(ごと)(おほせ)(おほよそ)(みこ)名必ず母(なづくる)(こ)(みこ)(の)御名(みな)(なづ)(かれ)答へ(まを)し今(まさ)(ほ)稲城(いなき)焼かむ(の)(しかるに)(ほ)(ところ)(うまれ)(ゆえ)(そ)御名(みな)(よろしく)本牟智(ほむち)和気御子(わけのみこ)(なづけ)(また)(みことのり)(みこと)(なに)(し)日足(ひた)(まつ)らむ(かれ)(そ)(きさき)白(まを)し(まにまに)(もち)日足(ひた)(まつ)(なり)(そ)(きさき)に問ひ(まを)(な)(ところ)(かた)(の)美豆能(みづの)(を)(おび)(は)(た)(と)く【美豆能三字(みもじ)(こえ)(もち)てす(なり)答へ(まを)旦波(たには)比古多(ひこた)多須美智(たすみちの)宇斯王(うしのみこ)(の)(むすめ)兄比売(あにひめ)弟比売(おとひめ)(ここ)二女王(ふたみこ)(きよ)(おほやけ)(たみ)(かれ)(よろしく)使ひし(なり)(しか)して(つひ)(そ)沙本比古王(さほひこのみこ)殺さむ(そ)伊呂妹(いろど)(また)(したが)(なり)

また、天皇は皇后への伝言を命じました。

「だいたい御子の名は、母が名付けるものである。この子の名を何と名付けるか。」

それにお答え申し上げました。

「今、まさに稲城を焼こうとする時です。火中にて生まれたので、その名は本牟智和気御子ほむちわけのみこと名付けます。」

また詔を伝えさせました。

「その養育のために、何をしたらよいか。」

その問いに申し上げました。

「乳母を取り立て、大湯坐おおゆえ(入浴や養育の任に当たる上位の女性)・若湯坐わかゆえ(下位の女性)を定め、養育してあげてください。」

そして、皇后の申し上げたままに、養育しました。

また皇后に問われました。

「お前が堅く締めた瑞の小帯は、誰が解くのだ。」

その問いに申し上げました。

旦波たんば(丹波)の比古多多須美智宇斯王ひこたたすみちのうしのみこの娘、名前は兄比売あにひめ弟比売おとひめ、 この二人の女王みこは、聖浄にして公に仕える民でありますから、どうか仕えさせてください。」

このようなことのあと、とうとう沙本比古王さほひこのみこは殺され、妹もまた兄にじゅんじました。

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Posted by 風社