見出し画像

支流からの眺め

原爆慰霊碑の碑文の誓いを叶える

 8月6日と9日は、日本人が、いや世界中の人々が忘れてはならない日である(他に日本人が忘れてはならない日には、8月15日の終戦記念日と6月23日の沖縄戦の終結日があろう)。それは、史上最大の戦争犯罪が起こった日である。加害者は、その戦争の勝者となり現世では免罪されているが、彼らの信仰する神はどう審判するのだろうか。しかし、ここで原爆投下を糾弾しようという訳ではない。戦争行為の正当性は、勝ち負けの都合で決まる(勝者が正しい)からである。

 では、この悲劇をどうとらえたらよいのか。その示唆は、広島平和都市記念碑(通称、原爆死没者慰霊碑:昭和27年8月6日設立)の下、原爆死没者名簿(32万人以上を収録)を納めた石棺の正面にある石碑に掘られた碑文にあろう。曰く、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。この文面は、当時の広島市長(浜井信三)が広島大学教授の雑賀忠義に作成依頼したものである。ただ、その後半部分に議論の余地がある。つまり、この「過ち」が誰のどの行為を指すのかである。

 過ちが原爆投下であれば、行為者は米国である。過ちが当時の戦争を指すのであれば、行為者は参戦したすべての国々である。しかし、碑文の作成には日本人だけが関与した。つまり、行為者としては日本が想定されている。すると、ここでいう過ちとは、日本が犯したとされる帝国主義的なアジア諸国への侵略行為を意味するのか。原爆投下は、東京裁判で有罪とされた悪辣な共同謀議の報いであった、だから恨むなら軍国主義者を恨めということになるのか。この意味であれば異論も出よう。

 これに対し、浜井市長は当初から、「過ちとは戦争で、主語は全人類」としている。昭和58年には、「碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」という説明板も設置された。つまり、主語は日本人を含むすべての人びとであり、その不戦の誓いの言葉ということである。

 この誓いは荘厳な理想である。戦争とは人類同士の殺し合いであり、悲惨で残虐な破壊である。この残虐さの極致、史上の最大値が、原爆投下である。この最大の悲惨な戦禍を味わった者が眠る地で、その恩讐のかなたに平和を願い戦争の放棄を誓っている。碑文の英文である「Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil」のWeは全人類とされる。この解釈によって、2016年には現職の米国大統領(当時オバマ氏)の初の訪問も可能となった。

 しかしこれでは、原爆を投下した米国やトルーマン大統領の責は薄まる。戦争を遂行した当時の日本の支配者層や天皇陛下の責も不明確になる。戦禍に苦しんだ人々の恨み・復讐感情はどうなるのか。綺麗事では済むまい。また、もし犠牲者に語らせるならば、「繰返しませぬ」ではなく「繰り返させませぬ」でなくてはならない(繰り返す者が誰かは別にして)。石碑の破損事件が最近でも起こるのは、政治的な理由だけではなく、やり場のない不満・怨念が残っているからだろう。

 被爆した日本であれば、理想を語る資格はある。しかし、戦争は人類の宿業で、現実の人類史は戦争史である。幸い日本は1945年以降戦争の当事者を免れているが、これは異例な僥倖なのである。米国は常に世界のどこかで戦争に加担しているし、他の覇権国もそうである。被爆者の悲願、不戦の誓いを叶えようとすれば、現実には、戦争を仕掛けられない・仕掛けられても乗らないようにするしかない。原爆を落とされた先の戦争も、そもそも米英から仕掛けられたのである。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「世情の評論」カテゴリーもっと見る