イギリスに作られた国?【イラク共和国】これで歴史が分かる!

お勉強
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皆様こんにちは!蝦夷パパです。今回も歴史を要約しますよ〜

 

今回は世界の国シリーズ、17カ国目は【イラク共和国】です。

イラク共和国の誕生までを要約しました。

100年単位でざっくりと見てもヨシ!

各世紀ごとにしっかりと見るもヨシです!!

それでは基本の「き」から行きましょう〜

 

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基本の「き」

公用語…アラビア語、クルド語

首都…バグダッド

面積…437,072km2

人口…40,222,503人

検索候補TOP3…戦争、戦争原因、軍事行動

 

それでは歴史を紐解いていきましょう!

※カタカナがいっぱい出てきてややこしいので、人名には”さん付け”してます。

 

1〜6世紀…現イラク地域にササーン朝が興る

・ササーン朝とはイラン高原、メソポタミアを支配した帝国です。

・最大時は現代のイランとイラクのすべてを統一してました。

7世紀…預言者ムハンマドさん登場、イスラム王朝の時代

・東ローマ帝国に敗れてササーン朝は弱体化する。

預言者ムハンマドさんが現代のメッカ郊外でイスラム教を興す。

祈りを続けたムハンマドは40歳ときに、初めて神から啓示受けたそうですヨ

・ニハーヴァンドの戦いでイスラム軍がササーン朝を撃破する。

8〜9世紀…アッバース朝が幅を利かせる

・アッバース革命が起きる。

・ムスリムに平等な権利を与えて、イスラム黄金時代を築く。

・その代わりアラブ人の特権は無視される。

・インフラが物凄く発達し、首都バグダッドは産業革命より前では世界最大の都市だった。

・因みにムスリムとはイスラム教徒のこと。

10〜12世紀…イスラム国家がバラバラに

・ファーティマ朝、後ウマイヤ朝がそれぞれカリフを名乗りイスラム国家は分裂する。

・ファーティマ朝はイスラム教の中のシーア派の中のイスマーイール派建国したイスラム王朝です、何言ってるかは僕もわかりません。

・後ウマイヤ朝はイベリア半島に蘇ったウマイヤ朝の復活版、アッバース革命のときにやられてる。

・そもそもカリフとはイスラム国家の最高権威者の称号を指し、それを皆で争ったというはなし。

13〜14世紀…モンゴル系がイラク地方にやってくる

チンギス・ハーンさんがモンゴル帝国を作り、アジア諸国を攻め落とし勢いそのままにイラクに突っ込んでくる。

・イスラム国家は滅亡し、モンゴル帝国の地方政権としてイルハン朝を設立する。

・イルハン朝第7代君主のガザンさんがイスラーム教徒の支持を求めてイスラーム王朝へと改宗する。

・ティムール朝が中央アジアからイランぐらいまでを支配する。後にイスラーム化したイルハン朝も支配する。

・因みにティムール朝は、チンギス・ハーンの次男のチャガタイ・ハンが君主をしていた国の軍事指導者をしていたティムールが興した王朝。

15世紀…トルコ系がガンガン行こうぜ状態

・ティムールさんがお逝きになってから、トルコ系イスラム王朝の黒羊朝がイラクを支配する。

・その後同じ系列の白羊朝が支配権を握る

なんだか、メェメェと聞こえてくるような

・因みに王朝名は部族名をトルコ語から直訳したものだが意味はふめぇ〜です。

(例え→白羊朝=アク・コユンル…白い羊に属する者)

・この頃、東ローマ帝国はトルコ系のオスマン帝国に滅ぼされる。

16〜19世紀…オスマン帝国がイラクを掌握する

・オスマン帝国がイケイケの時代

・東はアゼルバイジャン、西はモロッコ、南はイエメン、北はウクライナと、ちょ〜広範囲で支配を広げた。

↓ちょいと宣伝ですニヤリ

・19世紀後半では経済力が周辺国に比べて落ち込む。

20世紀…イギリスの悪知恵、振り回されるアラブ人、遂にイラクが独立

・第一次世界大戦でオスマン帝国はイギリス軍に敗れる。

・サイクス・ピコ協定によりオスマン帝国領だったアラブ地域を分割してイギリスが統治する。

・しかし、フサイン=マクマホン協定を組んでいたアラブ人は激怒する。

・ざっくり解説↓

サイピコ協定はフランス・イギリス・ロシアでオスマン帝国領を分けようと結託したもの。

フサマク協定はイギリスがオスマン支配されていたアラブ人に、「協力してくれたら、アンタ方にも領土あげるよ」と約束したもの。

矛盾することやっちまいました、そりゃ怒るよね。

・勝手に分けられたアラブ人の反感を抑えるためにイギリスの推しメンを王にして、イラクを王国として独立させる。

・そんな王はアラブ人に好かれず、軍事クーデターが起こり虐殺される。ここから君主国から共和国に変わる。(旧イラク国と言われる)

・9.11同時多発テロのときにイラクは大量破壊兵器を保有しているとされ、米英軍により滅多滅多にされて国が滅亡する。

・アメリカ領にされていたがイラク暫定政権が発足してから新・イラク共和国として再スタートを果たす。

最後に

皆様、お疲れさまでした。

今日のイラク共和国は、つい最近の建国だったのです。

そして、イギリス主導のサイクス・ピコ協定により、勝手に国境線を作られた「人工国家」だったのです。

それまではイラクという国は無かったのですから…

読み返して見て下さい、出てきません。つかれたって?見なくていいですよぉ、明日は違う国でも見に来てくださいね

 

これにて17 ヵ国目【イラク共和国】を終わりとします。

ご覧頂き有難う御座いました。  

 

 

↓大変参考にさせて頂きました!

イラクの歴史 – Wikipedia

イラクとは – コトバンク

イラク王国/イラク共和国 – 世界史の窓

 

※掲載している情報は記事更新時点のものです。

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