遍路

寺や思い出に今の自分を重ねる 区切り遍路43日目④

白滝か?採石場か? 区切り遍路43日目③からの続きです。

 

横峰寺から2度目となる白滝ルートを下り、61番札所横にある高嶋神社境内を通り過ぎます。

人には相性があるのでしょうか、俺は寺に興味を持つようで神社に対しては全く無関心であります。

高嶋神社を出ると目の前には香園寺の巨大なコンサートホールのようなコンクリートの塊が目の前にあります。

グルッと回る形で香園寺正面に辿り着くと、非常に人が多いことに驚きました。

子ずれが目につきますが、子供の何かの日なのでしょうか?

香園寺には子安大師が祀られていたと思うので、その由来で子連れが多かったのでしょう。

荷物の大きい2人と荷物を背負う2匹の登場に周りは反応しますが、ガン無視を決めて本堂まで歩きます。

後ろからは荷物を背負う犬に気が付いた瞬間「プっ」っと噴き出す声も聞こえてきました。

 

とりあえず、俺は犬と共に本堂前で待機して、お山さんは2階へと上がって行きました。

何度も書いていることではありますが、俺にとって88ヶ所は重要ではない上に、殆んど記憶の中に存在しております。

状況によってはこうして本堂、大師堂共に手前で手を合わせることもあるのです。

一通り読経を済ませてベンチに腰掛けてお山さんを待っていると、俺達に興味を持った人が数名話しかけに来ました。

「ずっと歩いてるのですか?」

「子供に犬を触らせて貰っていいですか?」

全然構わないのですが「ずっと歩いているのですか?」と言う問いに対して、

「区切って」とか、「今回は」とか、何を話していいものか結構難しいのです。

只でさえコミュ障なのでそうあるのですが、「今回は区切って歩いてます」と答えてみたら何故か変な間が開きました。

「あれっ?」っと、よく考えてみると、ここは四国であってもこの人が四国の人とも限らないし、遍路に理解のある人とも限りません。

意外と遍路を知らない四国の人の方が多いと思いますが、そんな人に「区切って」と答えても「?」となるのです。

何と答えたらいいのかしら?

そんなことに気を取られていたのでしょう。

香音寺の写真を撮り忘れております。

本当に人が苦手で怖く、恐ろしく…、人に気を取られて、ちんぷん。

 

香園寺を後にして50mも歩けば香園寺第二駐車場…、あの忌まわしき礼拝所跡地を通り過ぎます。

八十八ヶ所霊場会内部の騒ぎによって我々遍路が振り回されたあの事件。

礼拝所をここに置いて、とりあえず”スタンプ”押しとけー!的なあの発想が、未だに受け入れられません。

お山さんの納経帳には礼拝所の朱印が押され、62番札所宝寿寺の朱印はありませんが、そんな騒動にたった1度の遍路で巻き込まれた人はどれ程存在しているのでしょう?

「礼拝所の朱印はレア」と言う人もいますが、確かにそうでもあるけど、なんだかねぇ…。

“スタンプ”集めに来てるわぇじゃねえんだからよぉ。

そんなことや、あんなことがあって、88ヶ所から離れる遍路も結構見かけます。

そんな忌まわしきこの地ではありますが、寺密集地と言うこともあり貴重な遍路石も数多く残っておりました。

61番札所から62番札所、63番札所は2km未満の間隔であります。

そこへ向かう道も少し違う道を選び、遠回りになりますが遍路石を見て歩きます。

その途中で「小腹が空いた」と、あと少しなのに「何か食べさせろ」と言い出した人がいたので「もう少しなのに…」と複雑な気持ちで駐車場で待つことにしました。

その時の気持ちを忘れないためにこの写真を残そうと駐車場でシャッターを切ります。

そして辿り着いたお騒がせ坊やな62番札所宝寿寺ちゃん。

かれこれ10年以上前から何か違和感のありすぎたこのお寺。

何故か境内に工事用バリケード、そして”がらーん”として使われている気配の無い本堂と大師堂。

納経所の休憩時間とスロースタートな朝はいつになってもかなり有名な話題。

そして起きてしまった礼拝所事件。

「八十八ヶ所におかえりなさい」と言うより、俺はまだここの境内に足を踏み入れる気にはなれませんでした。

お堂の目の前に威圧的に置かれた黒い納経所、入口に設置された黒い柵。

何か違うだろと俺は駐車場で待つこととし、心の中で”自分なりに理解した神”に手を合わせて読経します。

そして自分の姿をこの宝寿寺に重ね「信用を取り戻すことはそんなに簡単なことではなく、時間がかかること」と口に出し、自分を戒めます。

 

そんな俺に宝寿寺から出てきたお山さんがこう言いました。

 

お山さん「遍路石がいっぱいあったよ」

 

俺「えっ!?どこ?ちょっと行ってくる!」

 

幸いその遍路石は境内に入る手前にあり、敷居を跨がずに済みました。

またそのうち、どす黒い建物が消えた頃、お参りさせて頂くこととします。

その頃には俺はもう遍路はしてません!(願い)

木々の隙間から、懐かしい昔の納経所を見る。

宝寿寺よりも、当時の自分、母、息子が思い出される。

こんな俺にもあった、遍路が全く分からなかった時代。

必死だったあの頃が懐かしいなぁ…。

今は腐っとる。

次の近距離にある63番札所へ、歩きにくい国道を歩き進みます。

犬を連れているととても気を遣う道。

犬にとって車や、路側帯は理解できるはずもなく、自由気まま。

「危ない!」と引っ張れば、綱引きとなる。

そんな道にウンザリしながら辿り着いた63番札所吉祥寺。

ご覧の通り、本尊は四国八十八ヶ所唯一の毘沙門天。

この名を聞くと俺はすぐに上杉謙信をイメージしてしまいます。

特に好きでもない武将ではありますが、この数か月後に上杉の城をいくつも旅することはこの時まだわかっておりませんでした。

毘沙門天は多聞天とも呼ばれ、持国天、増長天、広目天と共に四天王の武神である。55番札所山門にその四天王が立っている。それが独尊となると毘沙門天と呼ばれる。因みに俺はごぼう天が意外と好きである。

 

四国八十八ヶ所唯一の本尊と言えば数ヶ所存在するが、真言を全く覚えていないのがこの毘沙門天である。

「おん べいしらまんだや そわか」

四国八十八ヶ所唯一の本尊と言えば、弥勒菩薩(14)、文殊菩薩(31)、大通智勝如来(55)、毘沙門天(63)、馬頭観音菩薩(70)、でしょうか。9番札所の涅槃像も唯一と言われますが、あんなの釈迦が寝てるだけやー!そんなこと言ったら馬頭観音は観音菩薩が怖い顔に変化しただけやー!

 

さて、突然ですが今回の旅は今日が最終日となり、明日には宮崎に帰らなくてはいけません。

と言う訳で時刻は16時前、次の64番札所前神寺が今回の打ち止めのお寺となります。

次のお寺まで3kmと少しなので時間的にも丁度いい感じですね。

さぁ、今治から歩いて来た今回の旅の総仕上げとしましょう!

 

お山さん「すぐそこに駅がある。もう心折れたからここまでにしよう」

 

はい。

いつものことです。

俺は突然終えることとなった寂しさを抑え、吉祥寺から鼻と目と口の先にある伊予氷見駅で次の電車を待ち、今治駅まで車を回収に向かいます。

毎度のことながら、「鍵は忘れていないだろうか?」「車は傷ついてないだろうか?」「電車に上手に乗れるだろうか?」「早く戻って来てあげなくては!」と、ただ単に車を回収しに行くと言っても不安を感じないことではありません。

本来なら2人で電車で戻れる話も犬が2匹いるため別行動となり、時間も何倍か必要となります。

電車に乗り、いつものように車窓から懐かしい風景を「歩いたなぁ…」としみじみ見つめます。

臼井御来迎の目の前を通過し、あの時を思い出す。

今治駅に着けば、母を思い出す。

四国の何処も色んな思い出が詰まりすぎてます。

そして今治駅で車を回収してすぐに伊予氷見駅に戻り「寒い」と震える一人と2匹を回収します。

そこから64番近くの湯之谷温泉へ。

あの頃、ここの宿で怒り狂った思い出を思い出しながら湯船に浸かりました。

当時の俺は今以上に人を恐れ、ひきこもり、自分の弱さを隠すためと、その恐れを否認するように強がり、浴槽を囲むように座っていた刺青集団に怒り狂ってしまったのです。

強くなくてはならなかった。

負けてはいけなかった。

引いてはいけなかった。

幼い俺を殴る親父の拳には”そう”ありましたが、その拳すら親父の”恐れ”がこもっており、その劣等感が幼い俺に伝播したのでしょうね。

あろうことかその怒りは宿の手配を頼んだ当時の妻や母にまで及び、その思い出により書きかけの自転車遍路の記録はストップしたまま数年が経っております。

俺の人生は恐れを土台としておりました。

その恐れが”怒り”や”攻撃性”となっていたのは今ならわかること。

そんなことを考えながら、今回の旅で歩いて来た道を逆に走り、22時頃内子の河川敷キャンプ場に到着し、明日乗る船の時間に備えて眠りにつきました。

 

これにて今回の遍路は終わり。

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