自分を生きる良い子の「生うた」第53話

https://youtu.be/5GMFBxxIv_8

誰の世界観?もう外に向って、探し回るのやめませんか?
生き辛さの考察、構造分析をしてみます。

「世界観」それは言い換えれば、思い込みとか幻想とか宗教とか
習慣、教育、マスコミによる洗脳から創られる認識と言えるかもしれない。

宗教観を例にとって、その違いを見てみましょう。
1.我が国には、神道という独自の宗教観があります。
私流に簡単に解釈すると、それは「アニミズム」八百万の神々
ものにも心の精神とか和の精神的な言い換えができるのではないかと。
実際は、深く調べたわけでもありません。
ただ私個人の頭の中のイメージはそれです。

2.その後、仏教伝来。
仏陀という開祖がいて、その教えをお経で伝える。
いわゆる葬式仏教でなくて、本来は「仏様」に仕える
この世の真理に導く教え?のように解釈しています。
さぞ、心安らかになるのでしょう。

3.また、キリスト教においては、ユダヤ教の分派?
キリストの有名な復活みたいな話から
「神の下にみな平等」という思想。
ローマ帝国が国教としたため勢力が一気に拡大。
中世ヨーロッパで、異端の宗教を上塗りする形で多神教から
一神教への改宗が進んだようだ。
しかし日本では、それほど広がらなかったようだ。

問題は、そのキリスト教的思想の国に敗戦したので
その背景を持った公教育やマスコミをはじめ、資本主義的な
システムが「神道」「仏教」の上に乗っかって多重構造になっているということだ。

葬式では、仏教、しかしながらクリスマスもあり
長幼の序とか言う形で途中で儒教的な考えも入り乱れと。
「個性発揮」とその言葉、真に受けてやったら「出る杭は打たれる」と

多重構造。

世界観って「観念」「概念」「思い込み」「幻想」・・・。
無いっちゃない。有るっちゃある。
無いようで有る、有るようで無い。
「空」の世界。ややこしい。

資本主義や共産主義とか
神とか仏とがご先祖とか愛。
結局なんでもいいけどその人が何を信じているかどうか?
そして、何を動機に動くかどうか?

その世界観さえうまく創造出来たら
新しい世界は創造できると思いませんか?
「みんながそう思ってるだけ」っていうの本当に不思議
認知症になったらどんどん今までと違う言動になっていくのは
認知、認識が変わるから。

AIを使う側になるか?使われる側になるか?
お金も一緒。使う側か、使われる側か?
言葉も一緒、それをどう使うか?活用方法!

みんながお金と思い込んでいるものの正体は何か?
ただの紙切れ、銀行の数字にみんなが踊らされる。
国債なんてどう考えても税金で返してないでしょ。
借り換えしてるだけ、永久国債にしたらいいだけ。

結局、誰かの都合が悪いから
「未来の子供に負担を強いるな」的なマスコミの
物言いに洗脳されてる。

じゃ、どうしたらいいか?
自分の内面にアクセスして、自分の感性、感覚、直感を磨くしかない。
それが、その人にとっての真実だから。

「和の精神」言い換えれば「いい人という名前の国民病」
または「いい人の仮面付けた本音と建て前分裂神経症」

どうしてそうなった?昔、我々の先祖は天皇の臣民だったから
主権なかったから、天皇の持ち物。
戦後、人間宣言の後キリスト教国家「アメリカ」の軍門に下り
主語を持った人々の公教育システムやマスコミの制度が導入された。

上手いことやりよったなと。
でも、土台の世間という社会システムは目に見えない形で残り
表面上、民主主義のシステムになった。
本質は、属人ことなかれ、対立するなかれ、グレーにしとけ主義。

既得権益者には、寄らば大樹の陰で歯向かえないシステムになっている。
対立が最も損する行為。
だから、デモとかストとか他の国に比べたら割に合わない。

自分を愛して生きるために必要なもの
それは、本音を素直に話せる安心安全の人間関係
それは、どのにある?

条件付きの愛ではない。
あなたの存在そのものとつながる「BEの関係」

無償の愛・・・。
そんなもん簡単に見つかったら誰も苦労しないわ・・・。
だから困っとんねん。

そう私も思っていました。
外に目を向けてばかり、もらおうとばかりしていたら無理だった。
しかしながら、唯一最初に愛するべき存在
それは「自分」じゃないですか!

自分だけは騙せない。
自分だけは、やめられない。
だから、その自分という存在をまずは大事にしませんか?

「世間」とは「同じ時間軸」を生きる人々の
「上意下達」の一方向、下剋上対立は「損する」
他律的自立の世界。

神とか仏とか、天とか先祖、愛なんでもいい
それとつながり自分を愛すことができれば
「根っこが自分の中につながった感覚」がある。

自分を抑圧して、他人世界の「間借り」をしなくていい
自分の世界をもっていい。
いや、自分の世界を持たなければ
他者と違いを知らなければ自分を生きられない、愛せない。

「自分がない」のに、どうやって他者世界を尊重できるのだ。

まずは、自我を育てること
しかし、これが世間という「対立は損する」世界ではなかなかできない。
結果的にみんな「いい人の仮面」つけな損するから。

よって、表面上の対立は見えなくなる
空気で動くようになる。
本音と建て前を分離して、腹の探りありになる
風見鶏のように、パワーバランス、ポジショントークで疲れまくる。

自分の意志と言葉を尊重していますか?
されてますか?

自分とみんなの境界線ありますか?

「それ、常識やで!」とか
「言わなくても、見たらわかるやろ」とか言われて
むっとなったことないですか?

「見てもわからんから聞いてますねん」
「あなたの常識と私の常識は違いまんねん。」って言えたら
どんだけスッキリする世の中になるやろうね?

自分の世界がない人(他人世界に間借りし、名前つけられて生きる人)
自分の世界しかない人(言わゆる自己中、相手を物扱いする)
自他の世界が共認できる関係性の中にある人(自他の区別があり、意志、存在、言葉を
お互いに尊重できる)

まずは、自分の中にフォーカスして
自分の中に「素晴らしいもの」探すことから
はじめて見よう。

そう思って、今日は「いつも何度でも/木村 弓」を聞いて
自分を感じています。
https://youtu.be/HnixYctruHg

10年以上前、この歌聞いてなぜだか涙が止まらなくなっている自分がいました。
当時の自分では、言語化できなかった。
でも何か感じていたんです、確かに心に何か感じました。
でも今やっとわかりました。言語化するって真実に向き合うこと。
スッキリします。そして、自分が好きになりますよ。皆さんは、何か感じましたか?
あなたの中に何か「輝くもの」素晴らしいもの見つかりましたか?
もう外に向って、探し回るのやめませんか?

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