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「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」という言葉がありますが、やはり歴史について学ぶ事が、人のとってとても大事な事だと思います。 ここでは個人的な趣味として、この歴史について綴っていきたいと思いますので、お時間がある方はお付き合い下さい。
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ここでは日本の歴史を中心として、様々な事を書いてみたいと思います。
私が歴史を学んだのは、学生時代の事でしたが、そこで学んだ歴史というのは、あまり役立つものでもなく、興味を引くものもありませんでした。
しかし五十代を超えた今になり、やはり歴史という事を学ぶ事が、実は社会で生活する上でも大事な事では無いかと感じ始めています。その事から、まずは「趣味」として歴史を書いていく場が欲しいと思い、このブログを立ち上げる事にしました。

思いつくまま、様々な歴史的な事を書いていきたいと思っていますので、お時間のある方は、お付き合い頂ければ幸いです。

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昨今(2022年現在)の世情は何かときな臭くなってきています。日々テレビで報道されていますが、ロシアによるウクライナ侵攻は未だ終わりが見えません。ヨーロッパではNATOとして一切、直接介入はしていないものの、ウクライナへの経済的な支援や軍事物資の支援は潤沢に行われています。
 ロシアは国連の安全保障理事会の常任理事国であり、国際的には強い力を持っています。また保有している核兵器の数量ではアメリカを上回るものであり、このロシアが起こしているウクライナ紛争へ各国の関わり方で、少しでも間違いがあれば「第三次世界大戦」の勃発も危惧されています。

 戦後七十年の間、ここ一ヵ月の間が一番この世界大戦勃発の危機感が高まっていると言っても過言ではない国際情勢となっているのです。

 その様な中ですが、ここ最近、日本国内で言われているのは「敵基地攻撃能力」の事とか、「核兵器の共有」という事です。この何れにしても「日本国憲法」の改正無くしては、まともに進められない議論なのですが、恐らく今の日本人の中で、その事を認識出来ている人はどれだけいるのでしょうか。

 私は徹底した「護憲派」ではありません。個人的に今の日本国憲法というのは理想論的な部分も多く、今の国際社会の中では馴染まない部分があると考えています。その具体的な事は「憲法九条」ですが、その事について今回の記事では割愛致します。

 だから憲法改正を進めるべきとも考えるのですが、それを行うには国民的な議論がどうしても必要になってきます。しかし今の日本社会では、この憲法改正の議論が出来る素地が無いと私は感じているのです。そしてその一番の原因は、やはり日本人の中に「歴史観」が無い事、特に近代史に対する歴史観は皆無に等しいものだと思うのです。そしてもう一つは、過去に思想家である中江兆民も述べていた「わが日本、古より今に至るまで哲学無し。哲学無き人民は何事なすも深遠の意無くして浅薄を見れず」という事にあります。

 もしこの様な状況で憲法改正を行ってしまえば、恐らく一部の既得権益者に向いた内容になってしまう事はあっても、けして日本国の為になる内容にはならないと思います。そうであれば現代には完全にそぐわない状況であっても、現・日本国憲法を維持するしかない。だから憲法は守らなければならない。そういう意味での「護憲」という考え方になっているのです。

 こういう観点から、歴史を学ぶ事の重要性を今こそ考えなければならないと私は考えていますし、そこで一番学ぶべきは江戸時代末期から明治以降の近代史だと思うのです。しかしこの近代史にしても、その素地になってくるのは、それまでの日本の歴史となります。その事から、ここでは日本の歴史について取り扱っていきたいと考えているのです。

 その取っ掛かりとして、平安時代末期の平家政権あたりから、まずは見ていきたいと思います。

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 今年(2022年)の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」です。
 私は大河ドラマでは「龍馬伝」以降、「平清盛」は見ていましたが、それ以降はあまりみていませんでした。しかし今年の大河ドラマの「鎌倉殿の13人」は、結構、ドはまりして毎回みています。

 私は「鎌倉時代」と聞いて理解していたのは、日本での武家政権が始まった時代という事だけであり、学生時代には「良い国作ろう(1192年)鎌倉幕府」という語呂合わせで記憶していた位で、あとは将軍である源頼朝が落馬して亡くなってから、その直系は三代で終わったという程度のものでした。

 「鎌倉幕府」なんて「幕府」という名前が付いている事から、どうも私の中では江戸時代の「徳川幕府」の様な印象を受け、その統治についても徳川幕府のイメージを強く持っていましたが、この鎌倉幕府に至る道筋、また当時の日本の統治機構について、今回の大河ドラマを見て、認識を改める処が多くあったのです。

◆武士は豪族だった
 武士を英語では「samurai」と言いますが、ここには恐らく幕末(江戸時代末期)に日本に来た欧米人のイメージが強くあると思います。私の中にある武士のイメージも、これに準じた内容で、例えば「主従」「切腹」そして「武士道」という言葉で表されます。いわゆる「武士(もののふ)」の姿ですね。
 しかしこの様式美と言って良いのか、そこは様々な意見があると思いますが、これは江戸時代に成立していたもので、私のもつ武士像というのも、この内容に拠るものでした。大河ドラマで、例えば「龍馬伝」に出てきた侍も上士・下士(これは後にまた書いてみたいと思いますが)の差はあれど、この江戸時代に成立していた姿でした。

 ただし「鎌倉殿の13人」に出てくる武士とは、いわゆる「豪族」であり、それぞれの地域の有力者が武装していた人達で、鎌倉時代には、この豪族の中で鎌倉殿(将軍)との主従関係を結んだ御家人と呼ばれる人達との間には、将軍との間には「御恩と奉公」という関係性がありました。これは豪族が所有する領地を幕府が安堵(認める)する。豪族がその見え帰りとして幕府に対して奉公するという関係性です。

 これは江戸時代の大名と将軍の関係とは、似て非なるものでは無いでしょうか。

 ドラマの中で、佐藤浩市氏が演じる「上総広常」は「おれは素直だ。素直というのは利で動くという事だ」というセリフを言っていましたが、これは当にこの「御恩と奉公」という考え方の元になるものではなかったのでしょうか。

 こういう処が、私は個人的にとても興味を引かれたところです。要は鎌倉時代はまだ武士(もののふ)という価値観は完全には成立していなかったという事ですからね。当然、平家物語等に書かれている武士には、その原型こそありましたが、こういう事は私もあまり意識をしていない処だったのです。

 という事で、これからこういった事なども、このブログではつらつらと書いてみたいと思っていますので、よろしくお願いします。

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