「人生、何を成したかよりどう生きるか」・「後世への最大遺物」を読んで | 今日は何を読むのやら?(雨彦の読み散らかしの記)

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名言集好きな人間が、本屋でこういうタイトルの本が平積みになっているのを見かけると、そのまま通り過ぎるわけにはいきません(笑)

 

 

キリスト教思想家である内村鑑三が、明治27年に箱根の芦ノ湖畔で行った講演録は、「後世への最大遺物」という本になっています。

本書はそれを「現代語」で抄訳し、解説を加えたもので、若い世代の読者を意識して書かれています。

 

「後世への最大遺物」の原文は明治の文章なので、若い人にはちょっと読みづらいかもしれません。

 

原文には、こういう一節があります:

 

「私には何も遺(のこ)すものはない。

事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、

ものを教えることもできない。

そうすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。

それならば最大遺物とはなんであるか。

 

私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、

そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、

利益ばかりあって害のない遺物がある。

 

それは何であるかならば

勇ましい高尚なる生涯である

と思います。

これが本当の遺物ではないかと思う」

 

「人生、何を成したかよりどう生きるか」というこの本のタイトルは、

内村鑑三の言葉を短くまとめた、「意訳」と言っていいかも知れません。

 

現代語訳としてわかりやすくなっているとは思いますが、「勇ましい高尚なる生涯」とは何を指すのか、内村鑑三自身の言葉でもう少し詳しく読んでみたくなります:

 

「勇ましい高尚なる生涯」とは:

 

「すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、

神が支配する世の中であるということを信ずることである。

 

「失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。

この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。」

 

神とか悪魔とかの話はよくわかりませんが、それでも、「希望をもって生きる」という考え方には共感できる気がします。

 

戦争や、災害、様々な社会問題・・・

平穏な日々への願いが裏切られ、希望をもって生きることが苦しい時に、それでも希望を捨てずに生きることは、それ自体が勇ましく、尊い。

 

内村鑑三自身、学校の教員時代に起きた事件で職を失うなど、様々な挫折を経験した人でしたが、一方で当時の青年たちに、思想面で大きな影響を与えています。

彼自身、「勇ましい高尚なる生涯」を体現した人だったのではないでしょうか。

 

 

内村鑑三が、明治の中頃に芦ノ湖畔の夏期学校で行った講演を「現代語訳」し、解説を加えたのは、現代の「知の巨人」・佐藤優。

 

本書の後半部分の「解説」は、内村鑑三の言葉をときどき引用していますが、むしろ解説者自身の思想を自由に語っていて、さながら佐藤優先生の「授業」のようになっています。

 

講演録である「後世への最大遺物」にインスピレーションを受けて書かれた本に違いないのですが、解説の内容は、そういうレベルを超えています。

 

内村鑑三がしたように、若い世代に対して、いかに生きるべきかを説くのなら、現代であればこういう言葉をかけるのではないかという思いで書いています。

 

ただ、佐藤優という人は膨大な情報量を持っている人なので、どうしても彼自身の蘊蓄があふれ出しています。

また、マルクスの経済理論など、自分の得意分野の知識も語らずに済ますこともできません。

そういう現代人のためのアレンジがなければ、この本が世に出ることもなかったでしょうし、実際、その部分に興味を感じて読む人もいると思います。

一方で、読者の中には、余計なおしゃべりが多いと感じる人もいるのではないでしょうか。

 

そのあたりが気にならなくはありませんが、この本の試み(時代に埋もれかけた思想家に再び光を当て、今を生きる人の知恵として生かそうとする試み)自体には、意味があると思います。

 

内村鑑三はキリスト教の思想家ですが、この講演録は、宗教や信仰には距離がある人にとっても、読みやすいものになっています。

 

また、「人生、何を成したかよりどう生きるか」というタイトルとは裏腹に、もしできるなら「人生において何を成し、何を残すべきか」についても説いています。

 

それは、

1.     お金(財産)

2.     事業

3.     思想(教育、文学)

であるといいます。

 

最初に来るのが「お金」というのもちょっと意外ですが。

現世的な成功を否定していないところは、見落としてはいけないポイントです。

ただ、この3つのどれ一つを遺せなくても、それでも遺すことのできるものはある、というのが彼の主張です。

 

キリスト教徒である内村鑑三は、自分に問いかけます。

天国に行くことのみを念じ、現世には欲望を持たず、無名に、清貧に生きることだけが正しいことなのか。

 

「そのときに私の心に清い欲が一つ起ってくる。

「私がどれほどこの地球を愛し、どれだけこの世界を愛し、どれだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである」

「われわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして往きたいです。

この世の中にわれわれの Memento(思い出・記念品)を遺して逝きたいです」

 

この率直でストレートな言葉が、最も心に響いてきます。

 

時代を越えて、現代の人の心を動かす言葉が、ここに確かに遺されているのではないでしょうか。

 

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