「芭蕉という修羅」(嵐山光三郎著) | 今日は何を読むのやら?(雨彦の読み散らかしの記)

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松尾芭蕉は、誰もが知る俳人であり、奥州を旅して詠んだ俳句をつづった紀行文・「おくのほそ道」でも有名ですが、その一方で、広くには知られていない面も持ち合わせた人のようです。

 

この本は、一般には知られていない芭蕉の実像に迫ろうとするものですが、若い頃の芭蕉が「遊び人であった」ことや、俳句の弟子との色恋沙汰など、意外な素顔を浮かび上がらせます。

また、芭蕉が江戸幕府の隠密としての任務を帯びて奥州への旅に出たという、「裏の真相」の解明も試みています。

 

現代と違い、日本国内の旅であっても危険で過酷なものであった時代に、それでもなお、名句を得ようと各地を歩き続ける姿には、「修羅」のように鬼気迫るものがあります。

それを「風狂」と呼ぶのなら、芭蕉はまさにそれを実践した人であり、「おくのほそ道」という紀行文を通して、後世に遺した稀有な人ということでしょう。

 

荒波や佐渡によこたふ天の河

 

奥州の旅の後半で日本海側に出た芭蕉は、佐渡島の対岸にある新潟の出雲崎(いずもざき)を訪ねます。

その日の夜は雨だったと、旅に同行した芭蕉の門弟(曽良)が日記に書いているので、実は芭蕉は天の川を見ていないといいます。

雨が降らなくても、荒波の日は出雲崎からは佐渡は見えないが、「荒波や・・・」の句は、芭蕉の内面に描かれた宇宙である。

「見えないもの」を見るのが芭蕉の目玉で、芭蕉の眼前にあらわれる風景は、「見えるものではなく感じるもの」である。

天からの啓示のように、句が降ってきた。

句が波しぶきをあびながら芭蕉の面前に舞い降りてきたのだった・・・

 

 

また、有名な「古池や蛙飛こむ水の音」の句の解釈も:

蛙は池の上から音を立てて飛び込まない。池の端からするり、と音を立てずに水中に入っていく。

蛙が音をたてて池へ飛び込むのはヘビなどの天敵や人間に襲われそうになったときだけである。絶体絶命の時だけ、ジャンプして水中に飛ぶのである。

とすると芭蕉が聴いた音は幻聴ではないだろうか。あるいは観念として「水の音」を制作したことになる・・・

これは意表を突かれる指摘です。

この句で芭蕉が何を詠もうとしていたのか、あらためて考えさせられます。

 

芭蕉は、この句を詠んだ深川に移り住む前は、日本橋という日の当たる場所で、昼は神田上水の普請工事に携わり、夜は俳句の師匠として弟子たちに囲まれ、充実した暮らしをしていました。

ところが、芭蕉の後ろ盾となっていた有力者が、江戸の政治的な争いの中で立場が危うくなったせいで、芭蕉も身を守るために、当時は沼地と草むらだらけだった深川のあばら家に隠棲を余儀なくされます。

そして、江戸の大火で家を焼け出され、隅田川(小名木川)に飛び込んで難を逃れるという目にも遭っています。

 

そう考えると、古池に飛び込んだ蛙の姿に、芭蕉自身が重なって見えてきます・・・

 

 

著者はかつて、軽妙なエッセイやテレビでのコメントで知られた人で、正直なところ、この本を読むまでは軽佻な印象しかありませんでした(失礼しました(笑))。

 

この本では、著者が芭蕉の足跡を追う熱量に圧倒されますが、「風狂の俳諧師」の素顔に迫ろうとする著者自身にも、「修羅」の気配が漂うのを感じました。

 

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今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 


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