骨董商Kの放浪(24)

 昨日の大騒動をよそに、僕らは充分な睡眠をとって快適に目覚めた。「あー、寝た、寝た」才介は大きな伸びをしたあと、「おい、K。朝飯食いに行こう」と跳ね起きた。「おまえ、昨日あれだけ食ったのに。起きた途端、飯かよ」

 昨晩は、ママが中環(セントラル)にある潮州料理をご馳走してくれ、僕らはたらふく食べたのだ。「いやー、あれは美味しかった。潮州料理って、初めてだったよ」「おれもさ。何か、家庭の味って感じで」「うん。今日も潮州料理でいいぞ!」才介は着替えを始める。「どこで食べんの?」僕の問いに、「昨日のお粥の店だよ。美味かっただろ?」それを聞いて僕も「よし!行こう」と軽快にベッドから降りた。

 時刻は8時半。しかし、すでに細い通りには大勢の人が歩いている。僕は才介のあとについて路地をまたぎながら進む。「ここだ!」決して衛生的とはいえない小さな店のなかは、ひとでごった返している。才介はその間をすり抜けるようにして厨房の前に立った。

 激しく立ち上がる湯気の向こうには、三人の男が忙しく身体を動かしていた。才介の顔を見るなり、その店主らしき背の高い男が声を掛けた。何にするかと訊いているようだ。才介は厨房のなかに何種類か並んでいる寸胴鍋を覗き込んで考え込む。「昨日食った黒いゆで卵の粥は、これかな」と指さしながら、その横のカウンターで食べている男の粥に目をやり、「これも旨そうだな」その様子を見て店主が大声で訊く。「チキン?」それを聞いて才介は「これは鶏肉か」と言って軽く手を打つ。すると店主が「エッグ?、チキン?」と尋ねる。それに対し才介は両手を動かしながら「両方!両方!」と返す。そのしぐさが通じたのか、店主は「オッケ、オッケ!」と声を張り上げる。それを見て僕が思わず吹き出していると、店主が「ビーフ?」と訊いてきた。僕が「おい、ビーフもあると言ってるぞ」と才介に言うと、才介は店主の顔を見て「全部、全部!えーと、オール、オール!」と手を広げる。すると店主は、「オール?オッケ、オッケー!」と大きく笑って、どんぶりに三種類の粥を混ぜて入れた。僕も「セーム、セーム」と言う。店主は頷いて、山盛りのどんぶりを二つトレイの上に置いて差し出した。才介は、トレイを持ちながら隅のテーブルへと向かう。その途中に厨房の横にある細長いパンのようなものが目に入った。僕が「この揚げパンみたいなの美味しそうだぞ」と言うと、「それも、買お、買お」と、才介は顎を忙しそうに前に突き出した。それも加えて僕らは腰かけて食べ始めた。「美味い!」続いて揚げパン。「これ、うまっ!」才介は食べながら「おれ、毎食これでいいぞ。何しろ、めっちゃ安だから」と言って笑った。そのとき僕の携帯が鳴った。僕はポケットから取り出して見つめる。きっとSaeからだろう。僕は微笑んで電話に出ると、男の声が聞こえた。「Kさんですか?」「は、はい」それは、オークションハウスのE氏からだった。

 僕は話を聴き終えると、才介に知らせた。「Eさんから。10時半に会場の入口で待ってるって」「あれ?確か約束は今日の午後じゃなかったっけ?」「うん。でも10時半に来てくれって」「まあ、こちらは特に予定もないし。そしたら、先にオークションの下見するか」僕らは、揚げパンをちぎって粥に入れきれいに平らげた。

 

 オークション会場のあるビルディングは、尖沙咀(チムサーチョイ)からフェリーに乗り湾仔(ワンチャイ)で下船。そこからすぐのところにある。ホテルから尖沙咀のフェリー乗り場まで歩いて5分。フェリーの所要時間は7分。運航はだいたい10分間隔でされているので、ホテルから20分もあれば、現地に到着できる。非常に便利。僕らは、ビクトリア・ハーバーの風に吹かれながら、あっという間に香港島に到着。そこから坂道を上がり、建物入口からなかへ。ただ、そこからが遠かった。

 「何ちゅう、建物だよ。デッカいなあ」遥か上の天井を見上げて才介は驚きの声。正式名は、香港會議展覧中心(Hong Kong Convention and Exhibition Centre)。ビクトリア湾に突き出る湾仔(ワンチャイ)地区の最突端の膨大な敷地を埋め立てて建設され、今から8年前の1997年には、ここで中国香港返還の式典が行われた。内部には、高さ51階の超高層ビル、会議施設、展示施設、ホテル、コンドミニアムなどが併合されている。8万平米を超える膨大な面積だ。

 オークション会場は、この建物の5階の大ホールにある。僕らは、巨大なスタジアムのような内部をさまようようにして目的地へ向かう。会場までは、案内表示にしたがって、一際長いエスカレーターを乗り継ぎ、ようやく5階に到着。そこから100メートル先に、豪奢なエントランスがみえた。

 僕らが近づくと、入口に立っているスーツ姿の眼鏡の男性がお辞儀。「おはようございます」と、カタログを手にしたE氏は笑顔で出迎えた。挨拶のあと、E氏は先導。大手オークションハウスだけあって、設営がゴージャス極まりない。僕らは身を縮めるようにしてあたりを窺いながら進む。左手のオークション開催会場を横目で見ながら、僕らは右手の下見会場へ。そこにはいくつか会場が設営されている。これから始まるいろいろなジャンルの会場になっているようだ。僕は、ジュエリーやバッグ、中国絵画などの展示品に目をやりながら、一番奥の中国工芸品の会場に入った。

 10時開場にもかかわらず、すでに多くのひとたちが展示ケースのところで下見をしていた。E氏はその中央を進みながら、突き当りまで行くと右に折れ、バックヤードへと入っていった。僕らもあとに続く。そこは、VIP用の個室が並んでおり、その一室に僕らは通された。「どうぞ、お座りください」E氏に促され、僕らは白い布地の大きな一人掛けソファにそれぞれ腰を落とす。クッションの弾力が高級感を伝える。目の前の円卓も、同様の厚手の白い布に覆われている。「ここで、少しお待ちください」E氏はいったん部屋を出る。才介を見ると、椅子の半分ほどのところに腰を掛け、背筋を伸ばして貧乏ゆすりをしている。僕も非常に落ち着かない気分。すると才介が小声で「おい。150万のモノ一点出したくらいで、何だよ、この待遇は」と訊く。「うん。確かに」僕も同意見。

 

 ほどなくして、E氏が戻ってきた。手には、オークション名の入った赤い小さな紙袋。それを白いテーブルの上に置いた。僕らはきょとんとし、E氏を見つめる。E氏は紙袋に手をやり僕に向かって「どうぞ」と言った。僕は紙袋のなかを覗いた。厚味のある白い封筒が入っている。僕はそれを取り出しなかを開いた。何とそこには、日本円で100万の束が三つ入っていた。それぞれに香港の銀行の帯封が付いている。僕が慌ててE氏を見やると、軽く微笑みながら「Sae様からです」と言った。Sae?「気兼ねなく使ってください、とことづかっています」「えっ!」横にいる才介が尋ねる。「Saeって、あのフレンチのお嬢か?」僕が頷くと、「どういうこと?」と才介。僕は、すぐにSaeに連絡しようと携帯を開いたとき、新着メッセージ有の知らせが入っていた。Saeからであった。

 「Kさん。お疲れさまです。お金、Eさんから受け取ってください。お貸しいたします。でも、ちゃんと返してね 笑  ゆっくりでかまわないから。遠慮せずに、これで名品買って来てね」のあとに、絵文字が並んでいる。僕がその内容を才介に伝えると、「本当か?」と言って身を乗り出した。「それは、ありがたく使わせてもらおう。香港ママに借りるのも悪いと思ってさ。ああ、助かった」才介は、どずんと椅子に腰を落とした。「そうだな。そうさせてもらうか」僕は一先ず御礼の返信メッセージを打ち、あとで電話することに。送信が終わると、「おい、K。今度は失くすなよな」冗談めかした才介の言葉を受けて、僕はリュックの底に白い封筒を押し込んだ。

 

 「どうしますか?ここで下見しますか?」E氏が僕らに訊く。「えっ、でも、ここVIPの部屋ですよね?」おそるおそる訊く才介に、「ハハハ、気にしなくて大丈夫ですよ」とE氏は笑う。それでも…、と戸惑う僕の視線に見知った人物の姿が入った。個室の扉が開いていて、そこを通過するときに、そのひとがちらっと室内を覗いた瞬間に目が合ったのだ。向うもそう感じたらしく、引き戻ってきて部屋の入口に立って指をさす。「あっ、K君じゃない?」南青山の三代目だ。僕もびっくりする。「いらしてたんですか?」「うん。3日前。キミも来てたんだ」「はい。昨日着いて」「へえー、じゃあ、今日から下見?」「はい」「じゃあ、一緒に見ようか?」「いいんですか!」僕は横でかしこまる才介を紹介。「はじめまして。お名前はかねがね…」それに対し三代目は、すっと手を伸ばしにっこりと握手。皆が腰かけると、E氏はカタログを三代目の脇に置いた。三代目は頁をめくりながら、E氏に注文。E氏はそれにしたがい、部屋を出ていった。

 

 「今回の目玉は、これ、ですよね?」僕はカタログの表紙に指をさす。そこには色絵の杯がある。「うん。そうだね」三代目はこの作品が載っている頁を開いた。そこには、「豆彩(とうさい)葡萄文(ぶどうもん)高足杯(こうそくはい) 成化(せいか)在銘 明(みん)時代」と記されている。

 これは、明時代の成化帝(在位1465-87)のときに、景徳鎮(けいとくちん)官窯(かんよう)でつくられた磁器。官窯とは、宮中で用いる器(御器(ぎょき))を焼造した政府管轄の窯。

 明は、1368年から1644年まで中国を統治した長期政権国家で、洪武(こうぶ)帝から崇禎(すうてい)帝まで17代続き、その間、江西省にある景徳鎮を首座として優れた陶磁器が生産された。なかでも傑出しているのが成化年間の官窯磁器で、これは、悠久の歴史を飾る中国陶磁の最高位に置かれていると言っても過言ではない。その成化官窯のなかでも、特に声価の高いとされるのが「豆彩(とうさい)」と呼ぶ色絵磁器。

 色彩の施された磁器のことを、日本では「色絵」といい、中国では「五彩(ごさい)」というが、「豆彩」はこの「五彩」の一種。明時代の豆彩は極めて少なく、成化年間の作品がつとに名高い。数が非常に限られており、明時代後半期には、その希少性からすでに相当高価な値がついたとされた。よって成化豆彩は、官窯中の官窯として、その後の清時代(1644-1911)を通じ、皇帝の住まう紫禁城(しきんじょう)内に伝世した。そして、これらのうちの十数点が、1911年の清王朝崩壊の混乱期に市場に流出し、その後欧米をはじめとする名コレクターの手を経て、現在はそのほとんどが世界の著名な美術館に収蔵されている。したがって、マーケットに出る例はほんの一握り。手に取る機会は一生に一度あるかないかというレベルのもの、とされている。

 「凄いモノですね。手に取ってみたいなあ」僕の素朴な感想に、「うん。だから、今リクエストした」と、三代目はいとも簡単に答えた。「ええっ!」僕らは驚きのあまり顔を見合わせる。「実は、昨日見せてもらおうと来たんだけど、結構混んでて見れなくて。それで、今日の午前中なら大丈夫だろうと思って」すると、E氏が大事そうに両手で抱えて現れ、白い布が覆われたテーブルの上にそっと置いた。滅茶苦茶小さい。「おおっ」と僕らは小さな歓声を上げる。すかさず、僕はカタログに目を通す。高さ6.6センチ、口径7.9センチの杯の胴部には、淡い色彩で葡萄文様があらわされている。そして、その下に3センチほどの細い足が付く。一般に「高足杯(こうそくはい)」と呼ばれる器形。「小さいですね」という僕の言葉に、「そう。成化豆彩は、おおよそ小形のものに限られる」三代目は掌(て)のなかでゆっくりと回しながら絵柄を確かめている。

 「豆彩の最大の特色が、この青花(せいか)による文様の輪郭線にある」文様を指しながら説明。「普通、文様の輪郭線は、黒や赤の顔料で描かれるんだけど、豆彩は、染付のコバルトの青で描かれているんだ」僕も覗き込むように目を向ける。

 「青花」は日本では「染付」といわれる。コバルトを原材料にしており、青色に発色する。豆彩の場合、絵柄の輪郭線の色が青なので、そのなかに賦彩される色もおのずとソフトな印象になる。この杯には、葡萄と葉と蔦が描かれているが、葡萄は紫、葉は緑、蔦は黄色が使われている。それぞれが豆彩らしい淡雅な色調を呈していて、愛らしい美しさを醸し出している。僕は前にSaeのところで見た馬上杯を思い出した。あれは万暦年間(1573-1620)の豆彩であった。しかし、本歌はやはり比べものにならないほどのオーラを発している。

 「やっぱり、凄いな」掌のなかのモノを卓の上に戻して、三代目は僕らに目を向けた。「せっかくだから、触ってみなよ」「いいんですか?」「掌(てのひら)のなかで見れば大丈夫」僕はそっと手に取る。造りが薄いので軽い。文様は、小さいゆえそこまで精緻ではないが、やはり色彩が魅力的だ。なかでも、葡萄の葉に賦せられた緑色に惹かれる。

 「豆彩の名称は、この緑色釉が多く、これを中国では豆青色と呼ぶことから、その名がついたともいわれていて」三代目が説明。なるほど。なんともいえないこの緑色の柔らかなトーンが、気品を示している。他の色もそれぞれ調和をしており、洗練された高貴な美しさを感じる。これが最高峰の中国陶磁か。

 続いて、才介の前に置く。緊迫した面持ちで、杯の下部を両の手の指でもって固定し、自分の顔を動かすようにしてしげしげと眺めている。そして、「これって、評価額いくらついてるの?」小声で僕に尋ねた。僕は図録に目を落とす。そこには、「Estimate on Request」とある。高額商品に関しては、値は記載せず、直接オークション会社に問い合わせるのが通例となっている。これも当然そうしたモノ。僕が「ええと…」とE氏を見やると、「これは、2000万~3000万香港ドルです」と回答。僕は頭のなかで計算する。「ええっ!3億~4億5千万円!」それを聞いて才介は固まり、切れ切れに息を吐きながら、杯を手からゆっくりと離した。

 「これと同じ手のモノが台北故宮博物院にあります。おそらく一対でつくられたものでしょう。そういうこともあり、高い値を付けています」E氏の説明に、「実際は、その何倍かするだろうね」三代目は笑う。こんなに小さいモノが、3億円以上!僕は改めて中国陶磁のマーケットの大きさを知る。再び、三代目が手に取る。それを見て才介がつぶやく。「先に値段言われてたら、おれ、触る勇気でなかったよ」確かに。僕も深くうなずいた。三代目は笑みをみせながら「そうだね。さすがに、VIPルームでないと触れないかもね」とE氏を見やると、E氏は軽く頷いた。「めちゃラッキーでした。ありがとうございました」僕らは三代目に頭を下げる。

 

 それから一時間ほど三代目と一緒に下見をし、四人で昼食をとることになり。E氏の支度の間、三人は下見会場へ。三代目は知り合いに声をかけられ話しを始めたので、僕らは会場内をぶらついた。

 「そうだ。忘れてた。筆筒、見ようぜ」才介に言われ、僕もはたと気がつき、会場内を探す。広い会場の壁面にずらりと並んだ展示ケースを足早に見て回ったとき、朱漆の盆に目が留まった。僕が才介を呼ぶ。「おい、これ。熱海の市(いち)に出てたやつじゃないか?」才介もその盆を見つめる。「あっ、そうだ。あの時の堆朱屈輪(ついしゅぐり)盆だ」すぐに評価額に目をやると、「HKD500,000-700,000」とある。「750万から1000万くらいか」僕は言うと、才介は舌打ちをした。「確かあの時は、300万で落ちたから、あの京都の業者、上手くやったな」「中国モノは、こういうオークションを結構利用してるんだな」「客のいない業者は皆そうだろ」「まあ、おれたちもそうだけどな」それを聞いて才介は「まあね」と言いながら左頬をかいた。

 

 筆筒は、一つ隣の部屋の文房具類がかたまって置いてある展示ケース内に飾られていた。ケースの中央でスポットの光を浴びながら置かれている。強めの光線のせいか、物足りないと思っていた余白の白が引き立って見え、堂々とした風格すら感じさせる。細かな文房具類が勢揃いしている展示品のなかで、まるで主役のような顔をして鎮座している姿に、僕らはつい見惚れてしまった。

 「おい。こうやって飾ると、格好いいじゃん」才介は、腕を組んで満悦の表情を浮かべる。「この余白が大きいのがいいねえ」その才介の言葉に僕は吹き出す。「おまえさ、書き込みが足りないとか、贋物だとか、めっちゃけなしてたじゃん!」「ばかやろう、おまえだってそうだろ!」僕らの笑い声に周りのひとが目を向ける。「おい、まずい。ここは紳士淑女の集まるところだろ?」そう言って才介は周囲を見回す。「みんな金持ちそうじゃん」確かに身なりのよさそうなひとが多い。それを見て僕は言う。「このなかで一番貧乏なのは…、間違いなくわれわれだね」「うん。それだけは声を大にして言える。すでに借金までしてるしな。アッハハハ!」僕らはまた盛り上がる。

 すると、すらりとした妙齢の女性が僕らの後ろに立った。僕らは慌ててその場を空ける。彼女は、ケースのなかを見回すとスタッフに声をかけ筆筒を指さし、隣のカウンターテーブルで手に取って見始めた。中国の女性だろう。端正な顔立ちとウエーブのかかった長い髪、そして薄手の黄色いジャケットが印象的。そのクールな切れ長の眼が、筆筒の山水画に集中する。それを見て才介は「見ろよ。あの麗しい女性のもとへと行くかもしれんな」と、にやにやと笑い出した。

 

 「おーい、K君たち」三代目の声で僕らは会場出口へ。E氏がレストランへと案内する。センター内の有名なチャイニーズ。天井まである広いガラス張りから望むヴィクトリア湾の光景が、まるでパノラマ写真のように広がっている。室内は、中国風であるが実にモダンなつくりで上質な雰囲気を漂わせている。

 初めての香港である僕らに、三代目とE氏は、いろいろとポイントをアドバイスしてくれた。やがて、前菜が目の前に置かれる。そのなかのスライスした黒い卵を見て才介が「あっ」と声を出す。そして質問。E氏は「皮蛋(ピータン)ね。おいしいいですよね」「へえ、皮蛋ていうんですか。一瞬気色悪って思ったんですが、食べてみると旨いんですよね」それを聞いて僕は、「朝お粥食べたんですが、お店にあった揚げパンみたいなのが旨くて」と言うと、三代目が反応。「あれは、油条(ヤウティウ)って言って。僕も大好きで、必ず朝食のお粥に付けるよ」「美味しいですよね」「あと香港は、どこに行っても、スープは美味しい。どんな種類でも」「へえー」「それとフルーツかな」。

 そんな話を交えながら食事は進んでいった。僕と才介は、初めて食べる料理に舌鼓を打つ。食べながら三代目が訊いた。「午後は、どうするの?キミたち」僕と才介はいったん顔を見合わせたあと「骨董街に出向こうかと思ってます」と答えた。それを聞いて三代目は少し考えてから「じゃあ、僕も一緒に行こうかな。久しぶりに」「えっ、いいんですか?」「もちろん」僕らは喜ぶ。「それは、心強いです!」それに対し「あそこは初めてのひとには、かなりな難関だから。その方がいいよ」「やっぱり難関ですか?」僕の問いに、三代目は口元をゆがめながら深くうなずいた。

 「おおよそ知っていると思うけど。骨董街に構えている店で、ここは大丈夫というところはない。置いてある品物の7割は、贋物。全部贋物っていう店もいくつもある。そのなかでも信用できる店を何軒か連れていくけど、そこも100パーじゃない。でも、確実に質の高いモノがある店は、今日教える店。それを頭に入れてモノをみないと駄目だよ」三代目のその言葉を聴いて、僕は身が引き締まる思いになる。才介も同じ気になったようで、急に背筋を伸ばした。「ありがとうございます!」僕は胸の高鳴りを覚えながら、果汁が満ちたマンゴープディングを口に入れた。

 

 食事が済むとE氏は清算をして会場へ戻る。僕らは三代目と一緒にタクシー乗り場へ。荒い運転に耐えながら、15分ほどで目的地へ到着。そこは、文武廟(もんぶびょう)という仏教寺院であった。「ここは有名なお寺だから、タクシーで行くときはここを告げるとわかりやすい」三代目は、文武廟の面している通りに立ち「この通りが、ハリウッド・ロードと呼ばれる有名な骨董街。文武廟を中央に、その東西に500~600メートルくらいあり、この道沿いに主要な骨董屋は店を構えている。僕も仕入れるときは、ここを中心に回るんだ」と説明。

 

 寺院を背に、左手はほぼまっすぐな道が、右手は途中で緩やかに曲がった道が続き、両サイドに種々な外観をした店が軒を連ねている。いかがわしい雰囲気が滲み出ている雑然としたイメージを抱いていたので、思いのほかすっきりとした様子に僕はやや拍子抜けしたが、人気(ひとけ)のないその静けさがかえって不気味に思えてきて、僕は急に武者震いがしてくるのを感じた。

 

(第25話につづく 11月1日更新予定です)

豆彩葡萄文高足杯 明・成化在銘(1465-87)

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