骨董商Kの放浪(25)

 文武(もんぶ)廟(びょう)から東へ歩いて5分のところにある3階建ての大きなビルディングの前に僕らは立った。三代目が入り口の扉を開け、勝手知ったるというふうに、そのまま階段を上っていく。僕もあたりに目を凝らしながら後についていく。各階には、その途中の階段の脇や踊り場も含め、古い中国製の飾り台や陳列ケースが壁際はもちろんフロアのいたるところに置いてあり、そこには大量の品物が並んでいる。僕は先ずその景色に驚く。その様子を横で見ていた三代目が声をかける。「まだ、整理整頓されている方だよ。他の店なんか、床の上まで所狭しと品物が置いてある。そういった店がほとんどだ」

 そして3階に到着。そこにも壁に設置された木製のガラスケースや飾り台にぎっしりと品物が並んでいる。驚いたのは、背丈くらいあるアンティーク製の家具の上に、漢時代の楼閣(ろうかく)と呼ばれる高さ60~70センチの緑釉の建築明器(めいき)(副葬用の陶製の建物ミニチュア)が乗っかっている光景だった。地震のない国とはいえ、この陳列風景に僕と才介は目を丸めて、お互いの顔を見合わせた。

 フロアの中央に大きめなテーブルが置かれているだけで、特に応接間らしきものはなさそうだ。テーブルの上には何も置かれてなく、その周りには、これも古そうな中国製の椅子が何脚か配置されている。三代目が壁際の陳列品を手に取りながら回っていると、店の女性がお茶を真ん中のテーブルに置いた。すると、奥から店主らしきやせた背の高い40代前半の男性が柔和な笑みをみせて近づいてきた。薄い黒縁の丸眼鏡が印象的。お互い声を交わし合いながら握手。二人は同い年くらいのよう。そして僕らを紹介する。僕らも握手を交わし名刺を交換。名刺には「葉(Ye)」とある。「イエさん」と三代目が紹介。派手さはないがどことなくブルジョア風。

 しばし雑談したあと、葉氏はいったん下がり、シナ箱と呼ぶ中国製の小ぶりな箱を手にして戻ってきた。卓に置くと、なかからモノを取り出す。白磁の碗であった。それを見て三代目が「ほお」と小さくうなる。全体を眺めてからゆっくりと手に取り顔を近づけ、先ずは碗の見込みに集中。しばらく見入ったあと、ひっくり返して裏面の高台部分をしげしげと見る。そして二、三度小さく頷いてから、僕の前に置いた。

 僕は軽く頭を下げた後、両手で包み込むようにして持った。碗は、口径が12~13センチの平たい形状をなしており、見込みに浅い線彫りで、蓮の花が簡略的に施されている。黄味を帯びた柔らかな白磁釉の下に彫りあらわされた蓮の花びらの流麗なラインに、僕の眼は吸い込まれていった。

 「北宋時代の定窯(ていよう)白磁の典型的なモノ。なかなか良いモノだよ」三代目が横から解説。僕も三代目の講義を思い出しながら、この碗を見つめる。

 

 定窯は、中国陶磁の歴史のなかでも、名窯を輩出した北宋時代を代表する白磁の窯。当時から名声を欲しいままにし、優秀な作品は宮中へ納められたほど。そのたたずまいは、いかにも北宋文人たちが好みそうな気品と風格を備えている。僕は一目で気に入った。続いて才介も手に取り「きれいだな」と感心している。僕はもう一度手にする。巧みな刃さばきで彫られた浅い線が伸びやかで優しい。輪郭をとってからやや刃を斜めにして文様を彫り浚(さら)える「片切彫(かたきりぼ)り」という手法が特徴で、その溝に溜まっている象牙色の釉色が殊(こと)に冴えている。「覆輪(ふくりん)も時代がありそうだし、小さいけど見事なものだよ」三代目は言う。定窯は器を伏せて焼くため、口縁部分に釉が掛からない。よって、覆輪という真鍮などの金属の輪っかを口縁部にはめるのが通例。もちろん失われているものも多い。ただ、これには古そうなこげ茶色の覆輪がきちんと付いていて、定窯らしい姿をみせている。

 

 僕の様子を見て三代目は「買ったらどうだい?」と促した。それを受けて「いくらでしょうか?」と訊くと、葉氏は「10万香港ドル」と答えた。「150万か…」僕の全財産だ。確かに魅力的ではあるが。150万か。僕が思案していると三代目は「交渉してみなよ。欲しかったら」と背中をポンと叩いた。才介も二三度首を縦に素早く降っている。僕がディスカウントを求めると葉氏は一割引くと言って、今日のレートで計算した日本円を示した。計算機には「1,360,000」と表示されている。僕はその計算機を手にし、少し考えたあと新たに「1,300,000」という数字を入れ、葉氏に返した。葉氏はその数字を見て苦笑いしたが、ほどなく笑顔になり「O.K!」と右手を伸ばした。そして握手。交渉成立だ。「よかったね」と三代目。「ありがとうございます!」「でも、ちょっと残念だったな」「えっ?どこが、です?」交渉の仕方が不味かったのかと戸惑う僕に三代目は「いや、キミが買わなかったら、僕が買おうと思ってさ」と笑った。

 

 そのあと何点かモノを見て僕らは葉氏の店を辞した。歩きながら三代目は「僕は7~8年前まではよくこの辺で仕入れてたんだ。結構安くってね。けど最近は、モノも出なくなって、中国陶磁も高くなって、贋物も増えちゃって。だから、すっかり来なくなったけど。僕もたまには寄らないとな。キミはついているよ」「けど、これで今回の元手ほとんど使っちゃいました」僕は厳重にパッキングされた包みに目を向ける。「いや、これは買った者勝ちってやつだ。安いもんだよ」三代目の手助けはあったにせよ、自分が気に入ったモノを手に入れた感激に、何か力がみなぎっていくのを感じていた。「ありがとうございます」僕は再び御礼を述べた。

 歩きながら三代目は空を見上げ、「キミらはついてるよ」とまた言った。「ついてますか?」才介が尋ねると、「うん。香港でこんな爽やかな日は滅多にないよ。この季節くらいかな。いつでも蒸し暑くて、汗だくになりながら歩いてるからね」湿り気のない風を感じながら、三代目はにこりとした。

 

 それから、文武廟に戻る形で西へ進み、廟を越えてしばらく歩いた。途中にある店店の前を通るごとに、三代目はその特徴を話す。ここは面白いモノがたまに出る、ここはまあまあ、ここは全部贋物、という風に。そのたびに、僕らは入口から首を伸ばしてなかの様子を観察。ガラス張りで外から中が丸見えという店舗も結構ある。そこには品物が、飾るというよりも放置しているかのように漫然と並べてあり、床の上までぎっしりと転がるように置かれている店も少なくなかった。日本の骨董店には絶対にない陳列風景を目の当たりにして、僕は、マーケットの中心地として、常に息づくように動いている香港のアクティブさを実感していた。

 

 そうこうしながら、三代目の行きつけの2、3軒に僕らは入り、また少しモノをみせてもらったりした。その後、三代目は予定があるというので、僕らはタクシーをひろうため文武廟に向かって歩き出した。その途中で三代目は右手の洒落た黒いビルを指さした。間口は狭いが、新築のようなきれいな外観。「ここは女性のやっているお店。結構やり手だよ」僕らはそのビルに目を向けた。玄関の扉はガラスであったが、黒い壁で飾られているため中の様子がわかりにくく、他の店とは違った入りづらい雰囲気を漂わせていた。才介がうっすらと笑みをみせ僕に近寄る。「姐御みたいのが香港にもいるんだな」それを聞いて「女性のディーラーもいるんですね?」僕の問いに三代目は、「結構多いよ。日本なんかと比べると」「ほおー」僕らは少々驚く。そうか、考えてみれば、香港ママもたしかに女性か。「香港ママ、知ってますか?」「ママ?もちろん!来ると必ず1回は食事するよ」「ママの店ってどのあたりですか?」僕らはそろそろ文武廟に着くかというところにいた。三代目は通りのすぐ向うの階段を指さした。「そこの階段を下りて、最初の狭い路地を右に行ったところ。すぐ近くだよ」才介が頷く。「たしかブンさんの友人もお寺のあたりだと言ってた」「行くの?これからママのところ」「はい。これから伺おうかと。昨日ご馳走になっちゃって」「ママはとても良いひとだよ。でも、店には大したモノないけどね」とにやりと笑った。そこへタクシーが来た。「きみたち、明日はオークション参加するの?」「はい。見学しようかと」「例の成化の杯、午前中のメインセールだから。是非見た方がいいよ」「ひょっとして、お買いになるんですか?」それに対し三代目は「注文入ってるけど、手も足も出ないだろうね。」と軽く笑ってドアを開け「じゃあ、成果を祈ってるよ。ママによろしく」と片手をあげた。僕ら深々と頭を下げて見送った。

 

 タクシーが見えなくなると、才介は「よっしゃあ!」と一つ大きな声をあげ、「さて、取り敢えずママの店行ってみるか?」と手を合わせた。僕らは石の階段を下りる。すぐに小さな路地。左手はキャット・ストリートと呼ばれる、雑然とした小店舗が両脇にずらりと軒を連ねている。才介は、主にそこで仕入れをする計画のようだ。どうやら細かいモノが安く買えるらしい。しかし、先ずはママの店に寄るため、右の路地に入ろうとして僕らは立ち止まった。狭い路地の中央にテーブルを出して、四人の中年の男たちが気ままに麻雀を楽しんでいるのだ。天気が良いとはいえ、あまりにものんきな風景に僕らは顔を見合わせる。と同時に、この先に本当にママの店があるのかと不安になった。談笑する彼らの脇をすり抜けるようにして路地を進むと、すぐに行き止まりの小さな広場に出た。そこには左右に三つの店舗があり、一番手前の右側の店にママの姿が見えた。

 「あらぁ、いらっしゃい。待ってたよ」濃い目のブルーのワンピースが目に飛び込んだ。「昨夜はご馳走さまでした」と言いながら僕らは店内に入る。三坪ほどの狭さ。その中央のテーブルの上に置かれた唐三彩の馬が目に入る。高さ50センチ弱か。四本の脚は壊れていたようで、ところどころ石膏か何かで補修してある。ママはその前に座るや否や絵筆でその白い部分に色を付け始めた。テーブルの上には絵具が散らばっている。僕らがきょとんとしてそれを見ていると、ママは「あなたたちも、やる?」と笑顔で筆を差し出す。「いや、いや、いや」と僕らは同時に右手を横に振った。日本では、モノの修理は当然本職の修理屋がやるので、自前で済まそうとする姿に僕らは驚きの反応。「これって、商品ですよね?」おそるおそるした僕の質問に、「そうよぉ。壊れたままじゃね、売れないからねぇ。直して売るよ。色合わせるの、難しいけどね。うまいでしょ?どう?」それはさすがに素人仕事だったが、香港の商売の大らかさを改めて知り、これもありかと、僕らは作り笑いを浮かべた。

 ママの店には、三代目が言ったように、本物かニセモノかわからない中国の骨董品が、ほったらかすように並んでいた。ママは僕の持っている荷物を見て「何か買ったか?」と訊く。「はい。イエさんという店で」「えーっ、あそこ、高いでしょ?」「値段はよくわからないですけど、三代目と一緒に行って」「そうだね。彼みたいなひとが行く店ね」「で、何、買ったの?」興味津々のママに、「定窯です」と答える。「定窯?白磁か?」頷く僕の顔を見て「あるよ。うちにも。定窯。黒いお茶碗」ママは絵筆を置いて立ち上がり、棚の下の扉を開け探し始めた。黒い定窯とは黒釉の定窯で、俗に「黒定(こくてい)」と呼ばれ、世にも稀少な作品とされている。あったらたいへんだ。ママの店の商品を窺いながら、僕は九分九厘ニセモノだろうと思ったが、最初から拒絶するわけにもいかず。

 やがてママは埃のついた白いシナ箱を持ってきた。開けると黒釉の掛かった、口径が15センチほどの浅めの碗が入っていた。「ほら、黒い定窯」僕はそれを手にする。その瞬間僕は理解した。器壁がやや厚く重みがあり、軽快さがない。裏を返して高台の所作と土を確かめる。濃い目のグレーで白くない。定窯でないことは僚(あきら)かだ。だが、造りの様相など変なニセモノには見えなかった。

 「定窯?」と訊くママに「じゃないと思います」と答える。「やっぱりね。これ売りに来た人、定窯って言ってたけど、やっぱり違うか?ニセモノ?」「いや、そういう感じでもなく…」おそらく実際に使い込まれたに違いない、碗の表面に残された多数の擦り傷を見て、僕は自然な感じを覚えた。

 僕が考えていると、「あなた、これ買ってよ。うんと安くする」とママ。うんと安くと言っても、そこそこはするだろうと思い、「でも僕、さっきの定窯でほぼ予算使ったので」と碗を箱のなかに返した。僕は150万のうち、すでに130万使っており、残金が20万しかないのだ。するとママが計算機を叩いて「この値段でどう?」と僕に向けた。13万と表示されている。「えっ?」意外に安いと思い、僕はもう一度碗を手に取る。見込みの擦れは気になるが、黒の釉色は艶やかでなかなか綺麗だ。高台も小さめで北宋スタイル。畳付きに見えるグレーの土も真新しい感じがしない。僕は思案する。これを買うと予算をほぼ使い切る。でも、まあ、安いし。ママには昨日から世話になってるし。「わかりました」僕がにっこり答えると、「ありがとう!」とママは大喜び。それを見て、才介は勢いよく立ち上がった。「よし!おれも、仕入れして来る!」ママは、シナ箱をプチプチで包みながら、「そうしたら、あなたたち、あとで寄りな。買った荷物、あたし、車に載せて運んであげるから。夕食、どうせ九龍だし」「今日も潮州料理ですか?」才介の弾んだ声に、「今日はね、上海料理。美味しいよぉ。あたしのお友だちと一緒。お金持ちの女性。メンバーズしか入れないレストランだからね」それを聞いて才介は、「よし!行くぞ、K!」と気合を入れて店を出た。「頑張っておいで」と僕らの後姿にママは大きな声をかけた。

 

 再び麻雀親父連の脇をすり抜けて、階段を通り過ぎそのままキャット・ストリートへ。本当かどうかわからないが、ここは大昔盗品を売っていたことから、俗に「ドロボー市(いち)」と呼ばれている通り。その名に相応しく、何やら種々雑多なモノを扱ういかがわしい感じの小さな店店が、細い路地の両脇にぎっしりと立ち並んでいる。店先に、奥に、陶磁器やら七宝やら漆器やら、とにかく細かく小さな置物が窮屈そうに並び、それぞれのモノが発する胡乱(うろん)な色彩が漂流している。それは、通りに沁みついている決して衛生的といえない独特の酸っぱい匂いと相俟って、香港の一面を如実にあらわしていた。このアンダーグラウンドな様相に僕は大きな不安に駆られ、「おい、こんなところにちゃんとしたモノあるんか?」と才介の手を引っ張った。才介はにたりと笑いながら僕の手を解く。「大丈夫。ちゃんと調査済み。ここに行きつけの同業者から訊いてきたからな」才介はいろいろ書かれたメモを取り出し、予定していた店へと歩を進めた。

 才介は最初の数軒で、印材、奇石、墨、堆朱の香合など様々な文房具類を買った。「大丈夫かよ?そんなにいっぺんに買って」「ばかやろう、おれはこういうのは鼻が利くんだ」「目でなくて鼻か?」「そうよ。鼻は重要なんですよ」才介は僕の忠告を軽くいなして次へ向かう。入った店にあるモノをざっと目を通して選ぶ作業は、当然簡単ではない。修行して十年とはいえ、才介のキャリアを改めて知った。「まあ、おれの場合は、質じゃなくて数だからな」才介はそう言って、「ディスカウント」を連発しながら仕入れを続ける。僕も横について勉強。キャットストリートは200メートルほどのそれほど長い距離ではなかったが、あっという間に2時間が経過。僕はそろそろ疲れを感じていた。しかし、才介は好調に動き回っている。気がつくと、あたりは夕暮に染まり始めている。

 「そろそろ戻ろうぜ」僕が声を掛けると、才介は軽快に「わかった」と答えたが、その直後に向かいの店に勢いよく入っていった。そしてすぐに振り返り「おい、おい!来てみろよ!」と僕に向かって大仰に手招きを繰り返した。「何だよ」不機嫌そうに店内に入ると、「見てみろよ!」と正面の上にある棚を必死に指をさしている。見やるとそこには、僕が掴まされたのと全く同じ米色青磁の碗が五つ、端然と並んでいた。「ぎゃっ!はっはっ!やっぱし、ニセモノだったな!」才介は身体をのけぞり大笑い。才介の情報によると、この店は有名な贋物屋らしい。一気に疲れが出た僕をよそに、才介は店主に値段を訊いている。「おいっ、1個7000ドルだってよ!」計算をしてみると、10万円ほど。市(いち)で贋作堂の買ったのと同じ値段。世の中、間違っていないと僕は変に納得し、その店をあとにした。

 ママの店に戻ろうとしたところで、品物のぎっしり詰まった大きなビニール袋を両手に持った才介が、「さっきの姐御の店、行ってみようぜ」と提案する。香港のネエさんか。確かに興味がある。僕らはハリウッド・ロードに出て、先ほどの黒い外観をしたビルディングへ向かった。

 こざっぱりした入口の扉を開くと、何やら洗練された空気が流れているのを感じた。何だろうと思って店内を見回してみて了解する。床上には白いテーブルと3脚の椅子だけが整然と置かれ、壁際の飾り棚には、モノが一つひとつ等間隔できちんとディスプレイされていたからだ。本来なら当然のことなのだが、これまで見てきた店を基準にしていたものだから、妙な清潔感を覚えたのである。建物が新しいということもあり、僕は何となく落ち着いた気分になった。ただ、飾られているのは、他の店で転げるように置かれていた古代の土器や漢時代の緑釉のモノなど地味なモノが大半。香港の店はどこもこうなのかなと、僕が大きく耳の張った黒い土器を手にしていると、奥から女性が現れた。

 ウエーブの長い髪に切れ長の目をした美しい顔立ちの若い女性である。目に映えるレモンイエローのジャケットを羽織った彼女は優しいまなざしで「ハロー」と微笑んだ。「おい、さっきの、下見会場で筆筒見ていた美女じゃないか」才介がすかさず僕に近づきささやいた。そうだ。あの女性だ。「ひょっとして、このひとが店主か?」才介の言葉を受けて僕は訊いてみた。すると、彼女は一段と深い微笑みを浮かべ、僕らに名刺を差し出した。

 そこには、Lioと書いてある。僕らはそのスマイルと若さにしばし硬直。そして、才介がかなり引きつった笑みをみせながら、自分の名刺を渡す。僕もそれに続く。Lioは笑顔でそれを受け取ると、流暢な英語で訊いてきた。「明日のオークションに参加するのですか?」僕は「はい」と答える。才介が、「おい、たぶんおれらと同い年くらいじゃないか?」「そんな感じだな」「本当に店主なのか?」僕はここでどのくらい店をやっているのかを訊いてみた。彼女は口角を上げた綺麗な笑みを崩さずに話した。「わたしは三姉妹で、姉と妹が近くに店を出しています。それぞれ今年で3年目です」それを聞いて、「マジかー」と才介は天を仰ぐ。やはり香港は違う、と僕も強く感じる次第。

 それから二、三会話を交わし、閉店時間のようだったので、僕らはLioの店を出た。「いやー、たまげた。姐御みたいのが出て来ると思ったら、あんな若くて、でもって店構えてて。どうなってんだよ」ママのところに戻る道すがら、才介は「たまげた」を連発。店に着くと、才介の手荷物を見たママが「あら、あなた、また、ずいぶん買ったねぇ」と大きな口を開けて笑った。「じゃあ、行こうか」ママの合図で僕らはそれぞれの荷物を持って車に乗る。早速、才介がLioのことを尋ねた。「それは、深圳の大企業のLioグループの娘たちね。大金持ちよ。皆、骨董店やっているね」なるほど。そういうことか。僕らは顔を見合わせてうなずいた。

 途中激しい渋滞にはまったが、ハイウエイに入るとあっという間に九龍に到着。誰もが知っている有名ホテルの最上階へ。そこにあるレストランは、さすがVIP専用というだけあって喧騒感がまるでない。大きなフロアには全部で30以上の円卓がセッティングされており、そのちょうど真ん中あたりに向かってスタッフが先導する。その中央のテーブルの側に立っている女性の姿が見えた途端、ママが大きく手を挙げた。

 「ごめんねー、車込んでて、遅れちゃってぇ」その声と小走りに駆け出すヒールの音が、まだ人気(ひとけ)の少ない広い空間に響き渡った。僕らも後に続いてテーブルに近づく。薄紫のチャイナ服を纏った女性は「全然大丈夫よ」と柔和な笑みで答えた。40代後半くらいだろうか。花文様を散りばめたシルクのドレスが似合っている。女性は、品のある笑顔で僕らにやや深めの会釈をした。「今日はおいでくださり、ありがとうございます」それはきれいな日本語だった。そして顔を上げたその瞬間、僕の眼が一点に注がれた。胸元に飾られた翡翠から鮮やかな光が放たれたからである。ただそれは、単に綺麗というだけのものではない、何か奥深さを秘めているような色にみえた。

 

(第26話につづく 11月11日更新予定です)

定窯白磁花蓮花文碗 北宋時代(11-12世紀)

黒釉碗 耀州窯 北宋時代(11-12世紀)

 

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