保育士になるつもりはない!それなのに…。 | ゆみっち先生の保育の玉手箱~保育士さん、園長先生集まれ~♪

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保育士歴30年以上。園長経験もあります。保育をはじめ、子ども、保護者への関わり方の引き出しを沢山持っています。保育士時代に得た叡知をこのブログでアウトプットしていきます♪


今日は、こちらの記事👇の続きを書きます。



得意な国語だけが受験科目。
という理由で選んだ短大の「幼児教育科」に
とうとう入学してしまった私…。

だいたい察しはつくと思いますが
とにかく全てが苦痛でした。


🔸🔸🔸🔸🔸


当然ですが
ピアノや声楽など音楽系の科目が多く
全く音感のなかった私は先生たちに
「卒業させるわけにいかない」
とまで言われていました。


手先が不器用なので
製作、工作系も大嫌い。
出来上がりはいつも
小学生レベルの作品。


表現や体育系も嫌いで
身振り手振りで歌を歌う授業なんて
地獄でしかなく…。 

みんなよくこんな
こっ恥ずかしいことするなぁ…。
と、いつも覚めた目でみていました。


唯一、幼稚園の運動会を見学したとき
なぜか涙が勝手にあふれてきて
子どもたちを愛おしく感じた
あの感覚だけは鮮明に覚えています。


しかし、実習先でも
世間知らずの私は
先生方から大ブーイング。
子どもたちからは
人気があったんですけどね…。





そもそも
たまたま受かっただけの幼児教育科。


保育士になんかなる気もないし
なんとか卒業だけして
普通のOLになればいい。


時はバブル絶頂期だったので
わざわざ保育士にならなくても
就職くらいいくらでもあるさ。

そう思っていたのに…。



夏休みに実家に帰ると
大きなピアノが和室に置かれていて

「保育園の先生になるならピアノがいるだろ」
「もう就職先の保育園には声をかけてあるから」

父のそんな言葉を聞き、愕然としました。



就職先すら
自分で決めることが出来ないのか…。

また
親の敷いたレールの上を歩く人生に戻るのか…。

でもお金を出して
短大に行かせてもらったのに
裏切るようなことは出来ない…。


と、当時の私は
親に逆らうことなど出来ず…。



結局、地元に戻り保育園で
臨時保育士として働くことになったのです。


OLをしたい
という、私の平凡な夢は叶わず
やりたくもない仕事を
やるはめになったのですが…。


そこで
初めて勤務する保育園で
先生たちからの「いじめ」を体験したのです…。


続きはまた次回👼