フルコンバ

【紀行文】陸の孤島、飛騨高山エリア


活火山

日本で唯一、活火山のすぐ近くを通る、安房トンネルを抜けて、寒さに震えている。

今が5月というのは何かの間違いだと思うほど寒い。

防寒対策としてサウナスーツを着込んで正解だった。それでも寒いが。

飛騨高山まであと15分というところで道の駅を見つけて、ステアリングを向ける。今しがた下りてきた山を振り返ると、雲が掛かっていて雨が降っているかも知れない。

陸の孤島



それにしても飛騨エリアは本当に山深い。そしてアクセスに時間が掛かる。

それもそのはずで、日本の尾根と言われている日本アルプスが横たわっており、縦貫する道路がまともにないのだ。だから、本場の飛騨牛を食べるには安房トンネルを抜ける山岳道路か、新潟回りか、名古屋回りのいずれかに限られてしまうのだ。

走り出してしばらくすると、急に区画整備されたような町並みに入った。観光客が多い。軽く渋滞しており、信号のストップアンドゴーが煩わしい。



ヘルメットの視界越しに周囲を見ると、古い町並みがとても良い雰囲気で残っているのを見つけて、気分が高揚してきた。ああ、本当に飛騨に来たんだなと実感するのだ。

後で、歩き回って散策しようと決意して、高山駅すぐ近くのホテルに滑り込んだ。このホテルは駐車料金として800円を申し受ける、とサイトに書かれていたが実際にはオートバイの場合は無料だった。

多くの車はホテル敷地内の立体駐車場に入れられるが、バイクはすぐ脇のバイク専用駐車場に置いておける。やっぱり、どこへ行っても二輪車は安上がりで助かる。

部屋について、旅装を解く。和で統一された部屋は落ち着く。しかし、このままいると根を下ろしてしまいそうなので、散策のための服に着替えて外に出た。

高山駅は立派で、随所に木が使われていて、山深い町のイメージを上手く表現している。

横断歩道を渡れば、多くの観光客で賑わう高山の中心地だ。

安直だが、すぐに飛騨牛を食べたくて飲食店を2店舗ハシゴしたのだった。
1つ目はラーメン。2つ目は飛騨牛の寿司を食べさせてくれるところ。

飛騨牛は柔らかく、脂がすごい。寿司とラーメン程度では全く問題のない僕でも、豊富な脂のせいか、気持ち悪くなってしまった。

食後の運動がてら、さらに街の奥へと歩いていく。立派な橋を渡ると、古い町並エリアだ。

ここでは、似たような高さと見た目の住居が軒を連ねている。いずれも立派な古民家で、中には改築して新しくなっているものもあるが、できる限り周囲の古民家と調和するように作られている。

かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道(ひとみち)に



飛騨高山の歴史を紐解くと、都に出向いて宮殿や寺院などを造る大工仕事が課せられていた。10人の職人に対して家50戸が割り当てられ、毎年100人前後の匠が飛騨から都の造営へ出役したのだ。

理由としては、飛騨は山深く、国に納めるための織物(今で言えば税金)を作るには向かない土地とされ、織物を納めなくてもいい代わりに、都の建築産業に参加するように言われていたのだ。



都で飛騨の人々は優れた建築技術を手にし、自分たちの国にもそれを活かすような家造りをしていったのだ。だから、現存する建物を見ると、その作りの大胆さと精巧さ、技術に驚かされる。

冒頭の言葉、

かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道(ひとみち)に

というのは、万葉集にある歌で、飛騨の匠が墨縄という建築の際に木材に線を入れる、現代で言うところの墨つぼで描いた真っ直ぐな1本線と、一途な恋心を重ね合わせた歌である。

こうした情景を重ね合わせて歌い上げるのは日本の美しい文化の1つで、この歌から分かることは、万葉集がつくられた奈良時代から、すでに飛騨の匠がよい腕を持った大工であったということ。

それは別の紀行文としても書いている白川郷の合掌造り集落を見ても異論はない。全く素晴らしい建築技術で、ただただ感動する。

土地と交わる感覚



車の旅行とは違って、バイクでのツーリングは外界に対して身体が剥き出しなうえ、嫌でも外の空気がヘルメットに入り込んでくる。そのために、その土地の空気感が身にしみる感覚が味わえる。

さらに、車で言うところのピラーがないから、全方位から景色が語りかけてくる。僕は、その語りかけに応じたい。時間がある限り、バイクから下りてゆっくりとその土地が語りかけてくる内容に耳を傾けたいのだ。

立派な資料館



用水路の清流に耳を傾けながら、事前情報を持たない僕は気の赴くままにぶらぶらと高山の町並みを歩いている。メインストリートから外れた、閑静な町並みの中に、立派な資料館を見つけた。しかも、珍しいことに19時まで営業しており、入場料は無料。



誘われるままに資料館に入って、およそ1時間半の時が流れた。飛騨における貴重な資料がたくさん用意されており、そのどれもがリアリティをもって見学者に迫ってくる。レプリカではない、本物の資料たちが当時の飛騨の人々の息遣いまで伝えてくるのだ。

館内は順路が設定されており、1から14まである。喜ぶべきか、この資料館の利用者は僕以外に誰もいなかったので、他人を気にすることなくじっくりと飛騨の歴史に触れられたのだ。

浮かれた人々

おそらく、多くの観光客は高山の古い町並みのフォトジェニックスポットに目を奪われているだけで、そこに流れている悠久の歴史や先人の苦労といったものの魂に気づいていないのだろう。

事実、中心街から外れると、ひどく閑静である。どこかしらのホテル前にはバイクが並んでおり、ツーリングシーズンであることを思わせるのだが、町から外れたところで誰一人のライダーとも会わなかった。彼らも、ただ中心街の賑やかさに身を流しているだけで、先人たちの息遣いに触れようとも考えていないのだろう。

飛騨高山は、白川郷の合掌造り集落と同様に、非常に貴重な歴史的建造物が立ち並んでいるが、同時に現在進行形で市民の生活が営まれている。まさに生きた歴史の中にいて、僕はそれに立ち会っているという形になる。そう考えるとなかなか愉快だ。

この街は商人の町として発展してきた。どの家も、何らかの商いを営んでいたのだ。そして、大昔から区画がほとんど変化していないのも驚きだ。

資料館に当時の古地図と現代の地図を重ねて比較できるオリジナル資料があり、そっとそれらを重ねても、道筋にほとんど変化がない。その変わらぬ街の様子に、現在に至るまでの人々の並々ならぬ努力と苦心を垣間見ることができる。町の保存というのは簡単にできるものではないからだ。

多くの資料が、ガラス越しに僕へ語りかける。僕は誰の存在を気にすることなく、ゆっくりとその内容に耳を傾けた。



充実した気持ちで順路を回り終え、外に出れば高山市の町並みに夕陽が落ちていくところだった。


2022年GW

\ この記事をシェア/
Image

この記事を書いた人
Author
Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit, sed do eiusmod tempor incididunt ut labore et dolore magna aliqua. Ut enim ad minim veniam, quis nostrud exercitation ullamco laboris nisi ut aliquip ex ea commodo consequat.

フルコンバ

週末は森にいます