厄介事は面倒臭いから始まる! | 何でもアル牢屋

何でもアル牢屋

趣味丸出しの個人コラムです。フラっと立ち寄れる感じの喫茶店的なブログを目指してます。御気軽にどうぞ!

周囲に流されず世の中を自分勝手に生きていく一つの極意があるらしい。その方法は「居心地が悪いと感じたら、その場を去る」
一種の逃避って事になるのだろうが、自分自身が世の中を生き抜いていく為の手段と割り切れば、逃避も逃避ではなくなると言った所か。だが、この方法には一つの難点があって、人に頼らない事が前提になってくる。自分勝手を貫く生き方を、基本的に人は許さない。嫌だと感じる場所から脱出するには、ある種の覚悟がいる。孤立、孤独、虐め、今風で言えばハブられる事を想定しなければならない。後は生き抜く強さ。他人から危害を加えられるかも知れないと言う危機感を常に感じなければならない。物理的な攻撃に対処する為には腕っぷしも必要かもしれない。これは勿論、正当防衛。後はメンタル(精神力)。何を言われても書かれても挫けず、サラリと受け流す切り替え。

こうやって必要な要素を並べていくだけで嫌になってくる。だから殆どの人は、自分勝手を恐れて、無難に生きる道を選ぶ。
 

逃避とは我慢をしない事

今、日本全体が我慢する事が悪い様な風潮になった。仕事も恋愛も結婚生活も無理をしない。金が勿体ないから冠婚葬祭も短縮して早々と済ます。結婚式は女の為と聞いた事があったが、この御時勢、金の無い女達がウェディングドレスは要らないと言って結婚式を自分から辞退するのだと言う。これも我慢の一種だろう。

身内が死んでも葬式はせず、早々と火葬場に行って骨にして終わる。周囲には死んだ事すら秘密にして全て終わった後に事後報告する。これも何らかの我慢だろう。法事に至っては、嘘の用事の典型例として笑い話にするしかなくなった。

だが、見方を変えると我慢とは違う何かが見えてくる。詰まりは面倒臭いのかもしれない。考えてみると、世の中で起きる事件は「面倒臭い」から始まって居る事に気付く。ストーカー殺人は、その典型で、意中の相手と段階を踏んで交際する事を面倒臭がった結果、手っ取り早い方法を探した結果論だ。強盗事件なんかもそうだ。働いて金を稼ぐのが面倒臭い。だから金のある場所から盗む。金が無くなったら何処かから盗めばいいと言うシンプルな考え方。殺人事件なんかも、殺した動機の殆どが「コイツは面倒臭い奴だから殺した」となる。嫌いな奴は殺すに限ると言う人間関係の終焉、究極論とも言える。
 

例の北海道で起きた遊覧船事故の一件も、オーナーの面倒臭いから始まった。

会社の屋根のアンテナが故障してるにも拘わらず直さない。知っておきながら直さなかったのは、遊覧船会社の物件そのものに関心が無かったからだろう。この事件は一言で表すと「経営のずさん」の一言しか言い様が無い。

山梨のキャンプ場で行方不明になった少女の事件も、当時の捜査員が面倒臭がって森の奥地に入る事を躊躇った。人が通れる無難な獣道しか捜索して無かった事が明るみになり、一部のメディアが警察組織に「奥地の捜索を面倒臭がったのではないか?」と不信感を示している。

こうして並べていくと、全ての発端は面倒臭いから始まっている。ロシアとウクライナの戦争も実の所、プーチン大統領とゼレンスキー大統領の面倒臭い関係が伏線だった。ゼレンスキーはプーチンをコケにし、挑発されたプーチンはキレた。一部の評論家が「この戦争はプーチン個人の喧嘩」と評したのは、この辺の事情から来ている。二人の年齢を調べてみると親子ほど離れている。70歳近いプーチンと40代のゼレンスキー。日本で言う団塊世代と団塊ジュニアの二人だ。血で血を洗う壮絶な親子喧嘩とも言える。

私自身はどうかと言えば、最近、テレビやラジオを視聴しててムカつく事が増えた。

一昔前は、メディアに対するムカつきをブログで爆発させた時期もあったが、歳のせいなのか、随分、自制心が効く様になった。経験則で書かせて貰うと、怒りの感情を記事に投影させると、瞬間的な達成感と快楽を得られる。しかし、それも持続はしない。時間が経って自分で読み返すと気分が悪くなってくる。更に悪い事に、読み手から嫌悪感を示される。読み手が嫌悪感を感じた事を察すると、今度は読み手に対して悪態を突く。こんな繰り返しが過去にあった。随分前の出来事だが、2ちゃんねる掲示板に晒された事もあった。
 

思うに、SNSから日々離れられない人達の殆どが、現実逃避と我慢の限界に苛まれているのではないか?

社会問題に発展している誹謗中傷も、どうにも我慢できそうにない。だから書いてやるみたいなノリで境界線を踏み越えていく。ネット中毒を研究している精神科医に言わせると「読むのは構わない。だけど書く事を我慢してみてはどうか?」と言う事らしい。確かに判る。読む行為は「受けの立場」だから、自分の意思で、いつでも退く事が出来る。だが書く事は、一旦乗り出すと中々止まれない。時に暴走する。ムカついている自分にハッと気付き、自問自答する。

「自分は何故、ムカついているんだろう?」

「何か他に考え方は無いか?」

この2点を思考出来た時点で、境界線を越える事は無くなる。何かにムカついたら試してみてね。