生きづらさの取扱説明書

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「いじめで心が強くなる」は嘘!経験者の私が考える3つの理由

こんにちは、結城ぱいんです。

はじめましての方は、ごあいさつもぜひ覗いてください。

 

これまでさまざまなマイノリティについてブログで書いてきましたが、発達障害性自認、家庭環境などの問題を抱えていた私は、それゆえに小学生の頃にいじめられる経験もしました

 

小学生のいじめなので、もしかしたら中高生の経験するものと比べたら生ぬるいかもしれませんが、それでも辛かったことは事実です。

そして、悩む私に追い討ちをかけたのが「いじめで辛い思いをすると心が強くなる」という励ましの言葉でした。

 

今回はその話をしようと思います。

 

「いじめで心が強くなる」と言われるのはなぜ?

 

そもそも「いじめで心が強くなる」などと言われるのはなぜでしょうか。

 

私はそんな風には思えないので、このような言葉で励ます人の気持ちはよく分からないのですが、ひとつの理由として「若い時の苦労は買ってでもしろ」という考え方があると思います。

この「若い時の苦労は買ってでもしろ」ということわざは、文字通り「若いうちに苦い経験をすることでその後の人生に役立つから、お金を払ってでも苦労すべきだ」という人生訓を指します。

 

これはある意味正しいのですが、いじめについては当てはまらないと私は考えています。

なぜなら、いじめは苦労ですらない、単なる理不尽だからです。

 

人生に役立つ苦労というのは「憧れの大学に行くために勉強を頑張った」「留学するためにアルバイトに明け暮れた」というようなタイプのものではないでしょうか。

 

身に覚えのないことで人から責められる経験は、避けられるものなら避けるべきだと私は断言したいです。

 

いじめで強くなったりしないと思う理由

 

私が「いじめで強くなったりしない」と思うのには、それなりの根拠があります。

そこで、私が考える3つの理由を挙げていこうと思います。

 

自己肯定感が失われるから

 

まずひとつ目は、自己肯定感が失われるからです。

 

先生が生徒を注意したり親がしつけをしたりするのと違い、いじめは被害者の尊厳をまるっきり無視した行為です。

実際私は、大切なものを捨てられたり、身体を傷つけられたりする経験をするうちに、だんだん「自分なんて尊重される必要のない人間だ」と思うようになりました。

 

これが、自己肯定感を失うということだと思います。

そして、特に幼いうちに失った自己肯定感は、なかなか回復しません。

 

そのことで長期的に息苦しさを抱えてきた経験から、私は「いじめで強くなるというのは嘘だ」と思うのです。

 

進学や就職など将来に影響するから

 

次に、進学や就職など将来に影響することがあるからです。

いじめを受けるような学生生活では、十分に勉強に励むのは難しいでしょう。

すると、将来の進路選択が狭まってしまうかもしれません。

 

また、進路について「いじめた連中が悪いんだ」と思えればまだ良いのですが、先ほど説明した自己肯定感の喪失と組み合わさり、自分を責める結果になりかねないのが厄介なところです。

このように、いじめは被害者の将来の可能性を奪う、とても卑劣な行為なのです。

 

精神的ダメージを負うリスクがあるから

 

最後に、精神的ダメージを負うリスクがあるからです。

 

ここでいう精神的ダメージとは、単にいじめを受けている瞬間の辛さのことではなく、その後も長引く苦しみのことです。

 

私の場合、元から発達障害セクシャリティなどの問題があったとはいえ、いじめられた経験もやはり生きづらさの原因になっていると思っています。

 

いじめに立ち向かうために強くなるしかない時は

 

さて、ここまでいじめの悪質さについて語ってきました。

しかし、そんな話をどれだけしても、いじめを今受けている人は「強くなるしかない」「強くなれる方法が知りたい」と思っているのではないでしょうか。

 

ただ、強くなるためにじっと耐えたり、やり返すのは逆効果になってしまうかもしれません。

 

そこでおすすめなのが、日記を書くことです

「何月何日にどんなことをされた」という情報が文章で残っているだけで、かなり大きな証拠になります

また、例えばノートを破られたり教科書に落書きをされたりした場合は、それも取っておきましょう。

 

そして、ある程度証拠が集まったら担任の先生に見せます。

 

担任の先生が信頼できない場合は教頭先生や校長先生、それでも不安な場合は教育委員会など、どんどん偉い人に頼るといいでしょう。

 

のあたりの実体験はいずれまたお話しする予定ですが、いじめに立ち向かうために必要な強さは我慢することではなく、力を持った人を味方につけて封じ込めることだと私は思っています。

 

いじめは「買ってでもすべき苦労」ではない

 

いじめは、一般に「買ってでもしろ」と言うべき苦労ではありません。

「いじめを受けた辛さで心が強くなるから、今は我慢しなさい」というような励ましは、被害者を追い詰めるだけの言葉です。

被害者が真剣に受け取る必要はないし、このような言葉がなくなったらいいのにな…と、私はいつも思っています

 

ネガティブな話題になってしまいましたが、「いじめは黙って耐えるべきではない」と知る人が増えれば、その分救われる人もいるのではないでしょうか。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

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