アメリカの元国務長官であるヘンリー・キッシンジャーが『スペクテーター』に寄稿しており、彼のこの戦争をいち早く終了させるために以前にも提案していることと同じような解決法を述べています。

 

https://www.spectator.co.uk/article/the-push-for-peace/

 

それによれば、すぐに停戦をしてロシアがウクライナを攻撃した2月24日以前の状態に戻してからドンバス地方で国連監視団を入れて正式な選挙をしてどちらに帰属するかを決めたらいいというものでした。クリミア半島に関してはもうロシアのものだという認識みたいです。

 

残念ながら、このような解決法は現在のところウクライナ、ロシア双方にとって受け入れることは可能とは思えないので実現することはまずないでしょうが、私はキッシンジャーが何度も同じようなことを提案する背景にある危機感がすごく気になります。

 

この論考の重要と思われる部分を訳してみます。

 

「ある人たちにとってこの戦争により好まれる結果はロシアが不能(impotent)になることだ。私はそれに反対だ。ロシアがすぐに暴力に走りたがる傾向があるにせよ、ロシアはこの500年に渡って世界の平衡と勢力均衡に対して決定的な貢献をなしてきた。その歴史的な役割の価値を下げるべきでは無い。ロシアの軍事的後退は決して核兵器の到達距離をなくすものでは無く、ウクライナにおいてエスカレーションの脅しを可能にする。もしその能力が減じたとしてもロシアの分解や戦略的な政策を作る能力の破壊は11の時差のある地域を争いのある真空地帯に変えてしまうだけかもしれない。他の国も力で自己の要求を達成させるかもしれない。これら全ての危険はロシアが持っている何千発の核兵器のせいでさらに複雑になるのだ。」

 

アメリカ人、特にリアリスト系の人ですが、彼らにはアメリカが守らなければならない安全保障の条件があり、それはユーラシア大陸を一つの国に決して支配させてはならないというものです。

 

アメリカの外交官であったジョージ・ケナンの『アメリカ外交50年』でも「それゆえ、アメリカにとって、イギリスにとってそうであったと同様に、欧亜大陸全体が、ただ一つの陸軍強国によって支配されるようなことを許すわけにゆかないと言うのが、安全保障上の基本的な要件であった」と書かれています。

 

ナポレオンやヒトラーがもう少しで(ヨーロッパ方面の)ユーラシア大陸を制覇する可能性があったのですが、そうならなかった理由として最も大きかったのがロシアの存在だったのです。キッシンジャーが「世界の平衡」に対してロシアを評価している理由です。

 

第二次大戦でヒトラーのユーラシア制覇を防ごうとアメリカは見返り無しにソ連に対して過大な援助を与えた結果、今度は逆にソビエトがユーラシア大陸を制覇してしまう危険性ができたためにアメリカは急いでNATO(北大西洋条約機構)を作らなくてはいけなくなったのでした。

 

1990年代の初頭にソビエトが崩壊してしまったために、ケナンが言う欧亜大陸をソビエトが支配する可能性は無くなったのですが、何とクリントン政権の2期目からNATO拡大が始まり、アメリカが欧亜大陸を支配しようと考え始めたのでした。

 

他人がやるとすごい迷惑な行為を自分は平気で行うというものがアメリカのNATO拡大だったわけで、韓国人がよく使う「他人がやれば不倫で自分がやるとロマンス」そのものだったのです。ロシアのプーチン大統領も東欧諸国がNATOに加入することに対しては我慢していたようですが、旧ソ連に属していたジョージアやウクライナに対しては我慢できなかったようです。

 

キッシンジャーも以前からこの危険性は察知していたようで、ロシアがクリミア半島を奪うことになったマイダン革命の後ぐらいからしきりにウクライナの中立化を提案していたのですが、それが真剣に検討された形跡はありませんでした。

 

キッシンジャーが言うようにこの戦争でロシアが弱まって分裂でもすればヨーロッパ方面のユーラシア大陸はNATOに覆われることになり、歴史上初めてアメリカのパワーのもとでの統一が可能になるかもしれないが、それが本当に自由で安定した世界が開けるのだろうか。

 

ジョージ・ケナンが言っていたようにフランスやドイツやロシアによるユーラシア大陸の制覇は危険だ言うのは日本人である私にも理解できるのだが、それがアメリカなら大丈夫だという確証がないのである。

 

一方でプーチン大統領も今回の戦争についてしばしばアメリカの一局支配を打破する戦いと言っていて、本人はナポレオンやヒトラーの時と同じような状態と考えているみたいだが、通常戦力ではウクライナを相手にも苦労しているのにどのようにアメリカの支配を打破するのか不明である。

 

そのためには核を使うのではないかという疑念が拭えないのである。

 

キッシンジャーが何度も停戦を主張する危機感は少し理解できる気がする。