見出し画像

【コンサル物語(日本編)】Big4コンサルティングの歴史〜PWC〜①

アメリカでは、第二次世界大戦後から1980年代までBig8※と呼ばれていた大手会計事務所が存在し、コンサルティング会社としても発展していきました。

※アメリカに存在した8つの大手会計事務所のこと。ピート・マーウィック・ミッチェル、アーサー・アンダーセン、アーンスト・アンド・アーンスト、プライス・ウォーターハウス、ハスキンズ・アンド・セルズ、ライブランド・ロス・モンゴメリー、アーサー・ヤング、トーシュ・ロスの各社。後にDeloitte、PWC、EY、KPMGへと統合される

Big8各社はアメリカ企業の海外展開等に伴い、会計事務所の海外展開を積極的に進めていき、その過程で日本での事務所開設も進められました。今回はBig8の中からプライス・ウォーターハウス・クーパース(PWC)社の日本進出に伴う同社のコンサルティング発展の歴史を紐解きたいと思います。(参考資料『PWCジャパンの歴史』)

日本でのPWCコンサルティングの歴史は、大きく3つのステージに分けることができそうです。第1ステージは戦後から1990年頃までの、会計事務所の中で発展したコンサルティングの歴史、第2ステージはアメリカPWCの資本の下、1990年代~IBMへの売却までの歴史、第3ステージは21世紀に入りコンサルティング会社を再建する歴史となります。

今回は第1ステージの歴史について追って行きたいと思いますので、まずは日本におけるプライス・ウォーターハウス会計事務所の始まりについて見ておきたいと思います。

アメリカの会計事務所が日本に事務所を設立するに至った背景には、日本において公認会計士制度が開始されたことが一つにありました。1948年(昭和23年)7月にGHQ(連合国軍総司令部)の主導により、アメリカの制度をモデルとした公認会計士法が制定されました。翌年3月には第1回公認会計士第1次試験が実施されています。

その翌月の1949年(昭和24年)4月にプライス・ウォーターハウスの代理店としてロー・ビンガム・アンド・トムソンズ(LB&T)会計事務所が東京事務所を開設しました。開設時のメンバーはLB&T会計事務所の外国人会計士1名と日本人5名でした。その後しばらくの間LB&T会計事務所として監査業務を行っていましたが、1962年1月にアメリカのプライス・ウォーターハウス社がLB&Tを吸収し東京事務所はプライス・ウォーターハウスの日本事務所となりました。

ちなみに、他のBig8各社の日本事務所設立もこの時代に相次いで行われています。ピート・マーウィック・ミッチェル(後のKPMG)は1949年、ハスキンズ・アンド・セルズ(後のDeloitte)は1954年、アーサー・アンダーセンは1962年、アーサー・ヤング(後のEY)は1963年、ライブランド・ロス・モンゴメリー(後のPWC)、アーンスト・アンド・アーンスト(後のEY)、トーシュ・ロス(後のDeloitte)は1964年にそれぞれ日本事務所を設立しました。

経営コンサルティング会社のボストンコンサルティングは1966年、マッキンゼー・アンド・カンパニーは1971年にそれぞれ日本に進出しています。

プライス・ウォーターハウス社はこのような形で日本で会計事務所を開始した歴史がありますが、一方でコンサルティングについては、1967年(昭和42年)頃に会計事務所内にコンサルティング部門を立ち上げていたという歴史があります。当時、本家アメリカではコンサルティング事業が成長分野と目され、システムコンサルティング分野を中心に拡大をしていましたので、日本でも成長を期待しての部門立ち上げだったのでしょう。

ところが当時の日本は状況が違っていました。日本での主な業務内容は、欧州航路の海運運賃に関する協定であった日欧運賃同盟の計算業務のみであり、システムコンサルティングもたまに仕事が取れる程度で、経営コンサルティングを利用する素地がない日本においてはコンサルティング事業の拡大は非常に難しい状況でした。アメリカではコンサルタントが250名いたのに対して、日本では10~15名しかいませんでした。

プライス・ウォーターハウスジャパンは他の事務所に先んじて、1967(昭和42)年頃にはコンサ ルティング業務担当のMAS(Management Advisory Services)部門を立ち上げていた。

1969年にはNCR製汎用コンピュータを導入し、受託計算に加えてシステム開発にも携わったが、運賃同盟の業務を除くと定まった業務がなく、また、日本企業では経営コンサルティングを受け入れる素地も少なかった。 そのため、外資系の監査クライアントを中心に監査支援を含むEDP業務、コンピュータの利用促進、業務プロセスの改善提案などを10〜15名ほどの人数で営み、こうした状態が1980年代初めまで続いた。

『PWCジャパンの歴史』

このように60年代~80年代前半までプライス・ウォーターハウスの日本でのコンサルティング事業は同社のアメリカの状況とは大きく異なり、大きく成長することはありませんでした。風向きが変わったのは1980年代半ば以降でした。1980年代半ば以降コンサルティング部門は急激な成長を遂げたのですが、そのきっかけの一つとして、1984年(昭和59年)にコンサルティング部門を別会社化したことが挙げられます。

時計の針を20年ほど戻します。昭和40年不況(証券不況)による大企業の倒産と粉飾決算の発覚で、日本政府は監査組織の強化を柱とする制度改正を図りました。1966年(昭和41年)2月に監査法人制度の改正案が国会に提出され、5月に法案可決、7月から施行されています。法律の施行を受けて会計事務所は続々と監査法人化を果たしていきましたが、監査法人になることで経営コンサルティングは提供できなくなるという制約がありました。プライス・ウォーターハウス社を始めとするアメリカBig8各社は、会計事務所内に監査とコンサルティングを抱えている状態でしたので、日本事務所を監査法人化するには色々と検討するべきことがありました。

そのため監査法人化には時間がかかりましたが、プライス・ウォーターハウス会計事務所は1983年(昭和58年)にようやく青山監査法人という名で監査法人化を果たしました。そして、監査法人として社内に抱えることができなくなった経営コンサルティング事業は、1984年(昭和59年)12月に設立したプライスウォーターハウスコンサルタント株式会社(PWコンサルタント)に全て移管され、コンサルティングサービスは監査法人とは別会社で行うこととなりました。

会計事務所から独立したプライスウォーターハウスコンサルタント(株)は1980年代半ば以降、日本を代表する大企業から財務会計パッケージ導入、基幹システム構築、連結決算システム導入、会計システム構築等のプロジェクトを受注し急激に成長を遂げました。

MCS(経営コンサルティング)部門は、1980年代半ばから急激な成長を遂げ、1990年代初頭には部門人員も200名を超えるまでになった。

1980年代の後半から1990年代にかけては大型案件の受注が相次いだ。まず、NTTから分離独立したNTTデータ通信から、基幹システムを受注。設計・開発・導入試験を含めた受注総額は17億円に達した。同じ時期に、トヨタ自動車からは一般会計シス テムと連結決算システム導入プロジェクトを受注し、この一般会計システムをビープルソフトの汎用機向けパッケージによって構築した。

1990(平成2)年に入るとソニーから会計システムの構築を受注した。PWコンサルタントが提案したのは、当時としては画期的なOLTP(Online Transaction Processing)という、本社と全国の事業所を専用ネ ットワークで接続してすべての会計伝票を一括で処理するシステムで、全国すべてのシステムを入れ替えるのに満5年の歳月を要する巨大なプロジ ェクトとなった。

『PWCジャパンの歴史』

このようにプライス・ウォーターハウス社は日本でのコンサルティング事業を拡大できましたが、コンサルティングの好調はそう長く続きませんでした。バブル景気の崩壊とともにコンサルティングの成長も頭打ちになったのです。

(続く)

(参考資料)
『PWCジャパンの歴史』


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?