RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ロミオとジュリエット』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

Two households, both alike in dignity,
In fair Verona, where we lay our scene,
From ancient grudge break to new mutiny,
Where civil blood makes civil hands unclean.
From forth the fatal loins of these two foes
A pair of star-cross'd lovers take their life;
Whose misadventured piteous overthrows
Do with their death bury their parents' strife.
The fearful passage of their death-mark'd love,
And the continuance of their parents' rage,
Which, but their children's end, nought could remove,
Is now the two hours' traffic of our stage;
The which if you with patient ears attend,
What here shall miss, our toil shall strive to mend.

プロローグ 冒頭の合唱隊


執筆時期は明確には判明していませんが、『ヴェローナの二紳士』『夏の夜の夢』などと同時期と見られ、シェイクスピアが秀作を生み出していく成長時代に書かれたと見られています。主としての種本はマッテオ・バンデッロの『ロミアスとジュリエットの悲しき物語』というイタリア散文詩が用いられ、憎み合う二つの貴族があり、両家の子が互いに恋に落ち、悲しみの終幕を迎えるという流れを踏襲しています。

十六世紀イギリスの社会では男尊女卑だけでなく、個性以上に社会的立場を重要視されて、個の意思の尊重は二の次とされていました。言い換えれば、ロミオとジュリエットにとって生まれた家柄が障壁となることは、絶対的な自己否定が必要となり、それを解消するために社会から逸脱することは、二人に死同然の覚悟を必要としました。また劇において、この貴族同士の憎み合う動機が語られていないことが、障壁を打ち壊す手立てを見つけることができないという絶望感を与えています。


本作に込められた主題は「運命」であると言えます。異常なまでの時間の圧搾力によって、ロミオとジュリエットが瞬く間に恋に落ち、マーキューショーの命が燃え、親族の悲しみを乗り越えるためのジュリエットの婚姻が取り結ばれるという目眩く展開が行われ、怒涛の速度を持った物語となっています。しかし、この圧搾力による時間の凝縮は、貴族同士の不和の感情による切迫感と、新たな婚姻の契りが迫り来るという恐怖感を高めながら、観るものへの焦燥感と説得性を持たせていきます。

登場人物において、大公、両貴族、乳母、そして修道僧は、ジュリエットやロミオ、マーキューショー、パリスなどと対比的に年老いて描かれています。そのなかでも、修道僧ローレンスは徹底して二人の若者の意思を尊重する人物として存在します。彼は若者のための社会をより良いものへと導こうと、日頃より思考を巡らせて行動していることから、その故に両貴族や乳母から聖人らしく好好爺として尊重されています。だからこそ、誰もがローレンスの元へ駆け込むことは必然であり、神の加護を得ようとする自然な行為と見做されていました。また、乳母の猥雑な隠語と掌を返すような言動は老獪な下賤さを強調し、ジュリエットのロマンティシズムを対比的に捉えて鮮明に浮かび上がらせています。


終盤の悲劇は全て、仮死状態のジュリエットが眠る霊廟にて行われます。キャプレットが縁談を一日早めたことも、パリスが僅かに名残惜しくジュリエットの傍へ佇んだことも、ロミオの手にローレンスの手紙が届かなかったことも、ロミオがジュリエットへ注意深く触れなかったことも、ジュリエットが数分早く目覚めなかったことも、全ては悲劇へと収束します。霊廟という神へ最も近い場所で行われる悲劇は、運命(神の力)が働いていると考えられ、冒頭で合唱隊が述べた「死の印」(their death-mark'd love)と繋がります。若い男女の恋への端的なシニシズムではなく、たとえ命を賭した運命への抵抗であったとしても、神の下では儚く脆い悲劇となることを描いています。

 

愛し合ふ二人の男女がただ見えない死の中に吸ひ込まれて行くだけではなく、死が、死の世界が向う側から遣って來て、觀客の前に判󠄁然と姿を現す。

福田恒存ロミオとジュリエット』解題


冒頭で合唱隊が述べる「星が交差する二人」(A pair of star-cross'd lovers)は、互いに結ばれず命を終えることを示唆しています。ロミオが第五幕第一場で「本當なら運命と一戰交へてやる!」(then I defy you, stars!)と叫ぶ場面では、「星=神=運命」の捉え方が明確に表現され、彼の強い想いが信心を凌駕していると受け取ることができます。また同様に、ジュリエットが第二幕第二場で「何もお誓ひにならないで、もし、どうしてもとおつしやるなら、私が崇める神、そのあなたご自身にかけて、それなら信じませう。」とロミオへ懇願する台詞からも、信心以上に愛情が心を支配していると理解できます。彼らの若さ燃える情熱ゆえに起こる神への涜神は、信仰を放棄したことを決定付け、運命へ刃を向けて抗う意思を明示します。しかし、どれほど強く、固い意志を持って運命に抗ったとしても、定めの「死の印」を手繰り寄せる結果にしかならず、霊廟で多くの血と共に二人は眠ることになりました。


神へ仕える修道僧ローレンスの社会を良くしようとする「慈善の策謀」さえ、神の下では悪行に違いなく、ついぞ叶うことなく悲劇の連鎖を生み出しました。しかし、真に慈善の心を持って行動したことを大公や貴族は真摯に受け止めて、悲劇を生んだ根源の「互いに憎しみ合う心」を解消し、貴族同士は固く手を結び合います。ロミオとジュリエットは互いに埋め込まれた「死の印」から逃れることは出来ませんでしたが、その命を賭した行動は社会を穏和に変化させる結果を生み出しました。二人が捨て去った「一般的幸福を得られる社会」は、二人の命によって更なる平穏を得るという結果を、この物語はシニックに描いていると言えます。


本作は、プロローグで明示された「死の印」「定められた運命」に抗いながら、愛のために懸命に求め合った二人の男女の愛を美しく描いています。愛の激しさと運命の苛酷さが明暗を成して美しい恋愛悲劇を作り上げています。一度は耳にしたことのある作品、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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