RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『夜想曲集』カズオ・イシグロ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

ベネチアサンマルコ広場で演奏するギタリストが垣間見た、アメリカの大物シンガーとその妻の絆とはーーほろにがい出会いと別れを描いた「老歌手」をはじめ、うだつがあがらないサックス奏者が一流ホテルの特別階でセレブリティと過ごした数夜を回想する「夜想曲」など、音楽をテーマにした五篇を収録。人生の夕暮れに直面して心揺らす人々の姿を、切なくユーモラスに描きだしたブッカー賞作家初の短篇集。


アイルランドの作曲家ジョン・フィールドによって生み出された性格的小品「夜想曲」(nocturne)は、彼を崇拝していたフレデリック・ショパンが倣うように作曲して生まれた楽曲によって、世に大きく広まりました。ショパン夜想曲は月の光とロマン性に満ちた「夜と夢」の小品で、聴く者の感情に深い感慨を呼び起こさせます。左手のリズムを刻むアルペジオと歌うような右手の旋律で、感情が自由に流れるような印象を与え、背景に込み上げる切なさが漂います。

 

いわばむき出しの姿で歌われる旋律のひとつひとつの音が、ショパンの新しい「音の発見」の意味を語っている。そしてその音は、作曲家の内面の抒情をうつし出す影というよりも、むしろ、あらゆる瞬間に新しい感情をよびさます「もの」として、厳しく外に見つめられている。

遠山一行『ショパン


五篇をまとめた本作『夜想曲集』は、一枚のアルバムを聴くように読んで欲しいとカズオ・イシグロは話しています。

陽の光が弱まり夜が訪れると、より意識が活性化していくような経験をしたことがあると思います。日中の生活に合わせた激しい行動のあと、暗くなった景色に吸い込まれるように脳が集中して、新たな感情や思考が浮かび上がり、幻想を帯びた明確な意識の目覚めを感じることができます。月の光や静まった空気は幻想的な情緒を醸し出し、新たな発想や新たな決意を胸に抱かせます。本書はこの一日を人生に擬えたような、人生における夕暮れとも言える全盛期を過ぎた登場人物たちの苦悩や誇りを、今一度見つめ直す劇的な瞬間を流れるように描いています。


五篇それぞれには、「夫婦の問題」が含まれています。長く連れ添いながらも関係の終わりに向かう夫婦、才能に恵まれたものの容姿に劣等感を懐く夫とその妻、これから結婚すると見られるチェリストとその相手など、多様ながら全てに憂いを帯びさせています。彼らを繋ぐ、そして物語を繋ぐものが「音楽」であり、彼らの憂いの元もやはり「音楽」にあります。文章に現れる音楽の描写は決して多くはありませんが、奏でられている空気は読者に届き、憂いと幻想の夜想曲を感じることができます。


本書に通底する主題は「芸術的才能の有無」であると言えます。確かな才能があって一度は成功したが過去の人となった歌手のガードナー、圧倒的才能が一部のものに理解されながらも日の目を見ることのないスティーブ、芸術性感受に秀でたチェリストの大家マーコック、彼らは才能あるが故の苦悩と誇りを持っています。それは男女の関係性さえも凌駕して、音楽に人生を見出そうと試みます。芸術的才能によって構築された人生における価値観は、人生の核として、生き甲斐として強く胸に存在します。妥協を許さない誇りは、驕りにも通じるものがありますが、価値観を満たさなければ人生の謳歌が得られないという確信を持って、信念として彼らの言葉の端々に垣間見えます。


芸術的才能は「音楽」以外の芸術にも当然に該当します。文化芸術と呼ばれる「絵画」「建築」「彫刻」「舞踏」「文学」、これら全てにも芸術的才能は必要であり、著者のカズオ・イシグロもその一人です。彼の訴えは、彼自身の経験であるギターを片手にソングライターを目指した経験、そして自身の持つ才能との乖離による挫折が背景として感じられます。その後にジャズ歌手へ曲や歌詞を提供して成功を得たことは、彼の才能が「音楽」と「文学」を繋ぎ、彼の芸術的才能における独自性を明確に世に知らしめました。


本書では、芸術的才能の理解と覚悟に揺るがされる男女の想いが切なく描かれています。そして人生の後半に差し掛かり、現在の自己の在り方と信じる芸術的才能の所在が適合出来ているのかどうか、もしくは甘んじずに覚悟を持って芸術性を真に開花させる必要があるかどうか、これからの生き方を見つめる強い姿勢が読む者に響いてきます。幻想的な「夢」とも言える芸術的才能の将来の開花は、悲観的ではなく前向きな印象を残します。しかし、その決意が男女関係に与える影響は大変切なく、哀愁を帯びて描かれています。美しさと儚さを兼ね備えた登場人物たちの決意は、芸術性の追求という人生の根源に従いながら「夜想曲」のように文章で流れていきます。

 

人生って、誰か一人を愛することよりずっと大きいんだと思う。あなたはその人生に出ていくべき人よ、スティーブ。あなたみたいな人はその他大勢と一緒にいちゃだめ。わたしをご覧なさい。この包帯がとれたって、はたして二十年前に戻れるかどうかわかりゃしない。それに独身だったときなんて、もう大昔だしね。でも、わたしは出ていって、やってみる


カズオ・イシグロは「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」ことで2017年にノーベル文学賞を受賞しました。本書でも世界各地の描写が自然に描かれ、瞬間瞬間を切り取ったようなリアリズムを見せています。そして、そこに通底する主題が幻想性を膨らませて美しい作品を作り上げています。非常に読みやすく、世界に浸りやすい作品群です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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