発信をするだけで1日が救われることもある

「今日も昨日とは違う1日だったなぁ。」

と救われるのは、日々発信を行なっているからかもしれないなぁと。


事務所の救われスポット。


税理士業だけの1日でも充実感はあるかもしれないけど


「今日も1日仕事をやり切ったなぁ。」などというように日々仕事があり、

それが売上につながることによる充実感というものは、独立後の世界においてより増してきているといえます。

「じぶんを信頼してもらえる嬉しさ。」

「仕事をしたことによっていただく感謝の言葉。」

「新たな仕事でじぶんの幅を増やせる充実感。」

などというように「やることがある充実感とやりたいことができている充実感。」というものがあったりするものです。

なので、目の前の仕事の依頼と向き合っていくだけでも充実した日々を過ごせているといえます。

ただ「今日も仕事をやってやったぜ。」と感じていたとしても、

「今日は定型業務だけだったかも。。。」といった感覚もないわけではありません。

それこそ税理士業となれば「特別な節税方法を日々編み出していく。」というよりは、

「お客さまとの程よい距離感でそれほど突飛な提案をすることなく、淀みない仕事をする。」ということが必要となるともいえます。

だからか、お客さまとの関係性が深まれば深まるほどその仕事はやりやすく(定型業務化しやすい)なるものだったりします。

たしかに、定型業務化といっても流れ作業といったような感覚で行うことなく、日々のスパイスを効かせる必要はあるものです。

それでも「税理士業は定型業務をミスなく行う。」ということが中心になるので、深く悩んで考えるといったことはそれほど多くないものだといえるかもしれません。



発信ネタを考えてじぶんと向き合うだけでも救われる


日々の税理士業を行うだけでも、充実感といったものはかなり得られているといえます。

とはいっても「税理士業だけの1日にちょっとした風穴をあけたい。。。」とも考えたりもするのです。

そんな風穴をあけるひとつの手段としても「発信をする」という行為は、その日のじぶんを救うことがあったりするかなぁと。

「今日もネタを見つけて発信することができたなぁ。」などというように。

そして、発信にはTwitterなどのSNSもありだと思いますが、

ブログやYouTubeなどのように、

「発信するためにまとまった時間を使うもの。」の方がじぶんと向き合える感覚があるのかもしれません。

たとえば、このブログでは「さあ何を書こうかな。。。」などと、

日々ネタ探しをしてじぶんと向き合わなければ書けなかったりすることもあるのです。

それでも書くことができると、

「今日もいつもとは違った1日を過ごせたなぁ。」とじぶんに向き合えたことに対して救われる感覚があったりするといえます。


謙虚になれるから救われる


日々の習慣にしているブログやYouTubeなどを行なっていると、

「じぶんって書くのも得意じゃないし、話すのも得意じゃないんだなぁ。。。」などと程よい挫折を味わう場面もあったりするといえます。

ただ、税理士業を行なっていると、

「感謝されて褒められる。」といった場面が少なくなかったりするので調子に乗りそうになることもあるのです。。。

「じぶんっていい仕事してんじゃん。。。」などというように。

そんな日ほど発信をしていることにも救われているといえるかもしれません。

「書けない。。。」

「話せない。。。」などと感じて、

「じぶんはまだまだできないことが多いから調子に乗らないように気をつけよ。」と気を引き締められるともいえます。

だからか発信する場をつくることで、

「じぶんを過大評価することなく、そしてじぶんの1日に一輪の花を咲かせられた。」などというように救われることもあるかなぁと。


まとめ


発信をしていると嬉しい言葉を頂くこともありますが、一番救われているのはわたしなのかなぁと。


【おわりに】

わたしはサッカーが好きなのでワールドカップもありがたいのですが、

「テレビはサッカーばっかりじゃん。。。」と妻が嘆いているという。。。


【一日一新】

VICTORINOX マルチツール(超ミニマル主義に感化されて買ってみました。)

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