学生時代の寮生活①

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雑記

今使っている化粧品のことを記事にしようと思って、思い出したのが短大生時代の寮生活。

そうだ!寮生活のことからまずは書いてみようと思います。

寮生活といっても、結構特殊な寮だったので、世間一般的な寮生活とは違ったものだったと思います。

寮生活の話

大学受験

私の家では、大学受験に対しての条件がありました。

県内の国立大学のみ受験して良し』という条件です。

私の高校では、400人中30番台の成績順位にいないと、県内の国立大学に現役合格は厳しいものでした。

当時は、女の子は短大に行く子が多かった時代です。

県内には、私立の短大しかありませんでした。

私立の短大でも父は『ダメだ』と受験の許可が出ません。

兄は浪人をしたのですが、私は女ということで浪人すら許されません。

兄は親に対して主張をする子ではありませんでしたが、私は主張しました。

👱‍♀️「浪人もダメ、私立は短大もダメと言われたら、滑り止めの学校をどこも受けられないことになるやん」

今思えば、国立大学は無理だという甘い考えだったなと思いますが、父は女の私に対しては甘いところもあったので、少し条件を広げてくれました。

👨「関西以西の国公立だったら良しとする」

当時はインターネットがなかったので、本屋や高校からもらう資料で大学や短大を探しました。

関西地方の2つの公立短大を見つけ、2校受けることにしました。

結局4年制の大学も、県内よりもレベルを下げての県外の大学を受験しました。

勉強のスタートが遅すぎたこともあり、結果は惨敗…。

1校だけ受かったのが、関西の端っこの方の公立短大でした。

父に『浪人して県内の国立大学を受けたい』と言ってみましたが、さすがに却下されてしまい

👨「受かった短大に進学しなさい」

と言われたので、従うしかありませんでした。

合格後に送られてきた資料には、寮があることが書かれていたのですが、『戦前立地の寮』で、『15名定員のため、抽選』とありました。

父には寮に入るよう言われたので、(抽選に落ちればいいのに)と心の中で思いましたが、見事に当選し、寮に入ることになりました。

戦前立地の寮

引っ越しの時には、母が一緒に来てくれました。

現地に到着して中に入ると、寮母のおばちゃんが出迎えてくれました。

ご近所にお住まいの、70代の女性です。

部屋の抽選があり、私は一番ハズレの居間の横の部屋になりました。

1部屋2名から3名の人数割です。

私の部屋は、3名部屋でした。

結局最終的に12名の寮生が揃いました。

抽選といっても、戦前立地の普通の民家のような二階建ての戸建ての寮です。

そんなオンボロ寮には、みんな住みたいとは思わないのでしょう…。

寮費は格安で、食事代や寮母のおばちゃんへのお礼も込みで2万円だったと記憶しています。

30年前とはいえ、2万円は格安でした。

料理は当番制で、自分たちで作っていました。

出身地は県内の子が一番多かったのですが、一番遠くは大分で、その他は香川・岡山・長野・福井・富山・兵庫から集まっていました。

学部はみんなバラバラでしたが、少人数だったのですぐに仲良くなりました。

寮長

入寮式の日に、全員でくじ引きをしました。

寮長・副寮長を決めるのですが、なんと、私は寮長になってしまいました。

短大の担当教員と、ご近所挨拶に回りました。

🙍‍♀️「毎年いうのですが、夜遅くまでおしゃべりが弾んで迷惑しているので、充分気をつけてください」

いきなりそんなことを言われてしまいました…。

寮長と言っても、通常の仕事はほとんどありません。

短大からの連絡事項があれば呼び出されて、みんなに伝える程度でした。

半年間の任務で交代でしたが、名ばかりの寮長でした。

騒音

閑静な住宅街の中にポツンとあった、短大の寮。

年頃の女の子が12人も集まれば、静かにするなどということは無理でした。

しょっちゅうお叱りの電話があり、その度に静かにするのですが、またうるさくなるという無限ループ。

寮母のおばちゃんは、私たちの味方をしてくれて

👵「年頃の娘さんたちなんだから、少しくらいは大目にみてくれてもいいのにね」

と言ってくれる、とても優しい寮母さんでした。

お風呂は灯油だったので、お湯を沸かす音がかなり大きく、23時までに入らないとダメというルールがありました。

これもご近所さんからの通達です。

お風呂に入る順番も、クジで決めていました。

バイトから帰ってくるのが23時以降の人は、お風呂を沸かすことができないので、湯船に浸かるだけにしていました。

まるで銭湯のような時間制限…。

夜に入れなかった子たちは、朝や昼に入っていました。

痴漢が侵入

ある日の夜、22時頃だったと思います。

私はその頃から寝るのが早かったのでウトウトしていたのですが、外で男性が騒ぐ声が聞こえて目が覚めました。

みんなで外に出ると、警察官がいました。

痴漢が外から私たちを覗いていたようです。

カーテンも古かったのでスケスケで、部屋の中が丸見えだったようです。

なぜ警察官が来たのかというと、お隣の人が

🙍‍♀️「また騒いでいてうるさいな😤電話してやろうか」

と外を覗いてみたところ、男が部屋の中を覗いているのが見えたので、警察に通報したのだそうです。

短大の担当教員と私は、後日ご挨拶に伺いました。

🙍‍♀️「あなたたちが夜遅くまで騒いでいるから、痴漢を挑発してしまっているのですよ」

お叱りを受けてしまいました…。

懲りずに、その後も何度か騒いではお叱りを受け続けてしまっていました💦

まとめ

もう30年前のことですが、思えばいろんなことがありました。

初めて実家を離れての暮らしに、刺激が多すぎた毎日でした^^;

長くなってきたので、次回に続きを書きたいと思います。

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