こんにちは!タクドラたみです♪
今回ご紹介するのは、新潟県小千谷市にある「慈眼寺(じげんじ)」です。
「なんだい? その、どこにでもあるような、お寺は?」
と、思われるかも知れませんが、侮らないでください!
ここは、北越戊辰戦争(1868年)時、戦争を回避したい、長岡藩、河合継之助が、新政府軍、岩村精一郎との会談(5月2日)が行われたお寺です。
会談は決裂し、その後、約3ヶ月に及ぶ戦闘に突入しました。
まず、河合継之助(1827~1868 享年41歳)を、簡単に紹介します。
彼は、坂本龍馬と並び称され「幕末の風雲児」とよばれた男。
作家、司馬遼太郎の代表作『峠』は、彼の生涯を描いた小説です。
また、新選組の土方歳三と並ぶ、幕末維新の二大ヒーローとも言われています。
河合継之助について、越後長岡観光ガイド&マップ「舞たび長岡」から引用します。
幕末の長岡藩家老。
藩政改革を進め近代武装化を断行。
(ガトリング砲を2門購入した話が有名ですね)
戊辰戦争では中立の立場を目指すが実現せず、軍事総督として軍を率いて新政府軍に対抗しました。
河合は会津へ向かう途中、(戦いで負傷した)足の傷が元で最期を迎えました。
慈眼寺について、長岡市観光企画課の「戊辰・河合継之助 ゆかりの地 ガイドブック」から引用します。
北越戊辰戦争を語るのに、欠かす事の出来ない史実、小千谷会談の行われた場所。
継之助の懇願は届かず、岩村精一郎(当時23歳)はわずか30分で席を立ち、会談は決裂した。
本堂に入ると右側には、二人が対面した部屋が当時のまま残されている。
見学は、事前に申し込みが必要。(0258-82-8495)
この会談で、継之助が期待した、後の総理大臣、山形有朋や黒田清隆と、話すことができれば、歴史が変わっていたかも知れませんね。
慈眼寺など、河合継之助ゆかりの地を回り、学び感じることで、今の時代を生きる私たちにとって、有意義であることは間違いないです。
個人的には、
「眼を開け、耳を開かなければ、何事も行われぬ」
という、継之助の名言が好きです。
「常在戦場」の長岡藩主、牧野忠成
「米百俵」の、小林虎三郎
「やってみせ…」の、連合艦隊司令長官、山本五十六
など、著名人を生んだ、かつての長岡藩の地には、学びが凝縮されています。
是非、訪れてみてください!
(記事内の写真は、2022年9月9日に撮影したものです。)
【アクセス・基本情報】
【一緒に訪れたい】
●「河合継之助記念館」
●「長岡市郷土資料館」
●「北越戊辰戦争伝承館」