国民年金とか厚生年金とかいうものは、65歳から受給するのがモデルケースである。
だが実際には希望して申請すれば、前倒しして受け取る(繰り上げ支給)ことも可能だ。
最短では60歳から、もらうこともできる。
ラッキー、と思ってはいけない。早めにもらうぶん、当然金額は減らされる。
世の中そんなに甘くない。ちゃんと公平に、システムは設計されているわけだ。
減額幅は、受給開始時期で違う。最短60歳で受け取ると、24%減らされる。その金額での支給が、一生変わらずに続く。
さてここで当然、普通通りに65歳からもらうのがいいか、早期受給に踏み切るべきか、という葛藤が生じる。
そのままではずいぶん哲学的な(笑)問いになってしまうので、少しかみ砕いて考えてみよう。
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一般に年金の金額は、それでの掛け金の納付状況、つまりは現役時代の収入の状態によって決まってくる。
ここにAという人物がいて、65歳から月10万の年金を受け取ったとする。現役時代は、ずいぶんワーキングプアだったようだ(笑)
さてAの同級生のBが、たまたまAとまったく同じ納付状況で、60歳から繰り上げて年金をもらったとしよう。
初めのころはBさんだけが年金をもらえるので、ほくほく顔である。
だがやがて65歳となって、Aさんも受給を始めると、雲行きがあやしくなってくる。
何しろ月々Aさんのもらえる金額は、減額されていないぶん、Bさんよりも多いわけだ。それを知ったBさんの顔が、だんだん引きつってくる。
さて、Bさんが最終的に敗北を覚悟して、早期受給の選択を後悔するのは、一体二人が何歳になった時点でしょう?
簡単な算数である。開成中学の入試には、さすがにこんな甘い問題は出ない(笑)
中学受験の算数には、つるかめ算とか流水算とかがあった気がするが、さしずめこれは年金算とでもいうべきものだ。
中学入試はもうすっかり忘れてしまったので、方程式で解いてみることにしよう。
<計算>(数理に強い方は飛ばして読んでください)
Bさんが60歳から月々もらう金額は、本来の10万円から24%減額された
10×(100-24)/100=7.6万円
だ。
年額に直せば
7.6×12=91.2万円
つまり65歳になった時点で、Bさんがすでにもらっていた金額のトータルは、それまでの5年分、
91.2×5=456万円
その時点ではBさんが、456万円分だけ得をしていたわけだ。だがそこから、Aさんの逆襲が始まる。65歳でAさんの支給が開始され、その金額はBさんよりも月々
10×24/100=2.4万円
多い。その分、それまでBさんの積み上げてきた「得」(アドバンテージ)は、次第に失われていく。
Bさんのトータルの支給額が、Aさんのそれに追いつかれ、追い越されるのがそれからX年後とすると、
2.4×12×X=456
方程式を解くと、
X=15.83333333
だから、おおむね65歳の16年後、つまり81歳くらいで、両者の支給総額が均衡する。
<計算終了 Q.E.D>
ここまで↑ただの計算用紙(笑) ここから↓再び本題
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つまりはおおよそ81歳が、損益分岐点となる。
それより長生きすれば、Aさんの方が得をしたことになり、早死にすればBさんが得をする。
ぴったり81歳なら、めでたく引き分けということになるわけだ。
しかしこの81歳という数字、どこかで聞いたことがないか?
そう。何のことはない。日本の男性の平均寿命(2022年発表で81.49歳)である。
つまりはごく平均的に生きて、平均的に死んだ日本人は、繰り上げ受給を選択しようとしまいと損得は変わらない。
当たり前のことだが、ごく公正に制度が設計されている――そうなるように減額率が計算されているわけだ。
現に24%という前述の減額率は、昭和37年4月1日以降に生まれた人間の場合だ。
それ以前に生まれた人間は、減額率は30.0%となり、損益均衡の年齢はおおむね76.7歳。
つまりは平均寿命が今より短かった時代の、名残が残っている。
言い換えれば、平均寿命の伸びに合わせて、不公平にならないように、ちゃんと制度が調整されているというわけだ。
待てよ。
日本の男性の平均寿命? てことは、女性はどうなるんだ。
男と同じ扱いを受けるわけだから、繰り上げ受給した女性が平均寿命(2022年発表で87.60歳)まで生きたとしたら、大損じゃあないか。ちっとも公正じゃないじゃあないか。
つまりは女性は、世帯主たる亭主に扶養されているはずだから、特に考慮する必要はない、という考えなわけだ。
もっぱら旧時代の、専業主婦中心の女性観に基づいて、作り上げた制度なわけだ。
こいつはけしからん。結婚せずに、仕事一筋で頑張ってきた、かっこいい女性たちはどうなるんだ? 自立した個としての、女性の尊厳を、ないがしろにしている。
というわけで、たまには宗旨替えして、正論屋のフェミニストの真似をして、抗議の声でも挙げてみるかな(笑)
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さて自分はと言うと、諸般の事情と物のはずみで(笑)、繰り上げ受給を選択してしまった。要するに目先の金に、目がくらんだわけである。
いったん受給を始めてしまったから、もう途中で変更はきかない、と宣告されている。
その後になって、この計算式に気が付いたのだ。
おおよそ81歳が損益分岐点で、自分のような「繰り上げ受給組」は、それより早死にすれば得をするが、長生きすれば損をしたことになる。
長生きすればするほど、その損がふくらんでいき、90歳を超えようものなら、きっと大損こいたと地団駄を踏むことにになる。
自分は根っからのギャンブラーである。
ギャンブラーにとっては、あらゆる選択がギャンブルである。
早期受給を選択した自分は、すなわち早期受給に「賭けた」のだ。そしてもし早期受給者は、早死にしなければ儲からないとしたら。自分は不覚にも、自分の早死にの方に賭けてしまったことになる。
誰だって自分の選択によって、金銭的に報われたい。そのことで自分の選択が正しかった、と自己満足したい。
だがとりわけギャンブラーの場合、その心的傾向が余人よりも、とりわけ強いわけだ。
どんな場合でも、何としても博打に勝たなければ、気が済まない。
だがしかし今の場合、そのためには早死にをしなければならない、という羽目(ジレンマ)に陥っているのだ。
ただただ命を永らえたいといういじましい動物的本能と、勝利を手にして美しく散りたいという、気高きギャンブラーの渇仰が相克する。
早期受給者がもっとも得をするのは、65歳になる直前に死んだ場合である。
そうすれば、65歳受給であればけっしてもらえなかった456万円(上記の計算例の場合)を得たことに満足して、ほほ笑みながらあの世におもむくことができる。
だがその時までには、あと何年もない。不思議な焦燥感にとらわれる。
もちろんそんな馬鹿馬鹿しい結末を、選ぶわけはない。だがそれでも心のどこかに、ギャンブルの美学に殉じてはなばなしい最期を迎えたいという誘惑が、――衝動がくすぶっていなくもない。……
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