なぜ生きているのだろうか――うつ病と向き合う意味
「なぜ生きているのだろうか。」
うつ病とともに生きる人々の多くが、一度はこの問いに突き当たる。
目の前の世界は灰色に見え、日常のすべてが重くのしかかり、何をしても楽しいと感じられない。
未来に希望を見出せず、生きる意味を見失ってしまう。
私自身、長い間この問いに悩まされてきたし、今でも答えが見つかったわけではない。
だが、それでも、こうして言葉を紡いでいる。
うつ病とは、単なる「気分の落ち込み」ではない。
脳の機能に変化が起こり、思考の歪みが生じ、心身ともに深刻な影響を及ぼす病気だ。
多くの場合、理屈では説明しきれない苦しみが伴う。
どれだけ「前向きに考えよう」としても、ネガティブな思考から抜け出せない。
まるで濃霧の中を彷徨っているかのようで、どちらに進めばいいのかさえ分からなくなる。
うつ病が奪うもの
うつ病は、人から多くのものを奪う。
まず、エネルギーが失われる。
朝起きることすら苦痛で、何もしていなくてもひどく疲れる。
以前は楽しめた趣味にも興味を持てなくなり、何をしても「楽しい」「嬉しい」と感じられなくなる。
人間関係も壊れやすい。
うつ病の苦しみは目に見えないため、周囲には理解されにくい。
「怠けているだけ」「気の持ちよう」「頑張れば何とかなる」といった言葉が、ナイフのように突き刺さる。
結果として、人と距離を置くようになり、孤独感が増していく。
そして何より、生きる意味そのものを見失う。
なぜ自分はここにいるのか、何のために生きているのか――答えの見えない問いが頭の中で延々と響き続ける。
それがどれほど苦しいことか、経験した人でなければ分からないかもしれない。
それでも、生きる意味はあるのか
生きる意味を考えるとき、多くの人は「何かしらの価値」や「目標」が必要だと考える。
しかし、うつ病に苦しんでいるときは、そんなものを見つけるのは難しい。
「これをやりたい」と思えないどころか、「何もしたくない」状態に陥ることもある。
では、それでも生きる意味はあるのか?
答えは、きっと人それぞれだろう。
ただ、私は「生きることそのものに意味がある」と思うようにしている。
今は何も感じられなくても、いつか少しだけでも心が軽くなる日が来るかもしれない。
昨日と同じように苦しくても、未来のどこかで違う景色が見えるかもしれない。
「意味のない生は、生きるに値しない」と言う人もいる。
しかし、意味がなくても生きていいのではないだろうか。
少なくとも、今ここにいることは事実なのだから。
うつ病とともに生きる
うつ病が完全に治る人もいれば、一生付き合っていく人もいる。
どちらが正しいというわけではなく、それぞれが自分なりの生き方を模索している。
時には「もう限界だ」と思うこともあるだろう。
何をしても無駄な気がして、すべてを投げ出したくなることもあるかもしれない。
そんなとき、無理に前向きにならなくてもいい。
ただ、「今は苦しい」と認めるだけでもいいのだ。
生きているだけで、十分すぎるほど頑張っている。
うつ病を抱えながら生きることは、それ自体が大きな努力なのだから。
終わりに
「なぜ生きているのだろうか。」
その答えは、今すぐに見つからなくてもいい。
生きる意味が分からなくても、ただ今日を生き抜くだけでいい。
それが、うつ病とともに生きるということなのかもしれない。
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少しでも生きる力をみいだせれば幸いです
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医師にタンパク質を摂りなさいと言われたので。
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私の時にこれらがあったら、また違った人生だったかもしれない。