この表題をつけたのは、
文字通り、私自身がまさに光を求めて、
長い間さまよってきたからである。
何とか光のさす方へ向かって、
歩き出したいともがいている内に、この本に辿り着いた。
「自分を縛る“禁止令”を解く方法」大鶴和江著
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著者の言われるように、
私の問題点を書いてみることにした。
おそらく物心ついた頃から、
私はいつも暗い憂鬱な気分の中に、
閉じ込められているような感覚から逃れられずにいる。
たまに誰かと楽しい時間を過ごしたとしても、
独りになると、潮が引くようにその煌めきが遠ざかり、
楽しかったはずの記憶さえも、
すうっとモノクロ写真のように、彩りを失っていく。
そんな感覚を繰り返し感じてきた。
母は、感情の起伏の激しい人だった。
そしてそれは、まったく規則性のないものであった。
たとえば、子どもの頃帰りが遅くなったとしても、
ある時はまったく興味を示さず、
またある時は烈火のごとく怒る、という風に、
こうしたら叱られる、これをしたら褒められるという、
基準がまったくなく、母の反応を予測できないのだ。
時々、突然優しくしてみたり、
また何かの八つ当たりのように怒鳴りつけたりするのだった。
私はいつも心が休まらず、母が機嫌よく見える時も、
次の瞬間に怒り出すのではないかと、気が気ではなかった。
いつも母の顔色を窺い、
次に母が見せるだろう表情を読み取ろうとしていた。
母が私を愛していなかったなどとは思っていないが、
子どもが安心できる環境を作ってくれなかったことは確かだ。
それで、いつも私は不安だった。
母以外の誰かといても、
その不安がいつも心の底に敷かれていた。
その不安の上に積まれていく経験は、とても危うく、
少しの行き違いや諍いによって、一瞬にして無に、
いや負の経験にまでひっくり返ってしまうのだった。
そして、もうどうにも取り返しのつかない黒歴史となって、
私の心にタトゥーのようなシミを作ってきた。
それは、私の心の中の出来事でしかない。
相手はそんなことは知る由もなく、
いつも通り接してくるが、
一度できたシミは容易に消すことができず、
その人のイメージさえも、シミに覆われていくのだ。
それは対人関係に限らず、
私の行動のひとつひとつにも、同じ現象が起き、
勉強する時、運動する時、お使いに行く時、友達と遊ぶ時・・・
などの各場面にもそれは雨雲のように覆ってくるのだった。
また母は白黒をはっきりさせなければ気の済まない人だった。
良いか悪いか、二者択一である。
「ちょっとまずかったね」
「もっとこうすればよかったんじゃない?」
「どっちでもいいかも」「次はこうしてみたら?」
などという折衷案は、母の中には存在しない。
良でないものは、すべて悪である。
良であることは当たり前であって褒めることではない。
悪であることはあり得ないことで、
とことん打ちのめさなければならない。
よって私は、母のお白洲へ座らされ、
夜更けまで仕置きを受けるハメになるのだ。
だから私は失敗することが怖い。
何か少しでもマズいことをしでかしたら、
もう私は人間失格だ、とまで思ってしまう。
母は、今は私のそばにはいない。
認知症になり施設でお世話になっている。
それでも、母の刻み付けた負の感覚は、
私の中に深く刻まれ、拭い去ることができないでいる。
おそらく私には自己肯定感というものが育っていないのだろう。
自分を認めたり、褒めたりすることができない。
いつも自分の欠点や失敗を思い返しては、自らを蔑んでいる。
ここを治さなければ、
いつまで経っても、明るい生活はやってこないのだ。
今更母を恨むつもりはない。
母もまた自己肯定感の低い、
大人になりきれていない人だったのだろう。
その母のもとに生まれたことは、
運命であるから致し方ないのだ。
母の良いところもたくさんあるし、
良い思い出もいっぱいある。
ただ否定ばかりしてしまう、
この性質を何とかしなければ、
とうてい光さす場所へは到達できないのだ。