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働き方を模索する緩和ケア認定看護師の物語

死が差し迫ったとき、患者は何を思うのか。


私は1ヵ月あたり80~90人が入院してくるような病棟で働いてきた。
その中にもがん患者と関わる機会は非常に多い。

看取りの場に居合わせる経験ももちろんあった。
たまたま担当患者の看取りが続くことだって、看護師によってはある。
これは、たまたま。
だけれども、意味を持たせようとする看護師は一定数いる。
看取りが続いた看護師に「○○さんに看取ってほしくて患者さんは待ってたんだよ」なんて言葉をかけている看護師の存在。
きっとどこの病棟にもいるでしょう。
それなら家族に看取られたいと思えば、絶対そばに家族がいるはずなんだから。
でもずっと付き添っていたのに、たまたまご家族がジュースを買いに自動販売機に行っている間に亡くなったりすることだってあるんだから。


おそらく、看取りが続いた看護師への慰めだろうが、なんともおこがましいような気持ちになってしまう私はおかしいのかな。
私は患者さんに「絶対に私が死ぬときはあなたに看取ってほしい」と頼まれたことが何度もあるが、ほとんどの場合それは叶わぬ願いだった。
患者さんがどの看護師に看取ってほしいなんて要望を出したって、叶えてもらえる願いではないでしょう。
それが人生だし、運命だと私は思っている。
逆にこの看護師は看取りの場にふさわしくないと思う同僚だっていたのだが、案外そういう看護師が看取りを経験することも多い。



患者さんは死が差し迫ってきて、もういよいよ避けられないと悟ったとき何を考えているのだろうか。
ある患者さんは、亡くなる数時間前に私にこう尋ねた。

「あなた、血液型何型?」

ぎょっとした。
もうすぐ亡くなろうとしている患者さんの疑問が、私の血液型だったのだ。
不思議でたまらなかった。
これが最後の会話になるかもしれない状況で、家族への思いを述べたり自分の状況を尋ねたりするわけではなかったからだ。


患者さんの疑問はこういうものだった。
「天真爛漫な看護師さんだから、O型だと思った」

そしてこうも続けてくれた。
「こんなに明るい看護師さんだと気持ちがいいね。またこの部屋に遊びにおいで」


その数時間後に患者さんは亡くなった。



これが患者さんにとって、この世での最後の疑問だったかもしれない。
そう思うとやっぱり、患者さんは看取ってほしい相手を選んでその看護師の出勤の日を待つことなんてできないだろう。
これが人生最後の疑問だと思って質問しているわけではないし、これが人生最後の会話だと思ってしているわけでもない。


意外と患者さんは看護師の人間性や人となりに関心を持っているのだろう。
死が近いとなんとなく思っていても、いつ意識が無くなるかはわからない。
そんな極限状態で、あの患者さんは私のことを天真爛漫だと言い、明るくて気持ちがいいと言ってくれた。


このときの体験は今も心に残っている。
意外と患者さんは変わらぬ日常を過ごしていたりするのだ。
そこにこちらの気持ちの動揺が伝わると、日常を脅かしてしまうだろう。


患者さんは苦しみから解放される最期の瞬間まで心だけはいつものように過ごしてほしい。
ご家族とのコミュニケーションはそんな極限状態になる前に十分にとれるように配慮したい。
患者さんがご家族に伝えたいことを伝えて、ご家族も患者さんに伝えたいことを伝えて、残りの時間はできる限り穏やかに過ごしてほしい。
できれば息を引き取るときにはご家族から患者さんに「ご苦労様。頑張ったね、私たち」と言って送り出してあげてほしい。
看護師の力不足が原因で看取りがネガティブなものになりすぎないように、看護師の教育に力を入れたいと思う。



そんなことをふと思った。
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