第7章モラハラ夫との結婚、そして逃亡した夜、一文無し同然で借金をして夢の国へ①
突然見えたビジョンの通りに、バレエ講師になった私。
好きなことを仕事にして、順調で充実した日々を過ごしながらもプライベートは全く充実していませんでした。
仕事の休みが少なく、夜も遅くまで仕事なのに加え生徒さんや保護者など会うのは女性ばかりなので
男性と出会う機会が殆どありませんでした。
友人たちは次々に結婚し、子供が生まれ幸せそうに過ごしているのを見て羨ましさを感じることもありました。
なんとなく30歳までには結婚したいと思っていたのに、30歳を過ぎてしまい「早くパートナーを見つけて結婚しなければ」
と焦っていました。母もまた「バレエ講師なんて安定していない仕事なんだから早く結婚しなさい」と会うたびに私に言うようになり、ますます私の気持ちは焦っていました。
これまでの恋愛はあまりうまくいったことがなく、私みたいな人には素敵なパートナーなんて見つからないのかなと恋愛や結婚に関して全く自信がありませんでした。なので、自分で選んだ人よりもお見合いとかで出会った人と結婚するのが良いのかなとなんとなく思っていました。
母は周りの人たちに「良い人がいたら娘に紹介して」と言っていたようで、ある日親戚のおじさんからお見合いの話を持ち出されました。その男性は隣の県で林業で働いている私よりも少し年上の男性ということ。給料は安いけど、質素で真面目に働いている男性だとそのおじさんが言いました。
私は山や自然が大好きなので、林業をしているということ、そして住んでいる場所が隣の県の山に囲まれた温泉しかないような
田舎の秘境のようなところだと聞いてとても心惹かれました。
母も「良いんじゃない」と言うし、私も「会ってみたいです」とそのおじさんに伝え、それから2か月ほどしてその男性と初めて会うことになりました。
私と私の両親のいる実家へ、親戚のおじさんが男性を連れて来ました。
始めてその人を見た時「大人しそうな人だな」と思いました。
林業をしているようには見えない、眼鏡をかけた真面目そうな男性でした。
私たちに「初めまして」と挨拶をした後は、自分からあまり話すタイプではなく、思った通り大人しそうな人でした。
私の母はすぐにいろいろ彼に質問していました。その質問に答えている姿を見ると「信頼できそうな人だし頭も良さそうだな」と思いました。好印象でした。
その日はみんなで話すだけで終わりました。後日私と彼の二人だけで会って出かけることになり、福岡の海沿いの町にドライブをしながら少しずついろいろ話をしました。私は彼の林業の話や田舎暮らしの話をすごく聞きたかったのでいろいろ話を聞かせてもらいました。そして彼自身というよりも「そんな暮らしがしてみたいな」とその暮らしにとても憧れるようになりました。
彼も私を気に入ってくれ、結婚に向けて話が進んで行きました。私は、田舎暮らしへのワクワクと「やっと結婚できる」とこれまでの焦りから解放されることにとてもホッとしていました。
ただ何故か、普段無口で私のことに一切口を出さない私の父だけは「考え直した方が良いんじゃないかな」「まだ結婚を辞めるのに間に合うよ」と暗に反対をしてきたのでとても驚きました。父がそんなことを言うなんて考えられないことだったからです。きっと父は彼に対して何か感じていたのでしょう。けれど新しい結婚生活を夢見ていた私はそんなことは耳に入らず「今更断るなんてできないよ」と結婚に向けて準備を進めていったのです。
彼の実家にも両親と共に挨拶に行き、彼の両親にも会いましたが田舎のとても良さそうなご両親で、私と結婚することをとても喜んでいる様子が伝わってきて「このご両親なら全く問題なくやっていけそうだな」と思いました。
それから結婚の準備が進んでいき、結婚式などは私が望まなかったので、その代わりにホテルの宴会場で親戚だけを集めてちょっとしたパーティーをしました。そこでとても驚くことがありました。そのパーティーで初めて彼のお兄さんの奥さん、私の義理の姉になる人と初めて会いました。夫の兄と同級生というその義理の姉は私よりもけっこう年上なのに、ちょっとギャルっぽい?派手目な感じでいきなり私に向かって
「この家に嫁いでラッキーだね!!」
と言ってきました。私は意味が全く分からず「え?どういうこと??」とポカンとした顔をしていると
「もしかして聞いてないの?ここの○○家は△△県で10本の指に入るお金持ちだよ!」
と言うのです。夫からそんなこと一言も聞いていなかった私は本当に驚きました。
夫からは「自分の給料は安いけど、田舎で家賃や食べ物もそんなにお金がかからないから生活には困らないと思う」と私に言っていました。私は貧乏暮らしを覚悟していて、田舎で野菜を作って食べたりする生活に惹かれていたし、私もパートくらいすればなんとかなるだろうと、そのことはあまり気にしていませんでした。
それが、何と夫の実家が県内で10本の指に入るお金持ちなんて・・・!
本当に意外なことでした。
パーティーが終わった後、義理の姉に言われたことを夫に話し「本当のことなの?」と聞くと、夫は「本当だよ」と言いました。
義理の父は自営業で建築業を営んでおり、それでかなりの財産や土地があるということ。夫の妹夫婦が地元の銀行員でその財産を管理していること、を告げられました。
けれど夫は親の財産に頼るようなこともなく、実家から離れた他県で林業で質素な暮らしをしていましたし、夫の両親もとても働き者で派手な暮らしや遊んだりすることもなくコツコツとお金を貯めているからそんなにお金持ちなんだろうなと分かりました。
なので、そのことは気にせず忘れよう、と思いました。
それから数週間後、夫の実家へ行った時義理の父が「田舎で車が1台しかないのは不便だから、結婚祝いに車を買ってあげるから好きな車を選びなさい。ベンツでも、何でもよか。」と私に言ってくれました。たしかに、夫が車で通勤しているので私には車がなく、住んでいるところは公共の乗り物もスーパーもコンビニもないところだったので車は必要だなと思いましたが、ド田舎でましてやパートに行き質素に暮らそうと思っていた私がベンツに乗るなんて不釣り合いすぎると思い、家族みんなで乗れるようなちょっと大きめの国産車を選び「これがいいです」と義理の父に伝えました。
一緒に車を買いにいった義理の父は、新車の代金数百万円を一括で車屋さんに支払い、「やっぱりこの家はお金持ちなんだな」と思いました。
夫の両親と一緒に4人で食事をしに行った時には「俺はあんたたち子供にできるだけたくさんお金を残すから安心しておきなさい。何か困ったことがあったらいつでも言ってきなさい」と言っていました。
この後、夫との生活が始まりモラハラ、DV夫の私への言動によって(もちろんその時は夫がモラハラだということも、モラハラという言葉さえ知りませんでした)私の心も体も病んでいき、最後にはこの夫の元から逃亡を図るのですが、その後夫の両親に初めて夫との問題を話した時も最後まで私に温かい言葉をかけてくれて、離婚の手続きも結局この夫の両親にしていただき本当に良い両親なのでした。
もしこの両親がもっと近くに住んでいて、私が夫の事やお金のことを早く相談できていたら、いろいろ変わっていたかもしれません。今でも時々、ご両親は元気にしているだろうか?と思うことがあります。
今回のお話は長くなりそうなので、次回に続きます。
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