自我を晴れ上げるのは革命に等しい

 

10×マイナス35乗メートルの外宇宙にも勝る壮大な内宇宙の

驚愕の快晴を意味するのだから

 

だが、自らを取り巻く外部に透明な晴れ上がりを求めるのは大きな間違いだ

どうにもならないことを求めるのは自滅の道でしかない

 

四季の変化に富んだ美しい日本であることは自覚していても

一年を通じて爽快な日など実際には数えるほどしかない

 

過ごし易いのは初夏と秋の一時期だけで

あとは何だかんだと季節の移ろいの中で

たかが天候にかなりのストレスを抱えるのが実情だ

 

あとは推して知るべし

 

自分を取り巻く外部、人生の細やかな舞台(生活)が晴れ上がったと思えることは

めったにあるもんじゃない

幾つもの諦めと難題を背負っているのが人生だ

 

そこに晴れ上がりを望むのは人情ではあっても

自らの苦しみを増幅させるだけではないだろうか

 

だから、最近俺は自分がナマズだと思うことにした

アマゾン川やメコン川の褐色の濁流でも、大きく立派な魚はいくらでも棲んでいる

 

あらゆる不本意な条件、不完全、不安定な状態、未解決の懸案、視界ゼロの濁流こそが自分の終の住処だと思えばどうか

 

雨がどれだけ降ろうが、辛気臭い曇天が続こうが、寒かろうが暑かろうが、人間関係で不快な懸案がまた一つ増えようが、それもナマズの日常だと思えばストレスはない

 

ナマズは偉い!

 

自分を取り巻く外部の曇天、濁流をあるがままに常態として受け入れる

内には快晴のプライベートビーチ、内なる無限大の宇宙があるのだから

 

 

外には清流を求めず

内には自らの刀(心)を磨く