私が急死しなければ順番でいくと、ダンナがいなくなる。
 
結婚して2人で暮らし始め、子供たちが生まれ4人家族に。
 

 

大学を卒業して息子が東京へ行った。
もちろん反対はしなかった。
 
「好きにしなさい笑い泣き
 
離したくないけど、私たちを気にせず自由に生きて欲しいからね。
 
 
息子と東京駅で別れてから新幹線の中で涙が出た。
 
家に帰って、息子が使っていた部屋を見たらまた涙が。
 
今でもあの頃を思い出すと、直ぐに涙が出る。
 
娘は去年家を出た。
 
ダンナが膵臓がんなってから、いろいろ間に入ってくれた。
 
ダンナの分からず屋に、何度か娘の前で泣いてしまったな~笑い泣き
 
十分過ぎるくらい家に居てくれたよ。
車で直ぐに会える距離だからなのか、
 
「達者でな〜
 体には気を付けなさいよ真顔
 
くらいの軽い気持ちで送り出した。
 
もちろん淋しさはある。
幼いころから明るくて面白い子。
アイドル的存在の娘は、可愛くてたまんないよ。
 
あなたも好きに生きなさい。
 
 
 
こうやって家族が、次へのステップに向かって行くわけで。
結婚して2人暮らしになり、4人になり、また2人に戻った。
 
 
淋しさも落ち着き、だいぶ慣れたね。
時間が経つと、慣れるもんだね。
 
 
 
私が急死しなければ、次はダンナだ。
 
 
 
慣れていくのかしら。
そういう生活に。
 
 
膵臓がんと告知された当初は、あっという間に、覚悟もないまま、ダンナの居ない生活になると思っていた。
 
 
5年が経った。
早かったわけではない。
 
私は急にがん患者家族となり、生活が様変わりした。
そして元々ワガママなダンナ。


 

お互い何度ぶつかったことか。

ダンナは自分の事をわかって欲しいけど、私の事は知ろうとしない。

 

 

「オレの辛さや気持ちなんて

 わかんないでしょ怒りピリピリ

 

 

「私の気持ちは?

 私の気持ちはわかるの?真顔

 

 

 

抗がん剤はしてるけど、お酒だってタバコだってやめないし、普通に働いてるし。

いつまで経っても寝ないし。悪びれず屁をするし。

 

なのに、

 

「オレはがんなんだよ怒りピリピリ

 

ってコレを言ったらオレの勝ち飛び出すハートみたいに何度も言う。

 

 

同じ気になるつもりはないけどさ、私もどうしたらいいのか、わかんないのよ。

 

私も社員として働いて、ダンナの家事分担も私が補い、食べ物に気を使ったりアレコレしてさ。

コロナの世の中にはなるし。

も~いっぱいいっぱいだったのよ。

 

 

私がもっと余裕があって、包容力があり、優しく出来たなら、しなくてもいいケンカは避けれたのかしら。

 

 

 

 
壁は越えたってヤツなのかな。
最近は穏やかに過ごしていると思う。
 
がん患者のいる生活に慣れたというには、早いけどね。
まだ看病らしきことをしてないから。
 
ダンナはまだ自分で身の回りの事ができるからね。
本当に大変なのは、この先なんだよね。
 
 
 
そうなったら、今までのダンナの素行の悪さを成敗するチャンスだわねキラキラ
 
どうしてやろうかね。
 
 
 
ダンナが心を入れ替えることは無いだろうからねニヤニヤ
 
番狂わせで、私が先に逝ったらダンナはどーするん?
 

 

 

 

 

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