天国

 

 第6章 私のみた神霊界の様相 

 

9 天国と地獄およびその中間の世界からなる霊界①

 

 

完全な非物質界

 

霊界と幽界の区別は、

霊界においてはも早やいかなる

物質的形体もないことである。

 

幽界は、いわば物質界と非物質界の

中間帯であるけれども、

 

霊界では完全に神秘的法則が

これを支配する。

 

霊界の本当の実体は、

現界では理解されがたいし、

 

われわれもまたそれをいかに

表現してよいかわからないことがある。

 

あまりにも突すぎて説明できないものがある。

 

霊界の住人は、もはや幽体をもたない。

 

いわば想念体、精霊体ともいうべき

エネルギーの形式だけを備えており、

幽体はすでに幽界にぬいでしまっている。

 

だから、霊界の特徴としては、

物質が完全に消滅していること、

空間が全くないこと、および時間も

存在しないことの三つがある。

 

そして区別とすれば、天国(極楽)、地獄、

およびその中間帯の三つがある。

 

といっても、これはもちろん便宜上の分類であって、

くわしく言うといくつもの社会があるわけである。

 

 

天国とはなにか

 

まず、いわゆる天国について述べよう。

霊界の住人も、形体的には人間の容姿をしている。

 

その中の非常に高級な霊は、

ほとんど霊視には人間の形としては見きわめがたく、

 

私は、「それらしいもの」としてしか

みることができなかったこともある。

 

霊界人も人間の顔形をしてはいるが、

その形のもとは現界のそれとは大そう違っている。

 

霊界では、霊魂の意志と情動がその形をつくる。

 

その人の考え方、やり方、性格といったものが

そのまま形として反映されるので、

 

幽界におけるような、口と腹とのちがう者はいない。

 

霊界にも、山があり、野があり、川があり、建物もある。

 

美しい草木のみちた庭や楽園があり、

地上ではみられない動物たちや植物もあり、

 

このような風景は、そしてこの天国に存在するものは、

物質の光りで天国の光りを消さない人間にだけみえる。

 

そこにはまた、文学、美術、科学一切もある。

 

霊界の住人たちは、やはりこの界においても勉強する。

 

しかし、霊界での霊魂の生活と、

現界での人間の生涯とは大いにちがっている。

 

霊界にある者は、いっそう鋭敏な視覚、聴覚、

触覚をもっているし、その思索も、

現界にあるときよりは悟りにとんでいる。

 

 

道楽をする霊たち

 

彼らのある者は、よく道楽をやる。

 

この道楽というのは、霊界にいて現界人の背後から

いろいろとアドバイスすることである。

 

たとえば、生前自分が好んでいたこととか、

自分が悲願としていたことを果たされなかった時とか、

 

現界においての自分のたずさわっていた

事業とか趣味について、

 

もし現界でそれと同じようなことを

やりつつある人間をみつけては、

 

この背後に憑いていろいろ指示するとともに、

自分もまたそれを楽しみかつ修業する。

 

世に指導霊と称するものがこれである。

彼らは、その道楽とともに自分の修業もやる。

 

指導役の高級霊が彼らに霊的教育をほどこし、

彼らはさらに高い霊界へと進むべく努力精進する。

 

 

天国の諸社会

 

天国はいろいろな社会に分かれる。

彼らはことで、自分たちが生前教えられた

霊の世界というものに対する考え方が、

 

どこまで真実であり、どこが

間違っていたかを思い知らされる。

 

そこで彼らは、このような霊界の実際の様相について、

生前は全然知らされていなかったことや、

 

教会の中にこのようなことについての

無知の行なわれているのを憤概する。

 

つまり、僧侶や牧師が説いた死後の世界と、

実際の霊界とは非常にちがったところがあるということである。

 

霊界でのすべての事物は、

みな神の秩序に従って組織されており、

 

より高級な指導霊(彼らの中には神界の下層から派けんされてやってくる聖霊もいる)

の司政によって至るところで守られている。

 

各社会は、その善に応じて、

それぞれの仕事を行なっている。

 

新来の霊魂がきた場合、

彼らが悪霊にひきずられないように保護する社会、

幽界と隣りあいまた地獄界と隣接して、

 

彼らが規定の範囲外に出てきて他のものを

凶悪にひきこむのを防ぐ役目をもった霊魂の社会、

小児の保育をつかさどる社会、

 

彼らが成長するにつれて教え、さとす社会、

さとりに富んだ者で幽界へ出向いて新来の霊魂にこれからの世界を

説明しそれらを指導する霊魂の社会など多種多用である。

 

 

天国にも段階がある

 

霊界における霊魂たちにも、

その質的差位がある。

 

すなわち、悟りにとんだ霊魂は、

全般の福祉または用に関する事務を処理するが、

 

彼らは天国の最上層にあり、

その信仰と実務は全く一致している。

 

彼らは、自らを修めるとともに

他の霊魂をも神愛に導びき、

 

さらには、自己を忘れてすべての他の霊たちに

神界の主の恵みをさとらせる者もある。

 

悟りすなわち浄化の程度の低い天国の霊魂は、

一部の福祉または用に関する事務をとっているが、

 

彼らは自己の信仰の向上を計りつつある者で、

神真と神信を観念的につかんでいるが、

実務がそれに伴なうに至っていない。

 

 

天国の景色

 

霊界(天国)の色彩は明色である。

ちょうど夏の日の午前五時か六時および午前十時頃までの明るさで、

その下層にいる者の背景は「あさぼらけ」のようである。

 

暗黒の世界から、まさに輝く太陽が昇らんとする荘美であり、

鮮麗な夜あけの光景である。

 

それは無限に美しく、純粋であり整然としている。

 

気候からいえば、常に春のような感じで、

エメラルドの海やオパールの湖、プラチナの太陽が輝やき、

 

時々光り輝く白雲や、多彩な光の雨が

無窮無限の天花や仙殿の上に降りそそぐ。

 

 

何ものにも制約されない

 

天国にいる霊魂は、

その純粋な状態においてはほとんど全能である。

 

人間の霊魂が、肉体、幽体、想念体の

いずれかに包まれているかぎり、

 

人間の感覚や情動の念がおこってきて、

霊魂の自由性は束縛されてしまう。

 

だから、そういったものの「執着」をもっている限り、

天国の住人とはなれない。

 

よく「己れを無にせよ」というのは、

霊魂の自在性をたかめようということに外ならない。

 

故に、霊界の住人であれ現界の人間であれ、

神の認識に達した者は奇蹟を行なうこともできる。

 

霊魂が三体の繭から脱けでてしまうと、

それは「個性」をもったまま神界の主と一つになる。

 

霊的に進化しない人間は、

この三つの体(ボデ ィー)から脱するために、

 

現界、幽界、霊界への再生を

何度もくり返さなくてはならない。

 

そして、霊界の天国に到達した霊魂が、

現界人に神真と神善とを悟らせるために

再び現界におりて行くこともあるし、

 

またそのまま天国にとどまって、

そこから現界人、幽界人や新来の霊界人を

導く仕事をすることも自由である。

 

< ”天国と地獄およびその中間の世界からなる霊界②” につづく>

 

 


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