かぐや姫は日葉酢媛命 息長氏の出自と丹波道主命


かぐや姫と迦具夜比売命

2023年12月に但馬ヒストリア主催の『かぐや姫と浦島太郎の血脈』出版記念会でお話しさせていただきました。
 「かぐや姫は日葉酢媛命」の内容で講演させていただきました。Youtubeは下記になります。

 御伽話のかぐや姫は歴史書といわれる『古事記』に登場し、垂仁天皇の妃に迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)として挙ります。よく知られているように物語のかぐや姫は「竹」から生まれます。歴史上の人物のかぐや姫の父は大箇木垂根王(おおつつきたりねのみこ)といい、この名前に内包される箇木とは、筒の木ですから竹だと想像出来ますので、まさに竹から生まれた子になります。

大箇木垂根王―迦具夜比売命(かぐや姫)
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       垂仁天皇

 現在の京都府の一部はかつて山城国と呼ばれていました。そこにはかぐや姫の父と音通する筒城宮があり、京田辺市の同志社大学京田辺キャンパス辺りがその比定地とされています。この山城の筒城を名前に含んでいる人物が、『古事記』に載る山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきのまわかのみこ)です。山代之大筒木真若王は開化天皇から続く一族で、その皇子の日子坐王(ひこいますのみこ)の子息です。

開化天皇―日子坐王―山代之大筒木真若王

 山代之大筒木真若王はその名の通り山城国の筒城に由来を持つと想像されます。王の子は迦迩米雷王(かにめいかづちのみこ)といい、筒城の地の近くに鎮座する朱智神社の祭神であることからも二代に渡りこの地と所以があったと思われます。この一族の系譜はその後に息長宿祢王(おきながすくねのみこ)と続きます。

開化天皇―日子坐王―山代之大筒木真若王―迦迩米雷王―息長宿祢王

 山代之大筒木真若王の孫が息長宿祢王ですが、その娘があの有名な神功皇后となります。父息長宿祢王は「息長」に根付いたとの意味と思われる「宿祢」を名乗る王ですが、神功皇后も息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)といい、その名に「息長」を含む姫となります。

【山代之大筒木真若王系図】
日子坐王―山代之大筒木真若王―迦迩米雷王―息長宿祢王―息長帯比売命

 「記紀」には他にもこの息長を冠する姫がおり、その姫は息長真若中比売(おきながまわかなかひめ/なかつひめ)といい、応神天皇の妻です。結論から先に記しますと、この姫が先ほどの垂仁天皇妃という迦具夜比売命こと「かぐや姫」になります。
 息長真若中比売は、倭建命の子孫として『古事記』載ります。倭建命の子の「息長」を冠する王である息長田別王(おきながたわけのみこ)その子、杙俣長日子王(くひまたながひこのみこ)の娘が息長真若中比売です。

【倭建命A系図】
倭建命―息長田別王―杙俣長日子王―息長真若中比売
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                 応神天皇

 大阪市東住吉区には難読地名の杭全(くまた)があり、これは一説には杙俣長日子王の名に由来するといいます。大正時代に大阪府の歴史を纏めた『大阪府全志』には、大阪府大阪市平野区喜連に鎮座する楯原神社(たてはらじんじゃ)に残っていた「北島家文書」が載せられており、そこには杙俣長日子王や、その父の息長田別王の事績が記載されています。
 「北島家文書」によれば息長姓は、息長田別王が大阪狭山市にある狭山池から水を引いて田を作った際に、川を掘って淀川に流した川が息長川で、神功皇后と応神天皇が行幸の折に、その川の名に因んで息長の姓を一族に賜ったのを起源とするといいます。これを信ずるならば息長氏は摂津国発祥となります。

参考サイト: https://www.suito-osaka.jp/special/history/history_2.html

 息長氏は謎の一族と言われます。その発祥地は琵琶湖東岸の山津照神社(やまつてるじんじゃ)(滋賀県米原市能登瀬)が息長氏の氏神を祭り、その由来等から近江発祥も有力な候補として上がりますが、何にしてもこの一族は琵琶湖から淀川水系、そして奈良へと続く木津川の合流地点に勢力を張っていると窺われ、これは天津彦根命(玉勝山代根古命)の勢力圏と重なります。この勢力は摂津、河内につづき瀬戸内海の入口までを抑えているとなります。系譜の先頭を飾る倭建命は武甕槌神なのですが、その説明は本に譲るとして、その末裔がこの水系上に繁栄しているのは自然な姿と言えるでしょう。

 倭建命、息長田別王から始まる系譜にとても類似する物が有ります。それは倭建命、若建王(わかたけのみこ)、須売伊呂大中日子王(すめいろおおなかつひこのみこ)と続く系譜です。須売伊呂大中日子王の姫に、かぐや姫と非常によく似た名前の訶具漏比売(かぐろひめ)がいます。『古事記』には、この姫は景行天皇の妃と載ります。「記紀」が述べるところでは景行天皇の子が倭建命ですから、曾孫が子の娘を娶ったことになりますが、これは倭建命が普通名詞で、それぞれが異なる倭建命だからです。

【倭建命B系図】
倭建命―若建王―須売伊呂大中日子王―訶具漏比売
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                  景行天皇 ―倭建命

 
 先ほどの【倭建命A系図】と【倭建命B系図】は実は同じ系譜を別名称で表していると思われます。これを繋ぐのが「カグロヒメ」となります。
 『古事記』には景行天皇妃の他にもう一人の迦具漏比売(かぐろひめ)を載せます。こちらの「迦」具漏比売は応神天皇の妃として挙げられ、その娘が忍坂大中比売といい、その姉妹に登冨志郎女(とおし/とほしのいらつめ)がいます。

迦具漏比売
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応神天皇 ―忍坂大中比売
 
 【倭建命A系図】で応神天皇と結婚していたのは息長真若中比売でした。その子が若野毛二俣王(わかぬけふたまたのみこ)となります。この一風変わった名前の「ワカヌケ」王の娘には、先ほどの迦具漏比売の娘と同一の姫の忍坂之大中津比売命(おしさかのおおなかつひめのみこと)がいます。その妹の藤原之琴節郎女は、その美しさが衣を通して輝くほど美しい比喩の衣通姫(通郎女)ですが、こちらも登冨志郎女と対応しています。この二点から息長真若中比売と迦具漏比売はほぼ同一人物を表していると思われます。
 カグロヒメ(息長真若中比売)は景行天皇妃であり、応神天皇妃でも有るとなりますが、これは『海部氏勘注系図』でも「品田天皇妃、一云、大足彦天皇妃」と載ります。結論から記せば、景行天皇の妃が「かぐや姫」となります。これまでを纏めると下記になります。

【倭建命C系図】
倭建命―息長田別王―杙俣長日子王―息長真若中比売(カグロヒメ)
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                 景行天皇(応神天皇)―若野毛二俣王―忍坂之大中津比売命

 息長真若中比売は配偶者を景行天皇と置いた時には【倭建命C系図】の倭建命は開化天皇朝に比定されます。

倭建命(開化)―息長田別王(崇神)―杙俣長日子王(垂仁)―息長真若中比売(景行)

 先述のかぐや姫は「古事記」が載せる、迦具夜比売命は垂仁天皇の妃で、その父は大箇木垂根王でした。大箇木垂根王は開化天皇の子の比古由牟須美命(ひこゆむすみのみこと)の子です。御伽話のかぐや姫の翁の讃岐造ですが、王の兄弟には讃岐垂根王がいることからそのモデルだと想定されます。

開化天皇―比古由牟須美命(崇神)―大箇木垂根王(垂仁)―迦具夜比売命(景行)

 系譜を天皇世代と並べますと、迦具夜比売命は景行天皇世代となり、景行天皇妃であったカグロヒメ、息長真若中比売と世代が重なります。同世代となる迦具夜比売命とカグロヒメは同一人物であり、それは息長真若中比売であるが結論となりますが、話を進めます。

 迦具夜比売命の父の大箇木垂根王と兄弟の讃岐垂根王の事績なく、ただ『古事記』に女(娘)が五人いるとだけ記されます。どうやら五人と言う数字が『古事記』が暗示するキーワドの様です。つまり迦具夜比売命は五人娘の内の一人となります。
 この五人の姫を持つというのが丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)です。垂仁天皇の皇后の狭穂姫(さほひめ)と、その兄という狭穂彦王(さほびこのみこ)が垂仁天皇に対して反乱を起こした物語が描かれます。兄弟は敗れ狭穂姫は亡くなりますが『日本書紀』では、自らの後継の皇后を丹波道主命の娘を推薦し、その数が五人となります。五人の娘で繋がる丹波道主命と大箇木垂根王は同一人物の示唆ではと思われます。

 五人の姫の父という丹波道主命は開化天皇、その王の日子坐王の子です。

開化天皇―日子坐王―丹波道主命―五人の姫

 丹波道主命は『日本書紀』に「(丹波)道主王は彦坐王の子である。一説によれば、産湯産隅王の子であるという」とあり、比古由牟須美命は日子坐王と同一人物または丹波道主命の義理に父に当たるとなります。その子に当たる丹波道主命と大箇木垂根王は少なくても兄弟となります。ここでは詳細は述べませんが、比古由牟須美命は丹波道主命の義理の父でありそれは五十瓊敷入彦命だと著者は想定しています。

 丹波道主命は『海部氏勘注系図』にも載る人物です。系図の十四世孫には川上眞稚命(かわかみのまわかのみこと)が記されます。この命の分注には「一云、道主命」、また丹波道主命の別名の比古多々須美知宇斯王(ひこたたすみちのうしのみこ)と同じ「彦田田須命」とありますので二人は、同一人物だと系図は示しているとなります。
 先程、丹波道主命と大箇木垂根王は少なくても兄弟となりました。丹波道主命の父の日子坐王の子には命の他に大箇木垂根王と同様に「箇木」をその名に内包する、山代之大筒木真若王がいました。
 山代之大筒木真若王は「筒木」の「真若王」です。『海部氏勘注系図』が丹波道主命と伝える川上眞稚命も「眞稚命」であり、命の「亦名」は大筒木眞若王と二人は同一人物と伝えます。纏めると丹波道主命は称号ですから、川上眞稚命であり大筒木眞若王となり五人の娘の父で、それは大箇木垂根王である蓋然性が高いとなります。また丹波道主命の子の日葉酢姫と、大箇木垂根王の子、迦具夜比売命の父は同一人物となりどちらも垂仁天皇の妃です。

【丹波道主命系図】
開化天皇―日子坐王―丹波道主命(川上眞稚命、山代之大筒木真若王、大箇木垂根王)―迦具夜比売命(日葉酢姫)

 丹波道主命はその名は「丹波」と勢力圏の一方は北近畿を暗示させています。同一人物の山代之大筒木真若王は「山代」、「筒木」と淀川と木津川の合流点を抑えている暗示をその名前から読み取れます。またその孫は息長宿禰王と「息長」を名乗っていることを見ると、その勢力権は琵琶湖から淀川、その河口の河内、摂津、和泉そして丹波とこれは大王家ではと想像できる勢力範囲です。これの傍証が『海部氏勘注系図』にあります。系図には川上眞稚命の父には三輪山に住んだ暗示と思われる建諸隅命(諸は御諸山)を、川上眞稚命には開祖の暗示と思われる建稲種命を分注で示しています。


 丹波道主命の一族の勢力圏と想定される淀川河口には迦具夜比売命(日葉酢姫)と類似するカグロヒメの一族がおり、こちらも息長氏でした。どうやら【山代之大筒木真若王系図】と【倭建命C系図】の二つの系図は同一の系譜を伝えているようです。

【山代之大筒木真若王系図】
日子坐王―山代之大筒木真若王―迦迩米雷王―息長宿祢王―息長帯比売命

【倭建命C系図】
倭建命―息長田別王―杙俣長日子王―息長真若中比売(カグロヒメ)
                   ||
                 景行天皇(応神天皇)―若野毛二俣王―忍坂之大中津比売命

 丹波道主命(川上眞稚命、山代之大筒木真若王、大箇木垂根王)の子の迦具夜比売命(日葉酢姫)が、カグロヒメと同一人物なら、カグロヒメの別名と想定される息長真若中比売もかぐや姫となります。その父の杙俣長日子王と丹波道主命も同一人物で重なるとなります。
 『海部氏勘注系図』では丹波道主命と伝わる川上眞稚命の娘に川上日女命を載せます。系図の川上日女命の分注には「一云、大中日女(おおなかつひめ)」とあり、同一人物と想定される息長真若中比売と同様のナカツヒメだと伝えます。また川上日女命の分注には「一云、日葉酢姫」だとも記し、一連の人物が同一だと暗示しています。
 【倭建命C系図】の人物達は摂津、河内国等に地盤が有る一族です。『海部氏勘注系図』では同一人物が想定される川上眞稚命(丹波道主命)に大難波根子や難波宿禰の別名があったと伝え、この名から摂津国の難波に根を張っていたと想定されます。
 地盤が重なる川上眞稚命(丹波道主命)と杙俣長日子王は同一人物と想定出来ますので、その娘のナカツヒメも同一となります。
 迦具夜比売命は垂仁天皇の妃として『古事記』は伝えましたが、検討の結果は景行天皇(応神天皇)の妃となりました。かぐや姫と同様に垂仁天皇の皇后と言う日葉酢姫も景行天皇世代となります。要約すれば、垂仁天皇の妃とは天日槍命の末裔の結婚譚をその天皇の事績に纏めた物となります。
 神話の世界で伊耶那美神(いざなみのかみ)は不幸があり亡くなり、出雲国と伯伎国との堺の比婆山(ひばやま)に葬られ黄泉の国へ旅立ちます。初代から続く「タニハ王朝」の最後の世代に当たる比婆須比売命のその名には墓所と同じ「比婆」の字が使われています。姫の婚姻は観念としてはこの故事を仮託していると想像するのは難しいことではないでしょう。
 ここまでみてきましたが歴史書に載る迦具夜比売命は二つの王朝、初代天皇から続く「タニハ王朝」の末尾に位置し、もう一方の垂仁天皇の王朝と繋ぐ立場に居ることに気づきます。迦具夜比売命の結婚は禅譲であり姫は「レガリア」と言い換えられます。物語のかぐや姫が多くの有力者から渇望されると描かれたのは、これを暗示したものではないでしょうか。また御伽話のかぐや姫は最後には月へと帰りますが、それは前王朝の滅亡をそこに秘めたのかもしれません。



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