フラットな状態は良いのか、悪いのか

 

ここ1ヶ月くらい、ブログを書こうとしては下書きに溜めたままになり、全くアップできていなかった。なんとなく、思考がまとまらないというか、言葉がうまく出てこないような感じだった。

 

感情は至ってフラットで、私には珍しく気分が落ちたりすることもなければ、物凄く上がることもなかった。「楽しい、嬉しい、悲しい、辛い」といった感情があまりないような状態というか、とにかく平坦なのだ。

 

元々、抑揚のない喋り方をしているので、なんとか感情を込めて話すように心がけてはいるのだが、それも空回りしているように思う。淡々と、ただ事実のみを話すので、聞く人によっては無愛想と取られても仕方ない。

 

一喜一憂してもどうしようもない事が続いたこともあってか、感情に蓋をしているような感覚だ。

 

そんな状態でも、やりたい事は沸々と湧いてくる。絵を描いたり、物を作ったり、どこかに出かけたり、本を読みまくったり、音楽を聴きまくったり。あとは、あまりにも感情が平坦になりすぎてしまっているので、せめて好きなアーティストには、どっぷり浸かりたいと思い、YouTubeのチャンネルやファンクラブサイトは小まめにチェックして、推しの生存確認をしている。

 

思春期の頃に味わった、現実感が薄れていく感覚が久々に復活していて、なんとも形容しがたい状態なのだけれど、あまりにぼんやりしすぎると、ただでさえ凡ミスを繰り返している日常なので、何かやらかしかねないし、それに気付けない可能性も出てくる。

 

嗚呼、絵も見にいきたいし、ライブにも行きたい。図書館にも行きたいし、海にも行きたい。やりたいことを、好きなことを日々積み重ねて、このフラットな感情の状態から少し抜け出せたらいいのだけれど、なんとなくのルーティンに追われている。本当はもっと自由なはずなのに、枷になっているのはなんなのだろう。

 

感情がフラットなのは、果たして良いことなのか悪いことなのか。