Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)のご案内 聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass

2024年04月21日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(これは「トリエント・ミサ」「ラテン語ミサ」とも言われています)にご招待します。

【東京】 住所: さいたま市大宮区東町2ー256ー8 林ビル2F

Google マップ: <https://goo.gl/maps/3AiQkmFkdGYtVC2B6>
※ JR 大宮駅から北東方向に1キロメートルほど歩いたところにある、ベージュ色の3階建のビル、林ビルの2階です。

大宮駅まで: JR 大宮駅へは、JR 宇都宮線・高崎線で東京駅から 31 分、上野駅から 25 分です。
大宮駅から: JR 大宮駅東口から、北東方向に歩いて約 14 分です。(ファイル New Chapel in Omiya-20231009.pdf をご覧ください) 大宮駅から新しい聖堂へ歩いての行き方ファイル:Walking from Omiya Station to the New Chapel

主日ミサは2回捧げられます。(8時30分と10時半です)
ミサの前後で告解の秘蹟を受けることができます。ミサの間にも告解をすることができるように告解のために司祭は待機しております。
08:30 ミサ聖祭 読誦ミサ
10:30 ミサ聖祭 歌ミサ(YouTube でライブ中継

平日の火曜日、水曜日、木曜日は毎朝7時00分から聖伝のミサが捧げられます。金曜日は午後6時(18:00)から、土曜日は午前11時から聖伝のミサが捧げられます。

聖ピオ十世会では、毎月一回、「亡くなった会員と恩人の方々のため」の意向でミサ(Monthly Requiem Mass for the members and benefactors)」を捧げています。

ミサの詳しい予定表はここをクリックしてください。

【「暁の星の聖母」修道院】
住所:埼玉県さいたま市見沼区大和田町2丁目820番地3
日本聖ピオ十世会:「暁の星の聖母」修道院
T 337-0053

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

【大阪 Osaka】【特別の事情により変更される可能性もあります】
4月 21日 SUN ミサ聖祭 18:00
4月 22日 MON ミサ聖祭 6:30
4月 26日 FRI ミサはありません。 <= !!
4月 27日 SAT ミサはありません。 <= !!
4月 28日 SUN ミサ聖祭 18:00 <= !!
5月 5日 SUN ミサ聖祭 18:00
5月 6日 MON ミサ聖祭 6:30
5月 12日 SUN ミサ聖祭 18:00
5月 13日 MON ミサ聖祭 6:30
5月 19日 SUN ミサ聖祭 18:00
5月 20日 MON ミサ聖祭 6:30
5月 24日 FRI ミサ聖祭 18:30
5月 25日 SAT ミサ聖祭 10:30
5月 26日 SUN ミサ聖祭 10:30
5月 31日 FRI ミサ聖祭 18:30
6月 1日 SAT ミサ聖祭 10:30
6月 2日 SUN ミサ聖祭 10:30

【名古屋】名古屋においても毎月最終主日に、聖伝のミサが捧げられます。愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。予約不要です。

場所:愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階
日時:4月29日(月) 09:50 ロザリオ及び告解  10:30(午前10時30分) ミサ聖祭
日時:5月26日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
場所は松屋の入っているビルの6階です。以下は予定です。
05月26日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
06月30日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
07月28日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
08月25日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
09月29日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
10月27日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
11月24日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
12月29日(主日) 15:20 ロザリオ及び告解  16:00(午後04時00分) ミサ聖祭
 
【札幌】「北海道青少年会館 Compass 」にて:聖伝のミサが捧げられます。愛する兄弟姉妹の皆様を全てご招待いたします。予約不要です。
2024年6月1日(主日)午後6時
2024年6月2日(月)午前9時
 
Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

*****Mass times in Tokyo:*****
On all Sundays in October there will be two (2) Masses.
08:30 - Low mass :
10:30 - Sung mass : YouTube live

Mass location: Address: Hayashi Building 2F, 2-256-8, Azuma-chô, Ômiya-ku, Saitama City
Google Map link: <https://goo.gl/maps/3AiQkmFkdGYtVC2B6>
* The chapel is on the 2nd floor of Hayashi Building, a beige-colored 3-story building, located approx. 1 km north-east of JR Ômiya Station.
To Ômiya Station: JR Ômiya Station is a 31-minute train ride (on JR Utsunomiya Line or JR Takasaki Line) away from JR Tôkyô Station, or a 25-minute ride from JR Ueno Station.

From Ômiya Station: From the East Exit of JR Ômiya Station, walk approximately 14 minutes in the north-eastern direction to reach the chapel. (Please see the file New Chapel in Omiya-20231009.pdf.)

File : Walking instruction from Omiya station to the New Chapel

For the detailed schedule of the Traditional Latin Mass in Omiya, please click here. Thank you.

*****Mass schedule in OSAKA:*****

2024/04/07 Mass 10:30
2024/04/08 Mass 6:30
2024/04/14 Mass 18:00
2024/04/15 Mass 6:30
2024/04/21 Mass 18:00
2024/04/22 Mass 6:30
2024/04/28 Mass 18:00
2024/05/05 Mass 18:00
2024/05/06 Mass 6:30
2024/05/12 Mass 18:00
2024/05/13 Mass 6:30
2024/05/19 Mass 18:00
2024/05/20 Mass 6:30
2024/05/24 Mass 18:30
2024/05/25 Mass 10:30
2024/05/26 Mass 10:30
2024/05/31 Mass 18:30
2024/06/1 Mass 10:30
2024/06/2 Mass 10:30
2024/06/9 Mass 18:00
2024/06/10 Mass 6:30
2024/06/16 Mass 18:00
2024/06/17 Mass 6:30
2024/06/23 Mass 18:00
2024/06/24 Mass 6:30

 *****Stella Matutina Priory*****
Society of Saint Pius X Japan
Stella Matutina Priory
Owada-cho 2-820-3, Minuma-ku, Saitama-City, Saitama,
Japan T 337-0053

*****Mass schedule in NAGOYA: [Last Sunday of the month at 4 PM (16:00) ] *****

[Mass Location] 6F Ishihara Bldg. 1-3-14 Meieki-Minami, Nakamura-ku, Nagoya-shi, Aichi
April 29, 2024 (Mon) 10:30 AM Holy Mass
May 26, 2024 (Sun) 4:00 P.M. Holy Mas

【聖ピオ十世会とは】

聖ピオ十世会、SSPX (the Society of Saint Pius X)とは、1970年11月1日にスイスのフリブール教区においてローマ・カトリック教会の教会法に従って創立されたカトリック教会の修道会の一つです。創立以来、カトリック信者の要請に応える形で、全世界での使徒活動をますます拡大しています。

* 教皇フランシスコは聖ピオ十世会の司祭たちに適法に使徒職を果たす権能をお与えになっています。教皇は書簡「ミゼリコルディア・エト・ミゼラ」で、聖ピオ十世会の司祭たちが世界中ですべての信者のために告白の秘蹟を行う権限を持つと宣言されました。

https://www.vatican.va/content/francesco/en/apost_letters/documents/papa-francesco-lettera-ap_20161120_misericordia-et-misera.html

さらに教皇は聖ピオ十世会の婚姻の秘蹟が有効に執行するように全世界の司教たちに彼らの協力をお求めになられました。

https://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_commissions/ecclsdei/documents/rc_com_ecclsdei_doc_20170327_lettera-presuli_en.html

聖ピオ十世会の司祭は、ラテン語でカトリック聖伝のミサ(Traditional Latin Mass)を捧げています。ミサの典文(Canon)の中では、教皇フランシスコの名前と当地の教区長の名前(浦和司教区でミサを捧げる時はマリオ山野内司教、東京大司教区ではタルチシオ菊地大司教、大阪大司教区ではトマス・アクィナス前田枢機卿、名古屋司教区ではミカエル松浦司教など)を唱えます。教皇ベネディクト十六世は自発教書「スンモールム・ポンティフィクム」の中で、全てのカトリック司祭は聖伝のミサを捧げる権利を有していると宣言されました。何故なら、聖伝のミサは一度も廃止されたことがないからです。

「過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません。」(ベネディクト十六世)

聖ピオ十世会の司祭たちは、伝えられたままの純粋なカトリック教えをそのまま伝えようと全力を尽くしています。カトリック教会が、信じてきた全てのカトリックのドグマと信教(Credo)をそのまま変えずに信じ、信仰宣言しています。また同時にカトリック教会によって排斥された全ての異端に対して反対しています。過去から変わることなく伝えられた正統信仰こそ真理における一致を促進し、分裂を避けさせるものです。

聖ピオ十世会の司祭たちは、カトリック教会がそう信じ続けてきた同じカトリック信仰を信じています。特に御聖体における私たちの主イエズス・キリストの現存を深く信じています。また、カトリック教会以外には霊魂の救いがないと信じます。

教皇庁教理省は「同会の聖職者は、教会法上の制裁から解放されている」(いかなる制裁も受けていない)と認めています。

聖ピオ十世会の司祭は、必要の状況に置かれた信徒たちのために、教会法によって補足された法的身分(裁治権)を有しています。しかし領域的な(司教区)の法的身分(裁治権)も属人的裁治権も有しておりません。ところで、私たちの主イエズス・キリストは霊魂の救いと聖化のためにの通常で主要な手段として秘蹟を制定されました。カトリック教会は、必要とする人々が秘蹟(特に改悛の秘蹟)をいつでも受けることができることを欲しています。何故なら教会の最高の法は霊魂の救い(教会法1752条)だからです。

カトリック教会は、教会法の規定(144条)によって、組織上の当局を通さずに法的身分(裁治権)を補足します。カトリック信者は、いつでも告解を必要とするとき、その判断と助言を信頼することができると思う司祭から改悛の秘蹟を受けることができます。しかもその司祭が通常のやり方で法的身分(裁治権)を有していなくてもそれができます。さらには、しかも教会法(1335条)の言葉によると「いかなる正当な理由でも」信徒がこれを求めるのであれば、聖職停止あるいは破門された司祭であってもこれができます。

【お知らせ】

一般社団法人日本聖ピオ十世会の銀行口座が開設されました。
御寄附や四旬節の献金、また教会維持費などのためにお使いくだされば幸いです。
愛する兄弟姉妹の皆様の暖かいご支援を感謝申し上げます。

銀行名:住信SBIネット銀行
金融機関コード(銀行コード):0038
支店名:法人第一支店
支店コード106
支店番号-口座番号:106-1951537
漢字氏名:一般社団法人日本聖ピオ十世会
カナ氏名:シヤ)ニホンセイピオジツセイカイ


ラファエル・ヴィンセント・ファウスティーノ神父の司祭叙階【Apostle Magazine より】

2024年04月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

“Apostle” SSPX ASIA DISTRICT NEWSLETTER, SPRING 2024, ISSUE NO 61
ラファエル・ヴィンセント・ファウスティーノ神父の司祭叙階

2023年12月16日、ラファエル・ファウスティーノ神父は、一人のブラジル人および二人のアルゼンチン人と共に、ブエノスアイレスの「共贖者聖母神学校」で、フェレ―司教の司式により司祭叙階を受けました。

「アポストル」誌【聖ピオ十世会アジア管区機関誌】は、ファウスティーノ神父に対して、彼の深淵な召命の旅を垣間見ることのできる洞察に満ちたインタビューを行いました。

聖伝の発見と聖ピオ十世会

1998年に私が生まれたとき、私たち家族はノブス・オルド【新しいミサ】の教会に通っていました。天主の恩寵と憐れみによって、母が叔母を通じて聖伝のラテン語ミサを知るようになったのは、私が8歳のときでした。そのころ、教区は、小教区から全時代のミサを廃止し始めていました。根気強い努力により、叔母はニュー・マニラにある聖ピオ十世会の教会(現在の勝利の聖母教会)を見つけることができました。私が地元のカトリック学校で初聖体を受けた直後に、母は、勝利の聖母教会に行って初めての聖伝のラテン語ミサにあずかる決心をしました。わが家から勝利の聖母教会までは遠かったため、毎週の主日にミサに行くのは困難でした。しかし、約2カ月後、天主の恩寵の援助により、私たちは定期的にミサに行く方法を見つけることができました。

ミサの侍者をすることに興味

私はノブス・オルド教会にいたころ、侍者になりたい、また司祭にもなりたいと思っていました。侍者の責任者に何度も連絡を取ろうとしましたが、うまくいきませんでした。訓練を受けなければ、ノブス・オルドのミサで侍者をすることはできませんでした。勝利の聖母教会で聖伝のラテン語のミサにあずかった後、私は赤いスータンを着た少年たちの姿に心を奪われました。私も彼らのように侍者になりたいと思いました。私が強く興味を持っているのを知っていた叔母は、私を香部屋に連れて行き、侍者たちに会わせてくれました。そしてついに私は訓練を受け、ミサの侍者をすることができるようになりました。私は、ミサの侍者をするだけで、聖なるいけにえを愛するようになりました。司祭たちが恭しくミサを唱える姿を見て、私はとても感動しました。当時8歳の少年だった私は、自分にこう言い聞かせました。「そうだ、私がここで目にしている司祭、彼は、ミサを捧げておられる私たちの主イエズス・キリストご自身なのだ」。

勝利の聖母カトリック学校への入学

2008年に勝利の聖母カトリック学校が開校したとき、高額な費用と長い通学時間のために、私がこの学校に入ることは不可能でした。そのため私は、主日と祝日には勝利の聖母教会で聖伝のラテン語ミサにあずかって侍者をする一方で、地元のカトリック学校に通い続けなければなりませんでした。

天主の御摂理は再び、私に道を開いてくれました。ロバート・マクファーソン神父様(当時は勝利の聖母カトリック学校校長、現在は米国の聖トマス・アクィナス神学校副校長)が、私たちが同じ場所で学び、生活できるよう、全寮制の男子校を開校するという構想に着手されたのです。侍者をしながら司祭と話ができることは、私にとって大きな喜びであり、勝利の聖母カトリック学校に通えることは、天主からのさらに大きな恩寵でした。寄宿学校にいることで、神父様方と話す機会が増えました。勝利の聖母カトリック学校のビジョンの一つは、フィリピンのカトリック信者のために将来のカトリック指導者を育成することです。カトリック指導者とは、家庭の父親であったり、さらには霊魂を天国に導く司祭であったりします。年月がたつに連れ、司祭になりたいという私の望みはますます明確になっていきました。

聖ベルナルド修練院での養成

私の旅は、校長がマクファーソン神父様からマイケル・フォルティン神父様、そして現在の校長であるピーター・フォルティン神父様へと交代する中で続きました。私は、前校長のマイケル・フォルティン神父様とさらに長い時間を過ごしました。彼はこう言われました。「では、祈りましょう。あなたは今行っていることを続け、勉強に集中しなさい」。高校教育を終えた後、私の次の段階は、神学校への入学を申請する前に、キャリアを追求するために地元の大学で勉強を続けることでした。再び、天主の御摂理のおかげで、私は高校卒業後すぐに聖ベルナルド修練院に受け入れられました。聖ベルナルド修練院院長のコンラード・ダニエルズ神父様は、2015年6月に予備神学生として入学することを許可してくださいました。まだ年齢が足らなかったため、神学校への入学を申請する前に2年間の養成期間を過ごさなければならなかったのです。

2017年3月、ようやく養成期間を終え、すぐに神学校に入ることができました。養成期間中、ブラザーたちと一緒に暮らしたことは、神学校生活を準備するに当たって大いに役立ちました。彼らは清貧、貞潔、従順の誓願によって、私に彼らの修道生活を教えてくれました。また、自分の召命を厳格に守り、霊性を成長させることも学びました。私が第二の故郷と呼んでいる聖ベルナルド修練院で過ごすことができた数年間を、本当に天主に感謝しています。

司祭養成の開始

私は神学校で7年間を過ごしました。それは、言葉では言い表せない経験でした。簡単に言えば、驚くべき恩寵の時間だったのです。私は、オーストラリアにある聖十字架神学校で最初の数年間をスタートさせました。聖ベルナルド修練院ですでに生活を送っていた私にとって、神学校生活に慣れることは問題にはなりませんでした。ただ、聖十字架神学校は国際神学校で、神学生はフィリピン人だけでなく、他の国籍の人たちもいました。韓国人、インド人、オーストラリア人、アフリカ人などです。私たちは、同じ超自然の精神と信仰を持つ一つの共同体として共に生きることの大切さを学びました。私たちは皆、司祭になるという同じ目標に向かって努力していたため、一人一人が天主の御旨に従い、それを求めることで、互いに助け合い、励まし合いました。私たちは、カトリック教会という一つの家族の中にいる、聖ピオ十世司祭会の一員になりたいと願っていました。

司祭養成と霊的生活の原則の学びに重点が置かれたため、勉強はさらに熱心になりました。研修が進むにつれて、私は聖トマス・アクィナスの偉大な教えについてさらに学びました。創立者のルフェーブル大司教は、すべての神学生に聖トマス・アクィナスとその教えを学んで好きになってほしいと願っておられました。私は、聖十字架神学校の教授や指導者全員から多くのことを学びました。

聖十字架神学校の閉鎖

総長が聖十字架神学校の閉鎖を発表されたのは週の半ばでした。【訳注:コロナ禍のために外国人神学生がオーストラリアに入国できなくなったため一時オーストラリアの神学校を閉鎖する処置をとっている】私たちにとっては悲しいニュースでした。私たちは試験を終えて、すでに二学期を楽しみにしている最中でした。もちろん、総長に見捨てられたわけではありませんでした。私たちは養成を続けるために、ドイツ、米国、アルゼンチンの神学校に別々に移されることになりました。私はここアルゼンチンに送られることになり、数カ月でスペイン語を学ばなければならないと言われました。私はスペイン語について何も知りませんでした。タガログ語の中にある、フィリピンのスペイン文化に由来するスペイン語の単語をいくつか覚えることができていた程度だったでしょう。しかし、天主の恩寵により、アルゼンチンに到着して、現地の人々と会話し、コミュニケーションを取ることができるという生き残り作戦をこなすのに十分なほどには、何とか学ぶことができました。

アルゼンチンでの神学校過程の開始

私は神学の最後の2年間を続けるために、2022年4月にアルゼンチンに到着しました。それは私の人生の新たな章のような、新たな冒険の始まりでした。もちろん、私にとってすべてが新しく、すべてが異なるものであったため、不安もありました。聖ピオ十世会であるのは同じですから、すべては同じだと言われましたが、私はここアルゼンチンで新しいことを学ばなければなりませんでした。さまざまな国籍の人がいた聖十字架神学校と同じように、ここアルゼンチンにはメキシコ、ニカラグア、中米・南米全域から来た人たちがいます。オーストラリアにいたときと同じように、ここアルゼンチンやラテンアメリカの文化も学ばなければなりませんでした。到着したとき、私は神学校生活の新たなスタートを切ったばかりのように感じました。

神学の最後の2年間は、教授たちから再び多くのことを学びました。教授たちは、聖トマス・アクィナスに対する知識と愛、教会とその教えを伝える方法を本当に知っています。

ブエノスアイレスへの任命

さて、私の人生の新たな章が始まりました。叙階の直前に誰もが口にする質問は、「神父様はどこに任命されるのですか?」というものです。そうです、助祭として最後の年を迎えるとき、神学校生活にはいつもそんな不安がつきまといます。私の最初の任命先は、ここ南アメリカ管区、特にここアルゼンチンのブエノスアイレスの修道院になります。修道院長のルイス・クラウディオ・カマルゴ神父様を補佐することになります。

ブエノスアイレス修道院は、実際には南米における聖ピオ十世会の基礎となった場所です。それはまさに最初の共贖者聖母(Nuestra Señora Corredentora)神学校であり、ここアルゼンチンにおける聖ピオ十世会の最初のハウスでした。ルフェーブル大司教は、神学校をラ・レハに移す前に、何年もこの場所を訪れ、ここで司祭を叙階されました。現在は、約800人の教区民がいる修道院となっています。忙しい使徒職です。信者は今も増え続けています。年を追うごとに、もっと多くの霊魂が聖伝に目覚めるよう、私たちは祈ります。

修道院での将来の使徒職

今のところ、具体的な仕事の割り当ては受けていません。基本的には、修道院の一般的なミッションを手伝うことになるでしょう。主日のミサを捧げたり、告解を聞いたりするだけかもしれません。また、初聖体の信者に堅振の準備をするためにカテキズムを教えたり、あるいは成人にカテキズムを教えたりする可能性もあるかもしれません。アジア管区と同じように、ここブエノスアイレスにも侍者のための聖ステファノ会があります。この使徒職は本当に盛んですから、私も手伝いを頼まれるという可能性があります。

修道院のことをもっとよく知るようになれば、私の役割は将来にはさらにはっきりするでしょう。ウルグアイやブエノスアイレス郊外、その他の場所にある、他のミッションセンターで手伝うことも、将来的には可能性があるかもしれません。

さらなる召命を祈ってください

締めくくりに、すべての読者の皆さんに対する私の切なる願いは、召命が増えるように祈り続けてくださることです。読者の皆さんへの最後の言葉、それは、さらに多くの召命のために祈り続けてくださることです。サマーズ神父様が常々アジア管区の皆さんに伝えておられるように、さらに多くの召命のために祈ることが緊急に必要です。私たちの主が言われるように、仕事は多けれども、働く者は少ないのですから。

アジアだけでなく、どこの管区でも、なすべき仕事がたくさんあることがすでに分かっています。私は皆さんに、司祭職と修道生活のための召命が増えるように祈り続け、さまざまな方法で寛大になってくださるようお勧めします。教会への愛のためにルフェーブル大司教様が始めた聖ピオ十世会のミッションを支えてください。自分の子どもが司祭や修道者に召されることが天主の御旨であるならば、それを支援し、聖なるカトリックの家庭がさらに多くなるように祈ってください。皆さんの絶え間ない祈りを必要としているすべての神学生を支援してください。

最後に、この場をお借りして、すべての読者の皆さん、すべての管区の信者の皆さんのお一人お一人に対して、私の司祭叙階という喜びの日を実現させるためのお祈りとお力添えとご支援に対して感謝申し上げます!


ご復活の主日―信仰の勝利:信仰が歴史的事実と矛盾しないのを理解することは、非常に重要です。

2024年04月10日 | お説教・霊的講話

ご復活の主日―信仰の勝利(大阪)

ワリエ神父 2024年3月31日

親愛なる兄弟の皆さま、

日本の祈祷書にある「信徳唱」とは異なりますが、英語の信徳唱では、こう宣言します。
「わが天主よ、われ、御身が唯一の天主にして、父と子と聖霊の天主の三つのペルソナを持ち給うことを固く信じ奉る。
われ、天主なる御子が人となり給うて、われらの罪のために死に給うたこと、また御子が生ける人と死せる人を裁かんために来り給うことを信じ奉る。
われ、これらおよび、聖なるカトリック教会が教えるすべての真理を信じ奉る。
そは、永遠の真理にして知恵なる御身、欺くことも欺かれることもなき御身が、それらを啓示し給うたがゆえなり」。

私たちが強く信じている私たちの信仰の神秘は、三位一体、ご托身、贖いです。
私たちはまた、キリストの復活など、キリストの奇跡も強く信じています。

信仰が歴史的事実と矛盾しないのを理解することは、非常に重要です。
近代主義者は、キリストの復活は歴史的証拠によって立証できないと主張していますが、これは完全に間違っています。

私たちの主は、こう預言されました。
「私には自分の命を与える権威があり、また、それを取り戻す権威もある」(ヨハネ10章18節)。

自然は、主の死にお応えしました。
・約3時間、闇が地上を覆いました。
・神殿の幕が、上から下まで二つに裂けました。
・地震がありました。

キリストの復活も、はっきりと自然に表れました。
・地震がありました。
・ローマの番兵たちは、光り輝く天使の出現を見ました。彼らは、慌てふためいて立ち去り、司祭たちに、私たちの主の復活を知らせました。
・多くの死んだ人々が死者の中から復活し、エルザレムに入って、多くの人々に姿を見せました。
・キリストご自身が、多くの人々(聖なる婦人たちや使徒たち)に直接ご出現になり、その中には「不信者」トマスもいました。

ですから、親愛なる兄弟の皆さま、キリストの復活への揺るぎない信仰を持ちましょう。
「世に勝つ勝利は、すなわち、私たちの信仰である!」【ヨハネ第一書5章4節】。
使徒たちの心が疑いと落胆に満ちていたとき、忠実に信仰を保っておられた私たちの良き母が、私たちのカトリック信仰の守護者でいてくださいますように。アーメン。


復活徹夜祭の聖なる夜、教会は水を恩寵の水として強調する:聖化する水、罪を洗う水、渇きをいやす水、「永遠の命に湧き出る水の泉」

2024年04月10日 | お説教・霊的講話

復活徹夜祭―恩寵の水(大阪)

ワリエ神父 2024年3月30日

親愛なる信者の皆さま、

この聖なる夜、教会は、水を、恩寵の水として強調します。
洗礼水の祝別と、洗礼の約束の更新から抜粋しましょう。

「主の霊が水の上を舞っておられた。それは、その時でも、聖化する力を水の本性が受けるためであった」(祝別)。
【水に、人を聖とする力を与えるために、…主の霊は、水の上を覆い給うた=毎日のミサ典書】

「天主は、悪徳の終わりと徳の始まりであることを示すために、…水によって、(洪水を通して)汚れた世の罪を洗い給うた」(祝別)。
【汚れた世の罪を、水によって洗うことにより、その同じ水をもって、人の罪を除き、徳に立ち返らせるために、洪水をもって、再生のかたどりを示し給うた天主よ。=毎日のミサ典書】

「天主は、荒れ野において、(水の)苦みを甘みに変え、水を飲めるものとし、のどの渇いた民をいやすために、水を岩より湧き出させ給うた」(祝別)。
【天主は、砂漠においては、水の苦みを取り去り、飲めるよい水とし、人々ののどを潤すために、岩より湧き出させ給うた。=毎日のミサ典書】

「(われらは)キリストの死において洗礼を受け、キリストとともに葬られた。…キリストは、死者からよみがえり給うたが、われらも、…新しい人生を歩まねばならぬ」(更新)。
【われらは、洗礼によって、キリストとともに死に、かつ葬られたのである。キリストは、死者からよみがえり給うたが、われらは、…新しい生活の道を歩まねばならぬ。=毎日のミサ典書】

旧約で、天主は、私たちの霊魂を清めるために、どのように水を用いるかを告知されました。
「私は、おまえたちの上に、清い水を注ごう。こうして、おまえたちは、汚れを清められる。
私は、おまえたちに新しい心を与え、おまえたちのうちに新しい霊を置こう。
私は、おまえたちの肉から、石の心を取り除き、肉の心を与えよう。
私は、おまえたちのうちに私の霊を置こう」(エゼキエル36章25-27節)。

「さあ、渇く者はみな、水に近よれ。金のない者も、喜んで近よって飲め」(イザヤ55章1節)。

キリストによって与えられる霊的な水は、「永遠の命に湧き出る水の泉」(ヨハネ4章14節)です。

復活節には、歌ミサの「アスペルジェス」は、「ヴィディ・アクアム」に変わります。
「ヴィディ・アクアム。私は、神殿の右の脇から流れ出る水を見た、アレルヤ。その水が到達した人々は、みな救われた」。
恩寵の水は、聖金曜日に刺し貫かれたキリストの脇腹から流れ出るのです。

親愛なる兄弟の皆さま、この聖なる夜、そしてこの復活節の間、私たちの洗礼の恩寵を思い起こし、罪の死から恩寵の復活の命へと移った者の人生を生きましょう。アーメン。


最後の晩餐で始まって十字架上の最後の息で終わったのは、一つの同じもの。私たちの救いをもたらした、主の命のいけにえだった。

2024年04月10日 | お説教・霊的講話

聖木曜日(大阪)

ワリエ神父 2024年3月28日

親愛なる兄弟の皆さん、今日のミサは、夕方の最後の晩餐とほぼ同じ時刻に行わなければなりません。
キリストは最後の晩餐で、いわゆる「過ぎ越しの小羊」を食べられました。
その何百年も前、ファラオの頑なな心のせいでエジプト人の初子が殺された一方で、ヘブライ人は、小羊をいけにえとして捧げて食べるように言われ、小羊の血が彼らを天主の御怒りから守りました。
そして毎年、「過ぎ越しの祭り」(つまりユダヤ教の復活祭)の時に、ユダヤ人は記念の儀式として、家で過ぎ越しの小羊を食べなければなりませんでした。
そのため、キリストは、使徒たちとともに最後の晩餐をなさったのです。

そのほふられた動物は、聖書が「世の罪を取り除く天主の小羊」と呼ぶお方のかたどりでした。
ですから、キリストは、ご聖体の秘跡を制定するために、そのユダヤ人の祭りの時を選ばれたのです。しかし、単に聖体拝領としてのご聖体ではなく、何よりもまず、ミサのいけにえとしてのご聖体なのです。
実際、最後の晩餐で始まって、十字架上のキリストの最後の息で終わったものは、一つのものであり、同じものでした。それは、私たちの救いをもたらした、私たちの主の命のいけにえだったのです。

ノブス・オルドの聖職者たちは、最後の晩餐は単なる食事にすぎないと述べて、食事としての新しいミサという考え方を正当化しています。そして彼らは、聖伝の奉献の祈りを、食事の前のユダヤ教の祈りに置き換えるまでに至ったのです!

事実およびカトリックの教理を率直に述べましょう。第一に、過ぎ越しの小羊を食べることは、普通の食事だったのではなく、定められた儀礼のある、家で行われる宗教的な儀式でした。第二に、ご聖体の制定とキリストのご受難およびご死去は、二つの異なる行為でも、二つの異なるいけにえでもありません。それは、キリストが最初は(ミサを考慮して)血を流さない方法でお捧げになり、最後に本当に御血を流された、一つの長く続くいけにえなのです。
したがって、ミサとは、血を流さない方法で捧げられるカルワリオのいけにえの更新、あるいは再現なのです。

今日のミサの最後に、「祭壇布の剥ぎ取り」の儀式があります。これは、私たちに、キリストが衣服を剥ぎ取られたことを思い起こさせます。また、私たちの心にも、キリストの肉体的、精神的な苦しみを思い起こさせましょう。

そのあと、私たちは、ご聖体を礼拝します。この聖なる夜のすべての出来事、つまり、最後の晩餐でのキリストの愛徳、ゲッセマニの園での恐ろしい苦悩、キリストの逮捕と屈辱的な夜の裁判、使徒たちによって見捨てられたことに、思いをはせましょう。

詩篇には、次のような預言があります。「私は共に悲しんでくれる人を求めたが、私を慰めてくれる人はいなかった。その人を探したが、見いださなかった」。

親愛なる兄弟の皆さん、今晩は、私たちが過去にしばしば行ってきたような、キリストを見捨てることがないようにしましょう。

キリストの傍らにとどまって、御悲しみの聖母との一致のうちに、キリストのご受難と一致しましょう。アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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