転ばぬ先の杖があったら、

ほしいと思いますか?

 

 

失敗しないとわかっているなら、

最初から教えてほしいと思うでしょうか。

 

 

そんな杖があるならほしいし、

失敗しないように教えてよって、思いますよね。

 

 

でも、その杖の取扱いには、注意が必要です。

 

 

なぜなら、その杖は、依存につながりやすいから。

依存するのは、支配されるのとセットです。



支配されると、自分よりも他人を優先するので、

心地良いものではありません。

 

 

たとえば、あなたが幼い子供だとして、

公園のジャングルジムで遊んでいて、

「危ないから気をつけなさい」

「落ちないように、注意して」

と、親がそばでずっと注意していたら、

どうでしょう?

 

 

黙って見守ってもらえるのは安心だけど、

四六時中気をつけるように注意されたら、

窮屈だし、うるさく感じるのではないでしょうか?

 

 

そして、注意されつづけて、

親の判断を優先するようになると、

自分で判断しなくなります。

 

 

だから、注意し続けるよりも、

たとえ転んでケガをしたとしても、

自分で痛い想いをする方が、

「こうすると危ない」と学べるし、

自分の身につきやすいです。

 


経験豊富な人から見ると、

まだ経験の浅い人の行動は、

危なっかしく感じるかもしれません。

 

 

教えてもらって、守られて、

ある程度上手く行くとしても、

やがて独り立ちする日がやってきます。

 

 

独り立ちするまでに、

何度か失敗して痛い目に合っていると、

どういう時に転びやすいか、とか、

転んだときにどう立ち上がればいいか、

などの勘どころがわかっていて、

これから先の大きな財産になります。

 

 

もちろん、先人の知恵に学ぶことで、

ぐるっと遠回りしないで、

直線の道を通ることができるのは、

とてもありがたいです。

 

 

でも、道を歩いているときに、

「ほら、そこに小石が転がってるよ」

「この先は急坂だからね」

「次の分かれ道は、右だよ」などと、

いつもそばでアドバイスされて、

その人のアドバイスに依存していたら、

自分で判断する力もつかないし、

間違えたときに立て直す方法も身につきません。

 

 

誰かに依存して自分で判断できなくなると、

自分を信じることが怖くなります。

 

 

転んでも、ケガしても、

痛い想いを繰り返していくことで、

自分で判断する力が身について、

自分を信じることができるようになります。

 

 

転ばぬ先の杖がほしいと思うときは、

転びそうな時でしょう。

 

 

たとえ転んだとしても、それは、

自分を信じられるようになるプロセスだと思って、

先人のアドバイスに耳を傾けつつも、

自分で判断して進んでいきませんか。

 

 

ちなみに、見守られているのに、

支配されてると感じるのなら、あなたの中に、

「支配されてる」と言ってる想念や霊がいる

ということかもしれません。

 

 

自分の中にいる想念や霊に、

愛を伝えたり、謝罪したりして、

浄化していきましょう。

 

 

転ばぬ先の杖を手放して、

依存と支配の関係から卒業できますように。


 

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今日も心と魂に愛と光をいっぱい入れて

神様の愛と光がたっぷり注がれますように。
神様、今日もありがとうございました。