哲学の科学

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デジタルその魅力と退屈(4)

2021-11-12 | yy80デジタルその魅力と退屈


こうなると、デジタルが日常生活の場をも徐々に侵食してくることは防ぎきれない。なにもかもコンピュータに取り込まれ、人間はデジタルモニターに出力される数字やパターンを眺めていればよい、となります。
そうなって改めて考えてみると、人間というものは、そもそも、アナログな存在ではなくて、デジタルなものなのではないだろうか、と思いたくなります。もしかしたらデジタルこそが世界の本質であって、アナログはデジタルの幻影にすぎない、のではないだろうか?
人間の脳が神経細胞のオンオフで動いていることからして、すべての感覚や思考は脳内のデジタルデータで表現されているはずです。そうであればアナログ表現はデジタルデータを簡約したような、平均曲線でなぞったような存在ということになります。
世界の本質がデジタルであるとすれば、高性能なコンピュータの出現により物事元来の生のデジタルデータがそのまま処理できるようになってその出力が人間の目で見えるようになった、ということか?これが自然現象の模擬なのか、あるいは模擬ではなくて、これが生の自然そのものなのでしょうか。
たとえばデジタルとはそぐわない最たるものであると思える私自身の手足。もしかしたらこれもデジタルでできているのかもしれません。指はラテン語でデジタス。だからデジタル、とはジョークですが、これ全く冗談ともいえません。
たとえば、動物の五本指の発生起源は、最近の生物学では、デジタルシミュレーションで解明されています。コンピュータ科学の始祖の一人であるアラン・チューリング(一九一二年-一九五四年)が提唱した生物パターンチューリングモデルによる骨格や組織の発生理論(二〇一〇年 近藤 滋、三浦 岳「Reaction-Diffusion Model as a Framework for Understanding Biological Pattern Formation」)にもとづいて、胎児の手足が体幹から伸びてきて五本の指ができるまでのシミュレーションが多く作られています。











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