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現実を語る人々(1)

2022-08-13 | yy85現実を語る人々


(85  現実を語る人々  begin)




85  現実を語る人々

人はなぜこの現実を現実と思うのでしょうか?
自分に見える現実は人々が見ている現実と同じだ、と私たちは思っています(拙稿6章 「この世はなぜあるのか」)。
人の話を聞くことでその人が私と同じ現実を感じているらしいと分かります。その話がどうもおかしいと違和感がある場合、この人はうそを言っている、と思えたり、精神病ではないか、と感じたりします。

ルバング島の小野田さんは意外と現実を知っていました。
旧陸軍情報将校だった小野田 寛郎(一九二二年―二〇一四年)は戦後もルバング島の山中でゲリラ活動を続け一九七四年になってフィリピン軍に投降し最後の日本兵と言われた人です。
この人と山中で一対一の接触に成功した冒険家の鈴木紀夫(一九四九年ー一九八六年)は「戦争は終わりました」と語りかけたが小野田は「俺にゃ戦争は終わっちゃいねえ」と返したそうです。(二〇一二年 戸井十月「小野田寛郎の終わらない戦い」)
夜通し会話し情報交換をした鈴木に小野田は、君の話は小説日本敗戦記としてよく聞いておくよ、と言ったそうです。
数日後、小野田は旧陸軍の上官と会い山を下り、フィリピン軍将校、司令官などと次々に会って降伏儀式に従いました。この経過で彼は人々と現実認識を共有するようになっていったのでしょう。
しかし、帰国一年後、小野田は日本を脱出し兄に倣ってブラジルで牧場経営をするようになりました。この後の行動を見ると、現代日本社会との接触が彼の人生観を変えたと推測できます。親族、故郷やマスコミの人々の語る現実を知りそれに反応したということでしょう。
日本社会の外側で多く過ごした人生でしたが、小野田はいつも日本の敗戦という現実を強烈に感じていたように思われます。
日本敗戦記という小説の中に巻き込まれ、それが現実であることを否定しながらも日常としてその中で生きるしかなかった。
最後の日本兵というこの状況が多くの日本人の琴線に触れたこととマスコミを通したその人々の態度によって彼の後半生における現実があらわれてきたともいえます。








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