ホイットルジー プラジャーク弦楽四重奏団 シェーンベルク 弦楽四重奏曲第2番ほか(1994.5録音)

大事なことは、作品番号付きと作品番号をもたない《グレの歌》、《ヤコブの梯子》、《モーゼとアロン》を合わせた主要五十数作品のすべてが、語るに足る音楽的な意義をもった作品であり、いわゆる自己模倣的な発想の停滞、あるいは創作姿勢の怠惰や惰性を感じさせるものがそこには一作として含まれていないということである。
これは、驚異的なことである。つまり、その創作活動は、一定の方向に向かっての進化や発展というより、むしろ常に新たな課題への挑戦の連続であり、その作曲家としての人生は、辿りついた地点を出発地とする長い冒険の旅であった、といわざるを得ない。

石田一志著「シェーンベルクの旅路」(春秋社)P4

大自然が常に変化の中にあるとするなら、シェーンベルクのあり方は至極真っ当なことだ。著者があえて「驚異的」と語るのは、変化を嫌い、できるだけ怠惰に過ごしたいと思う人間がいかに多いかの裏返しだろうか。何歳になっても人生において「終わり」ということもなければ「卒業」ということもない。いつどんなときも「終わり」こそが「始まり」なのである。

四半世紀前、ザルツブルク音楽祭を訪問したとき、ハーゲン・クァルテットの演奏でシェーンベルクの弦楽四重奏曲第2番を聴いた。第3楽章と終楽章にソプラノの歌唱が付くこの作品を、僕はそのときに初めて聴いた。挑戦の真っ只中にあたシェーンベルクの音楽の斬新さよりもむしろ僕はベートーヴェンの大フーガの強烈な音響に俄然圧倒されたというのが正直な印象なのだが、その後、あらためて耳にしたとき、シェーンベルクが単なる奇天烈な挑戦者ではなく、聴衆の受容力を鑑みての大いなる創造性をもつ天才なんだと痛感した。そして、彼の音楽を繰り返し聴くごとに僕はそのことを確信するようになった。

シェーンベルク:
・弦楽四重奏曲ニ長調(1897)
・弦楽三重奏曲作品45(1946)
・弦楽四重奏曲第2番嬰ヘ短調作品10(ソプラノ付)
クリスティーン・ホイットルジー(ソプラノ)
プラジャーク弦楽四重奏団
ヴァーツラフ・レメシュ(ヴァイオリン)
ヴラスティミル・ホレク(ヴァイオリン)
ヨセフ・クルソニュ(ヴィオラ)
ミハル・カニュカ(チェロ)(1994.5録音)

プラハは福音史家教会での録音。冒頭、同時代の巨匠たち(いかにもドヴォルザーク)の方法を昇華し、独自の世界を築く1897年作の弦楽四重奏曲ニ長調はまた美しくも隙のない作品。

1897年の夏から秋にかけて作曲された《ニ長調弦楽四重奏曲》は、習作期のシェーンベルクのもっとも成功した器楽作品であった。これは、ツェムリンスキーの推薦によって1898年5月17日、ウィーン音楽家協会の非公開演奏会の夕べで演奏された。
~同上書P16

翻って、孤高の境地を示す弦楽トリオは、一切の無駄を排した大傑作。

1946年8月2日、72歳のシェーンベルクは激しい心臓発作に見舞われた。その日の朝の10時頃、当時の侍医がベンツェドリン(現在では副作用のある覚醒剤のひとつに数えられている)を彼の持病である喘息の試薬として試用した。ところが、しばらくすると意識は朦朧となり、急に睡魔に襲われた。夜の10時頃になってやっと眼を覚ますと、今度は身体中、とくに胸と心臓の辺りに激痛が続いた。なかなか医者が見つからず、やっと助手のスタインの紹介で来てくれたロイド=ジョーンズ博士が強力な鎮痛薬のハイドロモルフォンを注射したことで効果はすぐに出たが、今度は意識を失い、鼓動も脈拍も一旦停止してしまった。
~同上書P447

ほとんど臨死体験ともいえる状態から蘇生しての、その体験を音楽に綴ったといわれる作品がこのトリオだが、何と濃厚でまた独特の官能を示す音楽なのだろう。まさに愛と死とは一体なのだということを表しているように思われる。そして、過渡期的作品とはいえもう一つの革新的傑作、弦楽四重奏曲第2番の退廃美!

この弦楽四重奏曲は私の生涯において大きな役割を演じた。しかし、いわゆる無調への決定的な進展はまだである。
(「4つの弦楽四重奏曲への序言」1936)
~同上書P116

一歩一歩着実に変化を遂げていく天才の足跡が、後の本人の回想によりより鮮明にされる様に僕は感激する。天才といえど不完全な人間であるがゆえの完全さ。人生をかけて環を完成せんと努めたシェーンベルクのすごさをあらためて知る。何度聴いてもすごい音楽だ。

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