バックハウス ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110ほか(1966.11録音)

ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ群の革新、そして余分なものを削ぎ落した、人間業とは思えない高貴さに僕はいつも拝跪する。さすがのバックハウスの演奏も淡々とした、枯れた味わいを示し、文字通り「我なし」の状態で作品に対峙するようで、聴いていて何とも温かい、また崇高な心持ちをいつも喚起される。

しかしだからといって、バックハウスには、深い情緒の表現がないということにはならないのである。たとえば、作品110にの終楽章の〈嘆きの歌〉となると、その悲しみは何の誇張も感傷もないだけに、一層、きくものの胸に切々として喰いこんでくる。また同じハ短調でも、作品111の第32番ソナタ、つまりベートーヴェンのピアノ・ソナタの最期の結論である作品の導入部についても、同じことがいえる。これはルバートを混じえず、がっちりしたリズムで、一音一音正確にひかれればひかれるほど精神的な品位と威厳とでもいったもの、堂々と姿を現わしてくるのであって誇張はむしろ絶対に禁物なのである。
こうした例は、バックハウスのベートーヴェン演奏についての原則を示すものといえよう。バックハウスのベートーヴェン演奏のスタイルは、要するに、〈作品が優れていればいるほど、演奏もますますりっぱに真価を発揮する〉ような具合になっているのである。

(吉田秀和)

聴く側も、年齢を重ねれば重ねるほどベートーヴェンの「皆大歓喜」の祈りを肌で感じることが可能になるだろう。(これがパンのために創作された作品だとは!)

ベートーヴェンのピアノ・ソナタは、根本においてはモーツァルトまでの古典派のソナタ形式を継承した。しかし、彼はこの形式の持つ表現可能性を徹底的に追究し、その絶対音楽的な力動性と精神性とを最高度に表現したのである。
(渡辺護)

ベートーヴェンのソナタの意義はその点にあると渡辺さんは指摘する。納得だ。
あらためてバックハウスを聴く。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第25番ト長調作品79(1809)
・ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110(1821)
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)(1966.11録音)

ジュネーヴはヴィクトリア・ホールでの録音。
見落とされがちな「やさしいソナタ」であるト長調作品79も、バックハウスが弾くと、ごつごつとした無骨な表現の中に、慈愛に溢れる明朗な音調が湧き上がるのだから堪らない。

第1楽章の主題は、すでにベートーヴェン作曲の騎士バレエの中の〈ドイツ歌曲〉—1791年作曲 に使われている。さらにさかのぼれば、この主題の起源はモーツァルトのヴァイオリン奏鳴曲ト長調K.379の第3楽章にある。
(渡辺護)

著作権のなかった時代ゆえの鷹揚さ。というより、それゆえの天才と天才の掛け算、つまりシナジーがあちこちに跋扈し、それこそがかの時代の傑作を生み出す源泉だったと言えまいか。

あるいは、1821年12月25日に完成された作品110の筆舌に尽くし難い完全なる叡智の結集!

第1楽章はソナタ形式によっているとはいうものの歌謡的な主題といい、自由な態度で作曲されているし、同じ自由さは第2楽章にもうかがわれる。第2楽章に到っては、まったく独特のものでレチタティーヴォとフーガという後期の特徴的形式を愛用している。これは当時作曲中の〈ミサ・ソレムニス〉に影響されたものであろう。
この曲は作品109と並行して着想されたが、作曲はおくれて行き、精神的にも肉体的にも苦悩の時期に入って行った。その感情は第2楽章や、第3楽章に反映され、曲全体が作品109とはかなり違った性格をもつものになった。

(渡辺護)

渡辺さんの解説は今となっては少々古びた印象がある。
確かに同時に創作されていた「ミサ・ソレムニス」の影響もあろうが、それ以上にベートーヴェン自身の精神状態が祈りや信仰を希求する状態にあったことが想像される。それに、これらのソナタ群はあくまで「パンのため」に生み出されたのだから、実に現実的なものであることを忘れてはならない。
何を目的にしようと、1820年代にベートーヴェンが創造したものは、まさに「天人合一」の賜物だ。

聾耳のため外界から遮断され、内なる心の世界に入りこむことによって、ピアノは瞑想と実験の道具となった。ピアニスティックな要素は依然として重要であるが、時にそれは可能の限界に突当り、異常な音響の世界に沈潜する。フーガが多く用いられるようになったことは、楽匠が現実の音楽から引離されたことと無関係ではあるまい。
(渡辺護)

渡辺さんの指摘の正否はわからない。
しかし、確かに心の耳で音楽を創造せざるを得なかったベートーヴェンの、諦念というよりむしろ、余分な思念が放下された状況下での作曲が作品の質をそこまで磨き上げたのだろうと想像する。それは、生涯にわたってピアノ・ソナタを書き続けたベートーヴェンの、「量質転化」の結果なのだろうと思う。

※太字は「ベートーヴェン:ピアノ奏鳴曲全集」SL 1157-66ライナーノーツより抜粋

過去記事(2015年8月8日)
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