奥湯河原の重光葵記念館を訪ねた折り、
資料の中に太平洋を横断する船で行われた船内晩餐会のメニューに目が留まったのですな。
なにも「豪華な食事だあね」とかいうことではありませんで、
食事のお品書きと同時に晩餐会で奏でられたであろう音楽の曲目が並んでいたものですから。
「軍艦マーチ」で始まるのは日本郵船の船だからこそでしょうけれど、
「ホームスイートホーム」は日本でもすでに「埴生の宿」としてお馴染みになっていた曲ですし、
まあ、BGM的には打ってつけでもあったでしょうか。
と、それらに交じって「The Vision of Fuji-San」なる一曲があり、作曲者はW.Ketelbeyと。
もしかしてこれは「あの」ケテルビーであろうかと思いつつ、どうもイニシャルが違うような。
帰宅後に確認したところ、「あの」アルバート・ケテルビーはA.W.ケテルビーだったのですな。
わざわざ「あの」と言いますのは、クラシック入門編的な名曲集でよくお目にかかる(耳にする)
「ペルシャの市場にて」の作曲者だからでして、それならば知っているという方も多かろうと。
ケテルビーにはペルシアばかりか、中国の寺院やらハワイの青い海やらと
世界周遊的なる曲を書いてますので、富士山モティーフのこの一曲もまたその類いなのでありましょう。
ですが、Youtubeで発見できたこの曲を聴いてみて「う~む…」と。
まあ、ありがちなことですけれど、のっけからして「中国、入ってる?」でもあり、
ケテルビーのインスピレーションはいったいどこにあったのか、
北斎描くところの富士の姿などは多く出回っていたであろうに、絵の姿だけでは難しかったか…と思ったりしたものです。
ところで、かような疑問符だけで話を終わらせてしまってはケテルビーには気の毒ですな。
先日触れましたロナルド・ビンジのCDと同じ「British Light Music」のシリーズに
ケテルビー作品のアンソロジーがあるのですけれど、これはこれで楽しいものなのでありますよ。
先にビンジのところでも引き合いに出したNaxosレーベルのCD紹介では、
ケテルビーの楽才をこんなふうに評しておりますよ(多分に原稿担当者の私見的書きようですが…)
抜群の描写力、色彩的な表現力、そして美しくて親しみやすいメロディーを次から次へと生み出すケテルビーの才能は今世紀のクラシックの作曲家たちが忘れてしまった「人の心をつかむ音楽のレゾンデートル」のような気がします。
ここでいう「今世紀の」とはいわゆる20世紀でありまして、「20世紀音楽」と言われたときに感じる晦渋さ、
ともすると音楽が聴く側を置き去りにしたまま作曲技法の探究に向かっていってしまったこととは異なって、
感心させる、感動させることよりもわくわくさせる、うきうきさせるてなところにケテルビーの本領があったということでしょうか。
実際にCDを聴いて思いますところは、ビンジに比べてお茶目さが強いといいましょうかね、
遊びの感覚にあふれている気がするような。「ピアニスティックな奇想曲」の軽快なコミカルさはまさに。
続く「時計とドレスデン焼」という一曲もまた実に可愛らしい。自然とアニメーションが浮かんできそうです。
も少しシンフォニックなところでは「ロンドンっ子組曲(Cockney Suite)」の中のバンク・ホリデーは楽しさ全開、
「ジプシー青年」はドラマチックさも備えて、聴かせますですよ。
とまあ、これらの曲を手持ちのCDで聴いていたわけですけれど、先に「The Vision of Fuji-San」をYoutube検索して
気が付いてしまったことには、今ここで曲名を挙げた作品はすべてYoutubeで聴けてしまうのですなあ。
CDを所有するということを考えてしまったりもするところではありますが、
そのことはともかく、ライトミュージックの作曲家たちの作品、
埋もれさせてしまうには惜しいものがたくさんあるものだなと思ったものでありました。