読響の演奏会で池袋に出かけたついでに、豊島区立郷土資料館に立ち寄ったのでありますよ。

折しも「浮世絵・和本コレクション」展が開催中であったものですから。

 


以前にも訪ねたことのある資料館ながら、2017年10月にリニューアル・オープンしてからは初めて。

ですので、常設展示の方もさらりと眺めてみたわけですが、地域、地域の郷土資料館によくあるごとく、

現在の豊島区にあたるエリアの考古学的遺物から始まって、近現代の町の賑わいまでが

ざくっとひとわたり眺められるようになっておりますな。

 

その中には「ほお!」と思うものもあるのでして、例えばブラタモリを見ていて知ることになった姶良カルデラ、

今の鹿児島湾にあたるあたりが巨大火山のカルデラであったということですけれど、

3万年近く前にここで噴火が起こり、大量の火山灰を噴出したと。

その火山灰が東京のあたりでも10cmほど積もったことが発掘で確認できるだそうですなあ。

 

東京に至る途中途中にはもっと積もっているわけですが、

もし富士山が噴火したら?!てな心配が時折浮上するものの、

姶良カルデラのことを考えますと、もし阿蘇が大きな噴火を起こしたら…てなことを考えてもしまいますなあ。

 

そんな考古学的情報と併せて、展示の中には豊島区らしい戦後の闇市のジオラマ、

長崎アトリエ村の縮小模型などもあったりするわけですけれど、ここで「!」と思いましたのは

今の駒込・巣鴨あたりにたくさんあったという植木屋の話でありましょうか。

 

この巣鴨・駒込のあたり、かつては染井という地名であったところにたくさんの植木屋があったそうな。

江戸幕府が安定するにつれ、東京への人口流入が引きも切らないようになって江戸の市域は

どんどん広がっていくことに。

 

当初、染井のあたりは農村ばかりであったところへ市域が拡大してきて、

農民の中にも町民化、職人化する者がいたことでしょう。農業とのハイブリッドという点では

園芸、造園を生業にするというのは考え得るところかもしれません。

 

そんな中、たくさんの植木屋が競い合うように軒を並べるようになったそうですけれど、

取り分け染井の地名を今に伝えるのは「染井吉野」のおかげでありましょうね。

 

江戸期にはもっぱら吉野桜(あるいは吉野)といわれていた桜は、

「接ぎ木によって増やされるクローン桜」なんだそうでして、これを積極展開したのが

染井の植木屋さんたちだったようで。

 

八代将軍吉宗の時代、庶民にも行楽が必要(人心収攬の策でもありましょう)と

上野のお山や王子の飛鳥山などに花見の名所が造り出されますが、

こうしたときには大活躍がだったのでは。

 

また、各国の大名がお城に近い上屋敷、中屋敷とは別に郊外に広大な下屋敷を抱えるに至り、

江戸市中では望めないような大名庭園を造ったりも。まさに駒込にある六義園は

柳沢吉保が造らせた大名庭園が元になっているのですよね。

こうしたところでも、染井の植木屋さんは大いに重宝されたことでありましょう。

 

一方、世の中が落ち着いてきますと、庶民の間にも花を愛でる余裕が出てくるのか、

自ら庭園を構えることはできないものの、せめて自宅の周りにと鉢植えの花を飾ったりも。

そうした鉢植えもまた染井では各種取り揃えてございます状態だったようで。

 

自らの店をあたかも植物園のように仕立てる者もあらわれ、

染井の植木屋めぐり自体が江戸庶民にとっての行楽にもなっていたようです。

 

というような常設展示の解説を、奇しくも開催中の「浮世絵・和本コレクション」の展示で、

「なるほどねえ」と確認できてしまったりしたもでありますよ。

 

 

こちらは歌川芳虎の天保十五年(1844年)作「流行菊花揃」の一枚(ですけれど、

左はじに「巣鴨通植木屋」とありますように、巣鴨界隈の植木屋さんでは客の呼び込みのためでしょうか、

今もあちこちで行われている菊まつりのようなイベントが行われていたようです。

 

菊花を使ってさまざまに造形するというのも、ここらの植木屋さんが技を磨いたたまものかも。

上の絵では言わずと知れた富士山を菊の花で象っているのですなあ。

 

展示解説に曰く、巣鴨のお地蔵さんの賑わいは案外こんなイベントにルーツがあるのかもということで。

地域地域の限定されたエリアの郷土史といえども、興味深い話はあるものですよねえ。